第19話:戦い
「ぁああ!! ああああああアアアア!!」
左の肘から先が、ふっと軽くなり、そして燃えるように熱くなった。
「いた、イタ、痛い、痛いぃぃ」
痛いかどうか、実際のところネラプ自身分からなかった。
痛みを感じる余裕など無かったのだ。ネラプの口が、勝手にそう話しているだけに過ぎない。感じていることと言葉の綾が、結びつかない。
ただ、伝わってくる腕の消失がショックで、熱くて、ドロっとした血が溢れて止まらない。
その左腕骨の髄まで見える切り口と背筋にだけは、氷が当たるようなシンとした冷たさが灯っていた。
「ううっ、ううー、ふぅー……っ!」
「……長く時間はかけない」
ネラプは足を縺れさせ、地に横たわっている。
そんなネラプを前に、グロットの声音は冷え冷えと凍っていた。
「苦しまないよう、せめて楽に殺してやる」
彼女が本気なら、本当にそれは容易いことだろう。
『ごしゅじんさまぁ!』
『ブモブモッ!』
この状況から打開する、分かりやすい方法が一つある。
ネラプのその眼で、射殺せばいい。たったそれだけで終わるのだ。
────眼で
────力量差を見て舐め腐っているこいつを、容易く殺してみせろ!
「……俺……俺は────」
その時だ。
────もっと色々欲張っても、許されんだろ。
────逆にお前こそ、今、何のために生きてんだ?
脳裏に、懐かしい声が蘇る。
それは所謂走馬灯の一種だったのか、ネラプには分からない。
────それでも、お前は『生きてる』んだって……見てて思うんだ。
しかしその声は。
今なお彼の中にある、確かな道標だ。
途端、力が湧いてくる。
しかしその力は、眼の力からの囁きとは違う声によるものだ。
その声が、ネラプを導く。結果、恐怖という感情とは、違う方向に思考が振れた。
肩を上下させ、立ち上がる。見るからに頼りなさげで、苦しそうだ。
そしてその両眼は、無事な右手によって、何も見ないように隠されていた。
「それでも俺はっ……〝死にたくない〟……!!」
眼は、使わない。
使わずして、この場を切り抜けてやる。
そう決意した。
「……そうか」
鬱陶しく飛び回るカーリを追い払うと、グロットは迷い無く長剣を大上段に構えて────
『キイイーッ!!』
「なっ!?」
そのすぐ目の前を、今度はコウモリのマニが横切ったのだ。
今まさに振り下ろさんとネラプを見据えていたグロットは、流石に動揺し、剣先が揺らいだ。
「クソッ、ま、まだ居たのか!? このっ!」
剣を振るも、夜の帳を受けてその刃を躱す。空に逃れたマニに気を取られた。
「っ、ブルブサ……!!」
その自分に対する殺気が逸れる気配を感じ取ったネラプの行動は早かった。
ブルブサを呼び、その背中に乗る。ネラプの身体を乗せたブルブサは、すぐさま走り出した。
「カーリ、マニ……! クソッ、ちゃんと帰って来るんだぞ!」
「逃がさん!」
グロットの怒号が、ブルブサに乗ったネラプに追い縋る。
目標はやはりネラプのようだ。一時的に離れたとはいえ、追いかけて来る。
地の利はネラプ達にあっても、身体能力は雲泥の差だ。
それにブルブサは牛だ。本来人を乗せて走るには不向きであり、ネラプの容体を慮ってしまうと、それは追いつけない速度ではなかった。
「はあ……はあ……!」
血の筋が後ろに靡く。
このくらい森でも分かる程、それはくっきりと模様を残している。
まさしく最悪の追いかけっこだ。
絶体絶命。
まさにその言葉が相応しい状況下だった。
「────ま、待った……! ブルブサ……そっちじゃない……!!」
『ブモッ?』
しかしそこで、ネラプが動いた。
息も絶え絶えに、しかし一つの天啓を得たとばかりにその語気は強い。
角を引っ張り、方向転換を要求した。
「俺に……考えがある! あそこに……あそこに連れてってくれ……!」
