第21話:オルメ


「あ……しゃべ……っ、え……?」


 何度か人の話にも出てきた、ネラプでも知っている伝説的な存在。


 正真正銘、話通りの竜が、今この目の前にいる。もちろんながらトロールよりもずっと大きな、威風溢れるその佇まい。己の肌と全身で感じる、その圧倒的威圧感に押しつぶされそうだ。


 膨らんだ蛇のような胴と、鎧のように堅牢で、びっしりと生えた鱗。そしてナイフのようなかぎ爪を持った手脚。何もかもを上から見下ろすような黄色い瞳が、恐怖という感情の底の底を焦がさんばかりにこちらを睨めている。

 

 チロチロと細長い舌が別個の生き物のように伸び、吐く息は熱を籠っているのか離れていても熱い。


『お主……その眼から、何か妙なものを感じるぞ。得体が知れん』


 その竜が、ネラプにも分かる声で喋っている。

 そもそも竜が喋られることも知らなかったが、それよりも。


「何で、また……」


 ネラプに蘇る、いつかの出来事。


……?」


 ────眼の不能。

 しっかりとその視界に入れているのに、この竜にはまるで効いていない。


 それはまるで、バナージの時のように。


『フン……鬱陶しいの。取り敢えず────


 竜の爪が、風切り音を立てて空を走った。

 本当にたったそれだけ。


 何の前触れもなく、

 何の覚悟もなく、

 何の予断もなく、



 一瞬をも許さぬ刹那に、ネラプの首が刎ねられた。



◼︎◼︎◼︎



「…………」


 片のついた剣を、ピシャリと振るい落とした。

 地面に吸い込まれるようにして、剣身に付着した返り血が振るい落とされる。


 その傍らには、裂傷が幾度とも無く刻まれた大トロールが横たわっている。腕は取られ、片目を毟られ、それは無残な死骸。

 一度蘇ったそれは、ズタズタにされ、今度こそ蘇ろうとも動けまい。


 グロットは、ふうと息を吐き、額を濡らす汗を腕で拭った。

 この大きさ程のトロールともなれば、本来訓練を受けた聖騎士が、数人がかりでやっとまともに闘えるモンスターである。


 だが────それは本来の力を発揮していればこそ。

 屍蝋化し、内臓脂肪は内側から腐り、結果見た目とは裏腹にその身体は軽いものになってしまった。


 耐久こそあったが────グロットという手練れにそれは何の苦労を与えなかった。


「まさか奴が、か」


 それはもう問題ではない。

 今新たに浮上した問題は、トロールよりも険しく、大きい。

 一つは勿論、竜の帰還。


 そしてもう一つは────



……



◼︎◼︎◼︎



「……俺」


 目が覚めた。


「俺……死んだはずじゃ」


 いや、死んだ。

 間違いなく死んだ。まさにその瞬間の記憶こそ飛んでいるが、それくらいの分別はつくものだ。


 飛んだ首に手をやり、繋ぎ目も一切無く胴と繋がっていることが分かった。


 そしてそこで、更なる事態に気付く。


「左手が…………?」


 切り飛ばされた左肘から上も、元に戻っている。何事も無かったかのようだ。

 身体も、血に汚れていること以外は何ともない。


『キイッ、キイー!』

『ごっ、ごしゅじんしゃまぁ〜!! よかったよぉ〜!!』

「うわっ」


 途端、ネラプの周りは賑やかになった。

 マニとカーリの飛行コンビが、ネラプに纏わり付いた。起き上がったネラプを心配していたことが分かる、泣き縋りだ。


『モテモテじゃな』


 そして直後に、身を震わすような高みの声が聞こえてきた。


 声の主はすぐに分かった。

 自分を殺した竜だ。そう離れていない場所で、身体を器用に丸めてそこにいた。


「りゅ、竜……!!」

『安心せい、もう殺しはせん』


 その言葉を裏付けるように、巨体を放り置くようにして、どこか寛いでいるように見えた。

 言いようのない殺気とは真反対の弛緩の空気というか、億劫そうな雰囲気を感じた。


『そこな忠義の下僕に、感謝することじゃなぁ。ほれ、そこに』

「え……?」


 竜がギョロリと瞳を動かし、ネラプにその方向を教えた。

 釣られてネラプは、そちらを見た。


「!! ブルブサ、その脚……!」


 そこには、身体を横たえさせ、そして千切れた足首から血がゆるゆると流れている光景があった。

