第16話:ウッド家


 レンとモニー兄妹の相手もそこそこに、ネラプはウッドのいる工房に向かった。


 工房と言っても、職人が使うようなちゃんとしたものではなく、家にくっ付いた作業空間といった風体だ。ここでは仕切りや農場の柵などの補修と作製を手掛けている。

 雨風をしのげればそれで良いと言わんばかりの造りで、奥に細長い。壁には作業工具が乱雑にぶら下がっている。


 しかしその中で目を引くのは、その作業部屋の奥に置かれた大きな石窯だ。

 これはこの付近ではなかなか見られない立派な設備であり、近隣の住民にも、半分共同としてよく貸しているのだと言う。

 かく言うネラプも、その一人だ。


「え、こんなにたくさん貰っちゃっていいんですか?」

「……ああ」


 ネラプの手元に渡される、ズッシリとした重み。ウッドの手によって調理された、獲物の数々が詰まった皮袋、そして血抜きの際の血が入った大瓶だ


 前に来た時、受け渡した獲物の加工した物を、どうやら半分以上寄越しているようだ。今までの取引からしたら、ウッドの大奮発と言える。

 窯の借り賃と手間賃を考えたら、破格の分配だ。ネラプ自身の燃費が良いこともあるが、これなら十日は持つだろう。


 ネラプだけの食糧ではないため、貰えるに越したことはないのだが……こんなに貰ってしまってウッド達は大丈夫なのだろうか、と逆に不安に思った。


「……そろそろこっちは収穫時だ。しばらくは、お前に頼らなくとも何とかなりそうだ。その間に、うっかりお前さんに死なれちゃ困るんでな」

「へ?」


 素っ頓狂な声を上げるネラプ。それに一瞥することなく、ウッドは作業しながらこう話した。


「……レンとモニーの面倒を見てやってくれてるんだろう? おかげで助かってる、俺も邪魔されることなく俺の仕事が出来るからな」

「ああなるほど……でも、程々にしてくださいよ? 俺もいつも来られるわけじゃないし……それにミイナさんが言ってたけど、モニー、寂しがってるらしいですよ」

「……気を付ける」


 そうおざなりに言いつつ、ウッドの視線は目の前の作業机に釘付けだ。

 確かにこうして黙々と作業しているウッドの背中は格好良くてネラプは好きなのだが、年端もいかない娘(モニー)が理解するにはなかなか難しいだろう。


 やれやれ、と肩を竦めた。


「とにかく、ありがとうございました。またお世話になります」

「……そうか。また頼む」

「こちらこそ」

「……それにしてもネラプ、お前さんはは毎度ここに間違うことなく来ることもそうだが、その目でどうやって狩りが出来ているんだ? それもあの危険な『白の森』で……」

「あはは……まあ、企業秘密ってことで」

「……まるで魔法みたいな奴だな、お前さんは」


 眼のことを言えないネラプは、曖昧にそう答えた。


「大丈夫ですよ、色々気を付けてますから」

「……そうか。まあ、無理はしないようにな」

「? ええと……はい。分かりました」


 この時、ネラプは眼の能力で事故や殺しすぎないように『気を付けている』という意味で言ったのだが、ウッドは、身の安全という意味で『気を付けている』のだと誤解し、両者の間で謎の食い違いが起こっていた。

 もっとも、ウッドもそれを深く突っ込める程、口上手ではなかったが……。


「……あと、そのお前が持ってる紙は何だ? 何が書いてあるか分からんが」

「……それ、絶対モニーの目の前で言っちゃダメですよ」


 その言葉に疑問符を浮かべつつ、ウッドは首を傾げた。



◼︎◼︎◼︎



 ネラプは、視界の悪さや見えないことを怖がらない。


 むしろ闇があればあるだけ、より全身が生き生きとしているのを自覚していた。

 暗い森の中と、唯一の光源である真っ赤な月明かりがあれば、我が家のように落ち着ける心地さえした。


「ここまで来たら後は分かるから、先に帰ってていいぞ」

『キイーッ』

「ブルブサとカーリで仲良く待ってるんだぞー」


 周囲を飛んでいたマニにそう呼びかけると、鳴き声をあげて住処の方へ飛び去る。


「さて、と……」


 もうすっかり、森はネラプの庭同然だった。

 ほとんど見えなくても暮らしていける。もちろん彼にも生活があり、猟のためにずっととはいかないが、眼に頼り切ることを控えるようになった。


 これも、バナージがいなければ思いもしなかったことだ。

 眼の能力、そしてその危険性。例え人気のないこの森の中だろうとどこだろうと、何の考えもなく晒していいものではないと学んだのだ。


「確か、この辺りに……」


 ネラプは、前日仕掛けた罠を探していた。

 罠と言うのは、ウッド自信の試作品だ。

 誰もが近付きたがらないこの『白の森』は未踏の地であり、立派な調査区域だ。ウッドのような人間には興味が湧き、腕が鳴るのだという。

 そうした訳で、その成果を分ける条件で、ありがたく使わせてもらっている。


 しかしこれは、自分達の分ではない。

 魔狼達の分である。


 モンスターである存在に施しを与えるのかと疑問は尤もだが、ネラプはあることを問題視していた。

 ネラプの眼は、既に森の脅威として獣の上位に立っている。もはや今洞窟に住まうネラプ達には、恐れられていた。自分達が残忍なことに頭を使うモンスターなら、尚更その脅威は痛感しているだろう。

