第20話:一難去って
少し、この『白の森』と呼ばれる所以、過去の話をしよう。
この『白の森』は、数百年前は活火山の麓に広がる森林地帯であった。
火山からは時折灰が噴き、その度に周囲に降り積もった。
そんなある時遂に、山は稀に見る大噴火によってその形を自ら吹き飛ばした。燃えたぎる
それが現在の『竜の巣』である。
さて、噴火後そこには、勾配のある丘陵地があるだけであった。
しかし長い月日を経て、森はまた噴火以前の緑を取り戻していた。
大地の怒り────噴火の恐れも無くなり、人々はその近辺に営みを作り始める。
森がまだモンスターが住み着いていなかった頃。とある坑夫が森を訪れ、驚愕した。
掘るとなんと、自分達の住む黒い土ではなく、白っぽい土が出てきたではないか。
原因を知れば、それがたわいも無い、かつての火山活動による凝灰岩と分かるだろう。
しかし事実は人から人に伝わり、複数の思想や宗教に絡まれ、そして何よりもそこにはかつて竜が住んでいたこともあって、それは地母神ガインの祝福から外れたせいだとした。
いつしか人々は土地そのものが呪われたのだとして伝えられ、この忌むべき場所を『白の森』と呼ぶようになった。
そしてこの環境は、ネラプの能力を存分に発揮出来るものでもあった。
◼︎◼︎◼︎
「大トロール……!? 馬鹿な、情報ではもう森にはいないはず……!!」
グロットの驚いた声が聞こえる。
死体が動き出した瞬間を目撃すれば、それは確かに眼を疑う光景だっただろう。
侮っているのは、目に見えて明らかだった。
そしてそれは間違ってはいない。眼が無ければ、ネラプ自身の強さなんて知れている。
だから思い出したのだ。
数ヶ月前、人間を遥かに上回る脅威をここに埋めたことを。
自分の血が、ブルブサやマニにしたように、死体ならどんなものでも蘇らせることが出来ることを。
「今だ、ブルブサ!!」
『ブモッ!』
ネラプ達にとっては、今はまさに逃げる好機。すぐさまブルブサの背中に身を滑らせ、この場から逃げ出した。
これでグロットは、このトロール・ゾンビを相手取らなくてはならなくなった。
しかしそれにしても、数ヶ月前に遺棄した死体が、時間を経ても朽ちることなくなおも身体を残しているものだろうか?
そこには幾つかの理由がある。
そもそも土中への埋葬は、死体の腐敗わ促進するどころか、その防腐を助けるものである。
外気に触れることなく、それによって分解を助ける蛆やハエが集らない。土中より漏れたこの腐敗臭によって、魔狼達も掘り返して食べようとは思わない。
これによって、外側の肉体が一向に腐らない。今の腐敗臭は、腐敗菌とは別の、内臓の細菌が起こす腐敗によるものだ。
さらに『白の森』の所以である凝灰岩は、その層に地下水を含んでおり、死体の腐敗の進行を更に遅める傾向にある。
埋めた死体の腐敗は、本来のそれよりも遥かに遅々として進み、数ヶ月を過ぎても身体は見た目からは腐ったように見えない。
結果ここに、比較的綺麗に形の残る半屍蝋体と化したトロールが現れたのだ。
「クソが……! 計ったか!!」
吐き捨てるグロットの声が遠のく。
今度こそ逃げ果せる。
そう息をつきかけた時だった。
「ネラプ、せいぜい今は助かったと思っていればいい! ここの危険性、竜の帰還、そしてお前の『正体』!! 野放しにしておけん! 直に我らが聖騎士団が、お前達を滅ぼす……いや」
遠ざかり、徐々に小さくなるその声には、
「────最後にその首根に剣を突き立てるのは、私だ! 覚えておけ!」
単なる負け惜しみと笑えない、深い敵意と殺意が宿っていた。
◼︎◼︎◼︎
森を出て、こうして帰ってくるまで、恐ろしく長い時間が経った気がした。
ネラプ達は、グロットに見つからないように迂回しつつ、竜の巣に帰ってきた。
「はあ……はあ……」
ネラプは腕から血を流し過ぎ、今や瀕死の状態だった。
『ンモウ……』
「だ、大丈夫だから……」
ブルブサが、心配して背中のネラプに鳴いた。
今のネラプは乗るというよりも、完全にもたれかかっている。ネラプもブルブサも、もう血塗れだ。
「ゴメン、俺の我が儘で苦労させたな……カーリとマニにも」
『ブモウ』
「ああ……竜、か」
『ブモブモッ』
「……竜が、ここに?」
ネラプは竜がこの洞窟奥に現れたことを今知った。
それどころではなかったせいで、聞きそびれてしまっていたのだ。
「いや大丈夫……竜でも……相手が人間じゃないなら……まだ、やれる。ウサギとか、魚と同じだ」
しかし、行かないわけにもいかない。
自分達の住処はここだ。一応備蓄もある、生活出来るところはあそこにしかない。
日が昇れば、ネラプは光を逃れてもっと奥に引っ込まないといけない。
そうでなくても森にはグロットがいる。次に出会えば、今度こそ殺されてしまう。
「やらなくちゃ、いけない……よし」
出来る限りのことはしたいが、もう選択肢は無い。
食料調達の時とやることは同じだ。
人間だけはまだとても出来そうにないが────竜は、この眼で殺す。
殺したいのではない。殺すしかないのだ。
「……行こう」
開かれたネラプの瞳が、紅く照る。
ブルブサはゆっくりとした足取りで、洞窟の中に入っていった。
この洞窟は、いつも暗い。
長いこと住んでいるから、ネラプには慣れたものだ。
だからこそ分かる。
この住処の暗さは外以上。ネラプが好む、闇の中の闇。
しかし、今は。
「……あ……」
ネラプは、見た。
そこにあるのは、もはや外と変わらない、羽衣のように降り注ぐ淡い夜光。
そして────
『────なんじゃ。お主は』
巨大な竜が、薄い月明かりの中に身を潜め、佇んでいた。
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