第18話:来襲
「……何てこった」
ウッドは、己の目で見た物の正体を信じたくなかった。
直接見たことは当然ない。
言い伝え、伝承の中での災厄として描かれるものを、聞かされたことはある。
しかしそれはあくまで、空想上の存在だった。
だが────分かる。
「これがそうなのだ」と。根本的で本能的な部分によって理解出来てしまう。
理解し、恐怖の感情を通り抜けたことで、その彼我の存在感が大小の差が、より大きいもののように錯覚してしまう。
ここ一帯を軽々踏み潰せそうな、圧倒的な巨躯を目の当たりにし、呻くように言う。
「……親父殿……アンタの言ったこと、現実のことになっちまったぞ」
ウッドと同様、先の咆哮で目を覚ました彼の家族には、家の中にいるように言い含めていた。
家が安全かと問われれば、分からない。
この何世紀かに一度あるかという大異変を前に、果たして自分達がどうなるのか、見当もつかないのだ。
いっぱいいっぱいの中、ウッドの頭の中にあるのは、もう一つのこと。
今や自分の家族同然である一人の少年の安否だった。
「……無事だろうな、ネラプ……!」
巻き上がる夜半の旋風に足を取られつつ、ウッドは彼の名を呼んだ。
◼︎◼︎◼︎
「馬鹿な……竜の巣などというのは古い言い伝えのはず……」
戦慄を全身に巡らせながら、うわ言のようにグロットは呟く。
「何故、何故……何百年と音沙汰の無かった竜が還ってきた……!? 何故、今……」
竜とは、グロットのような教会の人間でも伝説とされる生き物だ。
古来から人々の恐怖の対象。この世の災い。人の邪悪の象徴として、竜は、そこに在り続けた。
人を呪い、または喰い殺す竜の逸話は数知れず、その力の強大さは語るにも語りきれない。
人々の思想に、宗教に根付くまでに畏れられたその脅威は、人々の歴史と共にあった。
「っ、これはどういうことだ! 言え!」
「し、知らない……! 知らないんだ、俺は何も……!!」
包帯を巻く手を離し、ネラプに詰め寄る。
見える範囲で姿を眩ませた竜にではなく、見える範囲にいるネラプに矛先を向けた。
もちろん、そんなことグロットよりも、世間知らずなネラプが知る由も無いのは明白だったが。
「お前は言ったな、竜の巣に住んでいると! それもつい数ヶ月前から……竜の巣の危険を承知で、だ!」
「それは……あ、アテがないから……!」
「森の外の民家は遠くはない! その盲目で、こんな場所で生き抜くより奉公にでも行けば、よっぽど容易いだろう!!」
グロットの言葉は、脳を介さない衝動的なでまかせにしては、それは意外に的を射ていた。
そう、彼女の付け焼き刃の疑念は正しい。
人の恐怖とは、得てしてその身に触れるものがあって初めて浮き彫りになるもの。
────お前さんはは毎度ここに間違うことなく来ることもそうだが、その目でどうやって狩りが出来ているんだ?
────……まるで魔法みたいな奴だな、お前さんは。
この疑惑は何も、グロットだけのものではない。
ウッド達家族も同様だ。
むしろ『その疑念を心の何処かで抱きながらもなお』ネラプを好意的に受け入れてくれている少数派(かれら)は、得難い幸運だ。
疑い、厭うに決まっているのだ。
身寄りも無い、腕っ節が立つわけでもない、特別な技術があるわけでさえない子供のネラプには、『何かあるのだ』と。
得体の知れない、未知なる術を秘めている────そう弾劾されてもおかしくない。
そしてそれは、結果的に正しい。
しかしそれでも今の信頼があるのは、『今までネラプが彼らにとって無害だったから』に尽きる。
「こんな、こんな大変異……その直前に現れたお前は、その前兆か!?」
「そんな、俺は……!」
そして今、目に見える脅威に晒されたグロットは、謂わばそんなネラプに対して少なからず抱かざるを得ない、正直な疑心の代表者であるのだ。
そしてネラプに、その疑心に対すること明確な答えを持ち合わせてはいない。
「グロットさん、信じてください……! 俺は────」
「答えろ。〝お前は何だ〟!? 答えによってはお前を斬る!!」
まさに一触即発。
敵対の構えを取るグロットに、ネラプの言葉など塵に等しいことだろう。
それは決して、狭量という言葉で片付けられない。時に危険な任務の旅を務める中で培われた確固たる覚悟であった。
『ごしゅじんさまをいじめるなー!』
どう言い訳を立たせるか────そんな時に、彼らの元に現れた。
「うわっ、なっ、何だ!?」
「カーリ!?」
その声ですぐ分かった。
カーリが近くにいる。
帰りが遅いせいで、迎えに来てしまったのだろう。そして間の悪いことに、自分が襲われているのだと捉えてしまったのだろう。
『えいえーい!! やー!』
「よ、妖精……っ!? く、何を……!」
『ブモーッ!』
「牛!? いや、これは……っ」
カーリだけではない。ブルブサ、マニもいるとネラプはすぐ分かった。
戦っている。それも、自分のために。
しかし────
「駄目だ! 今は駄目だ、お前らやめろ! 来るな!!」
「もう遅い!」
ヒョウ、と風切り音が響いた。
その鋭い威圧でカーリが『うわっ』と悲鳴を上げて宙を転がり、ブルブサとマニが鳴き立てた。
「……動く牛の屍。喋る妖精。そして……お前がここにいる」
その瞬間、ゾワリと殺気がネラプの肌を炙った。
「────私の考えは、どうやら正しかったらしい」
一閃、剣が光った。
その一挙動を、ネラプは見ることが叶わない。
咄嗟に半端に突き出した左手が、その凄まじい切れ味を物語るかのようにして────宙に弧を描いて切り飛ばされた。
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