第28話:化け物
「……不吉な月だな」
竜の巣入り口。
グロットは一人、頭巾を捲り、真上から照らす満月を仰ぎ見て呟いた。
案の定、ではあるのだが、彼女は竜退治の人数に加えられることはなかった。
こうして一人で見張りを命じられ、ここに居残らされている。
完全にカトリールだけの手柄にしたいと考えてのことだろう。
証人はなくとも、闘いの跡というのは素人目でも見て分かるものだ。奮戦の証である名誉の傷と汚れを付けた彼らと、何事もなく平然としている自分とで、格差を付けたいのだ。
当て馬にされているのは分かっていたが、グロットは何も言わなかった。言う気にもなれなかったと言うべきか。
そんな利権や私情の絡みなど、グロットにはどうでも良かったのだ。
竜という脅威が取り除かれれば、それでいい。
もし今回の件において、グロットの中で固執していることがあるとすれば────
「ネラプ……お前は、そこにいるのか?」
目線を落とし、カトリールが入っていった闇の底へと続く道を見た。
死んだ動物を率いて、更には目の前でトロールの死骸をも動かしてみせた少年。
異質だ。既存のどんな上位の魔法にも、死んだ生き物を蘇生させるものは存在しない。〝ある一つの『心当たり』を除いて〟。
もしこの洞窟内にいたとして(そもそもあの深手で死んでないとして)、竜の傍で従えられていたら、聖騎士団でも果たしてどうなるか、グロットにも読めない。
────し、知らない……! 知らないんだ、俺は何も……!!
「それとも……本当に、竜とは何の関係もなかったのか?」
振り返ってみて、少なくともあの時のネラプは竜のことなど本気で知らなさそうだった……ように思える。
やや温和な、等身大の少年。それが率直にグロットが感じた彼の人となりであり、そうも危険な風にも見えなかったのも事実だ。
────それでも俺はっ……〝死にたくない〟……!!
しかしあの時の激しい気迫、あの生きる執念のようなものに、グロットは────
「……いや、どちらにせよ私は、お前を────」
と、その時だ。
『どいてどいてー!』
羽を羽ばたかせ、光の玉が洞窟内に飛び込んでいった。
グロットのすぐ傍を、駆け抜けるように通り過ぎる。拳ほどの大きさもないそれを、不意を突かれて見過ごしてしまった。
「なっ……今の、妖精は……!」
一瞬とは言え、それには見覚えがあった。
ネラプ達一派の中で、コウモリと一緒になって鬱陶しく飛び回ってきた、あの妖精だ。
つまり、やはり、ここにネラプは────
途端、洞窟の奥に入った先、地下の中枢から、竜と人間の咆哮と鬨の声、そして衝撃音が地を走り轟いた。
「始まったか……!!」
闘いの苛烈を物語る地鳴りが、森一面に木霊した。
◼︎◼︎◼︎
「……この度はみんなの協力、本当に感謝する」
山村を隈なく探索したウッドは、それでも見つからない子供二人のために、覚悟を決めていた。
これまで禁忌とされてきた『白の森』への突入。その未知なる領域に向かうため人手を集めていたのだ。
「……みんなのことは、精一杯率いるつもりだ。だからみんなには二人のことを任せたい」
ウッドよりも若く、腕っぷしのある男達が集って、声を上げた。
彼らはそれぞれ持ち慣れた鋤や鍬、多めの松明を持ち合わせ、威勢良く掲げる。
「もちろんよぉウッドさん!」
「あの子らがいないと退屈やしの! 死ぬ前に拾っとかんとな、ガハハ!!」
「こいつはわしらの問題じゃけぇの!! 聖騎士様がなんぼのもんじゃい!」
「イッタルデー!」
子供の少ないこの地域で、レンとモニーの存在は貴重な将来の働き手として他人事ではない。
しかしそれにしても、『白の森』の危険性の知っていながらもこれ程の数を集められたのは、偏にウッドの人望の賜物だろう。
「……よし、それじゃあ」
「う、ウッドさん!」
しかし、今まさに突入といった矢先のこと。男衆の一人がウッドを呼び、ある一点を指差した。
「……どうした?」
「あ、あれ……!!」
その方向には、別段目に映るものがなかった。
いや、夜闇の向こうから影が動いている。その物音からして、こちらに近付いているようだった。
森から降りたモンスターかと、彼らの中で緊張が走る。が、それはすぐに弛緩することとなる。
「……!! レン!」
「ゲッ、と、父ちゃん!?」
現れたのは、彼らが探していた子供の片割れであるレンと、そのレンに手を引かれている少年、ネラプだった。
「……馬鹿野郎、心配かけさせて……!!」
「お、俺は最初から心配ご無用だぜっ!? なんたって俺は将来────」
「……そうか、母さんにも一緒に怒られたいんだな」
「ひぃっ!」
堪えていない様子のレンの悲鳴に、しっかりと教育してやる必要があるのは今は置いておくとして。
ウッドはネラプの方を見やり、
「……だが、そうか。お前さんが見つけてくれたんだな。ありがとう」
他の若い男達も、後ろでレンを揉みくちゃにしながら喜んでいるのに対し、しかしネラプはあまり表情を良くしない。