『ブモー!』
ブルブサはその指示を、迷い無く実行に移した。
そして住処である竜の巣とは真反対の方向へ、二人は駆けた。
◼︎◼︎◼︎
グロットは牡牛の足跡と血の跡というこれ以上無い手掛かりでもって、追跡を続けていた。
邪魔と視界の悪い木立のせいで姿は見えなくなったが、問題無い。そう遠くには行っていないと確信があった。
「藪が多いな」
剣を払い、茂みの多い獣道を行く。自分の荷物の置き場に戻る道を忘れないように気を付けながら。
そうして、見つけた。
ネラプと、ブルブサと呼ばれた牡牛が足を止めていた。
グロットの方を向かず、ネラプは地面に屈み込んで何かをしている。牡牛はその様を守るように前に立ち塞がっている。
が、とても騎士である自分と対抗出来る構図とは思えない。
追い詰めた者と、追い詰められた者の構図だ。
「…………」
「観念したか」
それはそう納得出来るとして、一つ彼女には気に掛かることがあった。
臭いだ。
魚を腐らせた時のような、心持ちが悪くなるような臭い。
最初は死んだ牡牛のものかと思った。が、場所に近付く度に、鼻をつまみたくなる臭いが包む。
込み上げる胸糞悪さと、ネラプの往生際の悪さでいい加減苛つきながら、グロットは言う。
「お前には危うく騙されるところだった。あまりに力が無かったから」
グロットが少しの間、ネラプと居て悪くない感情を覚えていたのは少なからず事実だ。
相手の感情を操って親しくなり、隙を見せた時に餌食にする魔物がいるという話は聞いたことがある。
魔物も人間を襲うために多種多様だ。グロットはそれを知っている。
ネラプもまた、それらと同様、弱小ながら特異な能力を得ているのだと考えた。
「私が尽くすは、我らが聖教会と愛すべき信徒達のみ。地母神ガイン様の導きを給う者達のみ」
彼女に出来るのは、いつでも聖騎士グロットを保ち、敵への情を捨てることだ。
今まで幾度となく、そうしてきたのだ。
「不浄の身体は地に還すことで、ガイン様の御手によって溶け落ち魂は解放される、と教えにある」
「…………」
「ネラプ……だったな。お前も来世は、正なるものに生まれ変われるだろう」
「……グロットさん」
ふと掠れた声が、グロットの耳に届いた。
「貴女は一つ、勘違い……してますよ」
「……何?」
グロット眉根が持ち上がった。
取るに足らない
柄を握り直した。その言動に取り合うつもりは無かった。
だから、それまで気付かない。
「俺は……諦めてなんかいません。確かに俺は、貴女よりずっと弱い……けど……でも諦めるわけには……いかないんだ」
ネラプの思惑に。
ネラプが見出す、生きる執心の強さに。
「だから────少し、覚悟してください」
その言葉が終わると同時、変化が起こった。
ネラプのすぐ傍の地面が音を立て、隆起し、そしてこの『白の森』の所以たる白土を吹き飛ばしたのだ。
「こ、れは……!?」
グロットは驚愕した。
目の前で、巨大な腕が生えた。
加えて力に任せて地面を跳ね除かれ、ネラプよりも数倍の大きさはある巨躯の影が、のっそりと起き上がった。
『それ』は、人間には出せない怖気の走る低い声で唸った。
『それ』は、人間にはない太さの腕と膂力を有していた。
『それ』は、あらゆる魔物の中でも有数の巨体を特徴としていた。
ここに来てずっと感じていた臭気が増す。
「────地から這い出ろ!! トロール・ゾンビッッッ!」
『それ』こそが、この場所に臭う物の正体。
腐敗臭だ。
『ゴアアアアァァァッ!!』
あてなく振るった腕が、近くの木に当たる。
たったその膂力だけで、その幹を叩き折ってみせた。
ネラプの叫びに呼応して、かつての『白の森』の主、大トロールが復活の雄叫びを上げた。
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