 ネラプ達の安全は保障されている。しかしそれでは駄目だと気付いた。


 モンスターが森を去り、森以外の場所に移動してしまうこと。それを避けたかった。

 もし彼らが森を下り、ウッド達人間が住んでいるところへ襲ったりしたら、目も当てられない。

 ネラプが選んだのは、彼ら魔物達とも共に生きること。

 魔狼の他にも、化け茸スクイッグや沼蛇、野ウサギにガマガエル、闇蜘蛛シェロブなどなど……この森に住んで一年弱、同じく生息している動物の生態系もよく分かってきた。

 ネラプが目指すのは、そんな生態系を乱さない共存だ。


 よくもそこまで気が回るものだと、自分自身呆れたものだが、彼は学んだ。

 自分の眼の脅威とその影響力を。

 自分のために、自分の能力のせいで誰かを傷付けたくないネラプだからこその発想だった。


 こんこんと泉の湧く音が聞こえてくる。

 ネラプにとって、音は目印だ。罠をこうした分かりやすい道標の元に仕掛けることは自明の理と言えた。


 そして────



「きゃっ!?」

「っ、え……っ?」



 罠を探して藪を掻き分け、泉に辿り着いたその時、ネラプの耳に、今までない音が聞こえてきた。

 それは、ミイナやモニーに近しい、澄んだ女の声だ。


「────っ、な、何者だ!」


 打って変わって、相手は凛とした声を張る。


 だが一つ、言っておこう。

 ネラプが目を塞いだのは、決定的な愚行だったと言わざるを得ない。嗚呼まったく、あまりにも、あまりにも愚かしい。


 そこにあるのは、温かな大地と豊かな丘陵。

 そこにあるのは、全てを包み込む優しさと力強さの『母』の象徴。


 そこにあるのは────艶ある神秘、この世の桃源郷おっぱいぷるんぷるんだったというのに。それを見逃したのだから。


「えっ……えっ」

「……子供? それに、その包帯は……」


 水で濡れた長いブロンドの髪がたなびく。

 裸を見られているわけでないと分かると、どこか涼しげな狐目が、ネラプを捉えた。

 女は、泉で沐浴をしていた格好、つまりはほぼ産まれた時の姿のまま、手で局部だけを隠していた。もちろんその様を目撃(?)したネラプには、そんなこと知る由もないが。


「あっ、ええと……そこにいるのは、だ、誰ですか?」


 そんな彼女の名前は、グロット=イリオンと言う。

 この出逢いから後々まで、ネラプとは宿命と呼ぶに等しい因縁を紡ぎ出す者の名だ。



◼︎◼︎◼︎



『ごしゅじんさま、おそいねえ〜』

『ブモ〜』


『白い森』の中心に座する洞窟、『竜の巣』奥の地下。

 自分達の主人であるネラプが帰ってこないことに、ブルブサ達は気掛かりに思いながら待っていた。


 牡牛のブルブサ、コウモリのマニ。

 そしてこの一年弱で加わった、新たな仲間が彼らの中で一際騒がしく振舞っていた。


『ちょっとあんた! ほんとにちゃんと、ごしゅじんさまをみちあんないしたんでしょーね?』

『キイッ!』


 心外な、とばかりに一足先に戻っていたマニが、『その存在』に向かって鳴く。

『それ』はマニと同様、宙を飛んでいた。いや、飛ぶというよりもそれは『浮いている』と言った方がいいだろうか。


『あーあ! だからしゃべられないこーもりより、よーせいのあたしがついてくほーがよかったのよ!』


 キイキイと小生意気な金切り声を上げるそれは、人間ではない。

 小粒の淡い青い光に蝶のような羽根が生えた、生き物とは風体の異なる物体。


 彼女(?)はカーリ。自分で名乗っている通り、喋る妖精である。

 妖精は自然の生気からマナという一つの形に凝縮し、自我を得た存在だ。

 基本特別な力はなく、生存競争においては植物同様低次に位置する。そして喋られるまでの妖精に昇華するには、長い年月が必要となる。


『キイッ、キイキイ!』

『うっ……そりゃ、もりのやつらはこわいけどさ……』


 そう言うと、カーリの羽ばたく羽根がブルッと震えた。


 カーリは外からこの『白の森』まで彷徨った時に、今や鎮静化しつつある魔狼の標的に遭い、そこでネラプと出会った。それが今から一ヶ月程前のことである。

 ネラプに助けてもらい(ネラプ自身ににそんな意識は無かったが)、以降『ごしゅじんさま』と呼んで懐くようになったという経緯がある。


『ブモッ、ブモッフ』

『ごしゅじんさまならだいじょーぶって? でもなー、あたしは────』


 カーリが舌ったらずな調子で、コウモリ相手に大人気なく言い争いの応酬を続けようとした。

 その時だ。


『……?』


 彼らのいる洞窟が、サッと、星月のある外の夜よりも暗くなった。


 皆一様に、上を見る。


 ブルブサ達がいる開けた地下中枢は、天井が高い空洞となっている。

 そして実は、地表を隔てる薄い岩盤は、深い亀裂が走り、その隙間からほんの僅かに外の様子を拝むことが出来る。

 尤も、空洞自体はかなり深いため、ここから登っていくことはもちろん、昼間でもネラプに支障が無い程に陽の光も漏れ入ることはない。夜目の利かない人間ならば、松明を持ってこなくてはままならないだろう。


『なに……あれ……』


 だからこそ、彼らは気付いた。

 


 激震が響いた。地下とその空気にも伝わり、ブルブサ達はその場にいることしか出来なくなる。

 その『何か』が、上の地面に着地したのだ。この洞窟の天井がたわみ、音を立てる。パラパラと土砂が降りてくる。


 逃げなくては、潰れる。

 いやそれ以前に、


 野生の勘が動物達に働いたと同時、遂に────瓦解した。


 咆哮。

 そして。


 卵の殻を破るように、地盤を粉砕し瓦礫を撒き散らし、巨大な『何か』が迫り来る。




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