その理由は、ウッドにも見当がついていた。
「ウッドさん……実はモニーが、まだこの森のどこかにいるみたいで」
そう、まだモニーがいないのだ。
大方森の中でレンと逸れてしまったのだろうと推測出来る。妹まで危険な目に遭わせているレンには、後でこっぴどく叱る必要があるとして。
あわよくば兄妹揃って見つかればと考えていたウッドには、その期待が外れてしまったのも確かだ。
だが、森にいることが分かっただけで収穫だ。
「……分かった。でも本当に助かった、後は俺達が……」
「俺がモニーを見つけて来ます」
「……なに?」
ネラプが、真剣な面持ちでそう言った。
それも誰かと一緒にではなく、自分一人で行くと。
「必ずモニーを家に帰します。だから、他の皆さんも、どうかここで待っててください」
「……危険だ、今この森には竜だけじゃない、あの聖騎士団だって────!」
「分かってます」
目も見えず、ろくに剣も操れないネラプが巻き込まれでもしたら、命の保証は無い。
それは火を見るより明らかだ。ネラプもそのことが分からないわけでもあるまい。
「……実は俺、ずっとウッドさん達に隠して、言ってこなかったことがあるんです」
しかし、ネラプの気勢は確かなものであるらしかった。
そうしなくてはいけないと、いつになく気負い、強い意志を感じさせる。
「いつか、そのことも話します。だけど今は────俺のこと、何も言わずに行かせて欲しいんです。俺が、俺のためにそうしたいんです」
ウッドは迷った。
ネラプ一人に、あまりに荷を課せ過ぎてやしないか。一人で自立しているせいで忘れてしまいがちだが、ネラプも結局はレンに近いくらいの子供なのだ。
隠していた事が何かは知らないが、もう既に、ネラプにはレンを助けてもらった。これ以上の危険を負わせるのは、歯痒く、面目が立たない。
もしもモニーのことも無事に連れて来れたなら、それこそ自分の命すらくれてやっても釣り合わないとも思えた。
しかし同時に、自分達が森に踏み入ることについて、危惧するところはあった。
レンとモニーを見つけるために呼び集めた面子だが、所詮は農業ばかりしか能の無いど素人。地形すら知らないこの森では、第二次被害を生み出しかねないと。
その点、長く住んできたネラプにとってはこの森は庭も同然、視界が無くとも精通している。彼なら上手く切り抜けることが出来るかもしれない。
ネラプや、集めた若い衆のここにいる全員が、ウッドの指示を待っている。
静かに沈黙を保ち、深く深く塾考する。
モニーは助けたい。しかしそのせいで、誰かを犠牲にしたくもなかった。
誰もが無事で済む、最善の選択とは何か。
果たしてモニーの時間が限られているのかそうでないかも彼らには定かでなく、焦りが募るこの状況下で────ウッドは彼に出来る精一杯の選択を下した。
「……無理だと思ったら、絶対に遠慮するな。すぐにここに引き返して来るんだぞ、いいな?」
「……!」
ウッドは、信じた。
初めてネラプに会った時、とある一件で泣きに泣いていたのが、一年ほど前。
あれから互いに得た、信頼の糧。
ウッドがネラプについて知った事、知らないままの事。
全てをひっくるめて────何よりも自分が、大切にしているものを任せられると真に思えたのだ。
「娘を……モニーを頼む。ネラプ」
その言葉を聞いたネラプは、少しホッと表情を崩して頷いた。
そしてその眼に巻いていた包帯に手を掛けると、スルリとそれを外し取ってみせた。
「────任されました、行ってきます!」
眼を解放したネラプは、一切ウッド達に振り返ることなく、真っ直ぐに『白の森』の中へと駆け出していった。
◼︎◼︎◼︎
『わわっ、うわっ!』
カーリがオルメ達のいる地下まで来た。
聖騎士達の存在を知らせるためのことだったが、それが既に無意味だったことを教えられた。
自分達が暮らしてきた洞窟は、荒れに荒れていた。
竜と聖騎士団の聖戦は、怒濤の苛烈を刻んでいた。
魔法の光弾の火焔が舞い、熱された風が狂い荒ぶ。
叫び、吼えることで、この死闘を祭る。
それぞれの生存を賭けて、命の駆け引きが繰り広げられていた。
絶命の叫び声が弾けた。
補佐を受けて前線で相対していた聖騎士の一人が、オルメの放った爪撃をその剣ごと身体で受けたのだ。
恐ろしい破壊力のその一撃は、剣身を砕き、その胴を真っ二つに裂いた。千切れた腸が爆ぜたように空を舞った。
しかし同時に、別の聖騎士がその腕に剣を突き立てた。
それは厚い鱗の隙を的確に縫い、奥の肉を確かに傷付けた。オルメが苦悶の絶叫を上げ、呻く。
力量としては、ほぼ互角を喫していた。どちらが失えば、どちらかがやり返す。等価交換のような闘い。
しかし、力ある竜といえど、その手数には不利を突きつけられてしまっているのは間違い無い。オルメがほぼ肉弾戦を強いられているのに対し、後方に方陣を布く魔法部隊によって重圧を掛けられている。