 脚がない。欠けた脚が、痛々しく、眼に焼きつく。


『その牛は、首が飛んだお主がために血を流したのよ。その右脚を、自らの歯で噛み千切りおった』

「俺のためなんて……ど、どうしてそんなこと……!!」


 ふらつくのも気に留めず、ブルブサに歩み寄った。

 屈み込み、その欠損に触れた。


「痛くは……なかったか? いや……そりゃ、そうか。死んでるんだもんな」

『ブモー』


 動けない代わりに、パタパタと尾っぽを振って、気にするなとばかりに一鳴きする。

 カーリもマニも、ブルブサの傍を心配そうにクルクルと飛び回っている。

 ブルブサ自身が一切の苦痛を感じていないのは、一応の救いだった。


『一度はお主のことを殺したが、気が変わった。お主は生かしておいてやる』

「……どうして、です?」


 その元凶が、ネラプに話し掛けた。


『な、なによあんたー! ごしゅじんさまをころしてブルさんがこーなったの、あんたのせいじゃない!』

『フン、妖精風情が妾に口答えするでない。そもそもその前に、こやつの眼で殺されそうになったのは妾じゃ。殺そうとしてきた者を殺して何が悪い』

『ぐぐ……! で、でももっとまえにあんたがあたしたちがすんでるところにこなきゃ────』

「カーリ、止めよう。それ以上は言っても仕方ないよ」


 ごしゅじんさま〜と情けない声で縋るカーリを優しく撫でてやる。


 散々その恐ろしさを言い聞かされてきた竜を、眼があるからと甘く見ていたのは自分だ。

 バナージも言っていたことではないか、竜は眼を持つ自分でも敵わないと。それも忘れて調子に乗ったのでは、殺されるのは順当な結果だ。


 カーリが言ったような怒りが無いと言えば、それは嘘になる。

 しかしどちらかといえば、ブルブサにこんな真似をさせた、自分への不甲斐なさの方が勝っていた。


『妾はな、お主に興味が湧いたのじゃ』

「興味、ですか……」


 それに怒ったところで、相手は竜。

 眼も何故か通じない、爪の一掻きで首が飛ぶ。こんな相手に勝ち目は無い。


 今は相手の話を黙って聞く他、仕様がなかった。


『妾の名は、オルメ。オルメ=ド=ヴァインシュプ。見ての通り、竜じゃ』

「俺は……ネラプと言います。竜のことは……知ってます。よく耳にしますから」

『フフン、そうじゃろそうじゃろ。ウァインシュプの竜の恐ろしさと言ったら、そりゃあもう、直接妾を見た人間が絶望のあまりに自ら舌を噛み切る程じゃ』

「…………」


 あっけからんと、壮絶なことを自慢気に話してくる。

 そしてそれは虚言では無いのだろう。確かにそうしてもおかしくない威圧を、このオルメから感じる。


『竜としては実に誉れ高い自慢話じゃが……やれやれ、失礼な話じゃと思わんか? こんな立派な「れでー」を捕まえといてよ』

「はあ……」

『なぁんじゃ、その気の抜けた返事は』


 だからこそ、どこか拍子抜けしてしまったところもある。

 いわゆる人伝いの史実では、最強最悪の二冠を有する生物だとよく引き合いに出されるものだったから。


「ああいえ、結構人間みたいに喋るどころか、名前まであるんだなと思っただけです」

『お主今しがた死んだというに、随分と軽いの』


 間髪入れずに殺したのは誰だ、と突っ込みたかったが、そこは堪えた。

 そんなことは、この不可解だらけの現状に比べれば瑣末なことだったからだ。


「……そうだ。俺は一体、何が起こった? 俺は確かにさっき首を切られたんだ……それに手も。ブルブサは、何で脚を……それで……それに……」


 一度考え出すと、疑問の奔流は止まらない。

 それは正確には思考ではなく、湧き出すあらゆる疑問を機械的に吐き出して、思考の真似をしているに過ぎない。


「それに……そ、そうだ。どうして、眼が……」

『ええいやかましいのう! 子供のように疑問ばかりねだるでない!』


 面倒臭いとばかりにと深々と鼻息を鳴らし、怒られてしまった。

 思わずネラプがシュンとしていると、


『……やれやれ。煩くて仕方ないし、教えてやろうか。お主が死んでいる間にあったことを』


 特別じゃぞ、と言い置いてから、オルメは静かに話し始めた。


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