一体いつ拮抗が崩れるか分からない。堅実な闘いぶりを見せる聖騎士団に対し、オルメの方にはそんな不確実さが残っていたのだった。
『ど、どど、どうしようどうしよう……』
カーリはキョロキョロと狼狽えた。
妖精である自分に、この戦場に加われる出来る力は無い。
戻って、主人であるネラプにこのことを伝えるか。
しかし彼は『おんなのこ』も探さないといけない。どちらを優先するか、どう動けば最善か、判断を迷っていた。
『あっ────!』
しかし────そのカーリの視界に、捉えるものがあった。
それは、オルメ側に鍾乳石の陰に縮こまる、ブルブサとマニ。
そしてブルブサの背中に、身を寄せて顔を伏せて耳を塞ぎ怯えている────
『いた! おんなのこ!』
カーリは少女────モニーのことを知らなかったが、間違いないと確信した。
ここにいる聖騎士を除き、こんなところにいる人間など、他にいない。
どうやら彼らはオルメに守られているためか、怪我らしい怪我をしているわけではないらしかった。
カーリがほっと安心していると、そのすぐ横を、血肉の詰まった片腕が吹き飛んできた。
『ひゃあっ! おたすけ〜!!』
恐れをなし、カーリは逃げる。
その自慢の羽を以って、上へ上へと、ぽっかり空いたままの天井の大穴へ。
『しっ、しらせなきゃ! はやくしらせなきゃ!』
◼︎◼︎◼︎
ネラプは、森の中でモニーを探していた。
普段は絶対に外さない包帯を取り、しかし目で捉えてはその瞬間にモニーが死んでしまうため、手で薄く視界を隠している。
「モニー! どこだ、モニー!!」
叫んでから、耳を澄ませる。
この静かとされる一帯でも、人間の息遣いを感じるのは存外難しい。葉擦れの音、木立の軋み、違う動物の物音など、音は無くならないからだ。
息を切らし、肩を揺らす。
元々体力や力は無いのだ。森のあちこちを突っ走っていれば、そうなるのも当然であった。
ネラプはそれでも探し続けた。
懸命に、懸命に。
駆けて、声を張り、耳を傾ける。その繰り返し。
何が彼をそうさせるのか。
何が彼をそう駆り立てるのか。
ネラプは動きながら、自問する。
今の己を突き動かす、その原動力とは。
『ごしゅじんさまー!!』
何度叫んだことだろうか。
「カーリ、どうだった!?」
『いた! いたよ、おんなのこ!』
カーリが息急き切ってそう声を荒げる。
果たして妖精に疲れがあるのか、息を荒げるということに意味があるのか、ネラプには分からない。
分からないが、カーリがここにいる誰よりも頑張っていたことだけは分かる。
「いた? って……まさか、あそこに!? 何でそんな……!」
森の中心まで、モニー一人でどうやって────と疑問が湧き出るのも、その経緯を知らないネラプには無理の無いことだろう。
聖騎士団が向かった場所に、竜の住処に、モニーが。
危険だ、もはや一刻を争う。
『でも、オルメちゃんもたたかってて、その、とにかくあぶなくて……!』
「も、モニーは無事なのか!? ブルブサとマニは!?」
『えっと、オルメちゃんががんばってるよ! みんなをたすけてあげてて、かなりつらそうだったけど……とにかくやばいの!』
竜気不足のせいだ。
やはりオルメの言う通り、勝てないのだ。このままでは。
「…………」
────それを自分は、こんなところで何をやってる? 逃げよう? 違うだろ。
────行かなくては。
────行かなくては。
────行かなくては。
────行け……行け!
「……分かった。カーリ、ありがとう。本当によくやってくれた」
……もう、手で隠す必要は無い。
おもむろに、静かに、丁寧に、大切に、慎ましやかに、優しげに、哀しげに、
眼を、開いた。
その、静寂の闇に光る
「…………」
別に、何か吹っ切れたわけではない。
この眼を受け入れたわけでもなく、胸中に渦巻く葛藤の、明確な落とし所を悟ったわけでもない。
動かないと、何かしないと、失ってしまうと分かってしまったから。
失いたくない大事なものと、そうじゃないものに見切りをつけた。それだけだ。少女一人の命と、聖騎士団の命を秤にかけただけだ。
きっとこの苦悩は、自分が生きている限り終わらない。
これから先もずっと悩み続けて、
背負い続けて、
抱え込み続けて、
共に生き続けていかないといけない。
それが、自分にとっての『生きる』ということだ。
そしてまた────忘れないこと、忘れてはいけないことを、これから自分は増やしていく。
────自分が人間なのか魔物なのか、どちらなのかは分からない。
────眼で見ただけで生き物を殺せるのだ。あるいは魔物よりもずっと化け物なのかもしれない。
────けど、今だけ。この夜だけは。
────誰かを守れる
「……行こう」
────踏ん切れ、化け物!!
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