第31話:独白


 ネラプは、オルメに向かって駆け出した。

 どこまでも愚直に、一直線に。

 その動き自体は、とても素早いと呼べるものではない。先程まで鎧を引っさげて闘っていた兵士達の方が、よっぽど機敏と言えた。


 戦法も無い、策も無い、向こう見ずにも真っ直ぐ走ってくる。いくらオルメが弱っていると言えど、自殺行為としか思えない。


『チッ……!』


 その行動に、もはやネラプの正気を見出すのを諦めた。正気とも狂気とも取れぬ感情欠如が、不気味でもあった。

 とにかく動きを止めるのだ。幸い、ネラプには再生能力がある、かなり手荒になろうとも構わない。


 オルメの尾の先端が、一閃、ネラプの足の付け根を貫いた。もちろん、その足は骨ごと砕き、食い破られた。

 体勢を大きく崩すネラプ。しかし、倒れない。

 速度を落としたものの、直進を止めない。


 次の爪撃が、ネラプの胴を袈裟斬った。内臓にも達したその一撃は、しかしネラプを押し留めるに至らない。

 もう一撃、今度は右の腕が飛んだ。血が吹き出るも、ネラプは意に介さない。

 もう一撃、片目が顔面半分ごと抉り抜かれた。喀血するが、しかし構わず突き進む。


 一撃。

 一撃。

 一撃。


 その全てが人間の部位に欠損を与える、致命的なものであった。

 ネラプは苦痛の声すら上げなかった。上げられなかった。甘んじて、全てを受け入れていた。


 流石にもはや身体を引きずって、歩くよりも遅い動きでオルメの前まで近付く。

 しかし既に血袋と成り果てた肉の塊は、やがて自分の身体を支えきれず、ぐちゃりと音を立てて倒れ伏した。


 当たり前と言えば当たり前の結果だ。何の芸も無く真っ向から挑めば、こうなる。


「……う……あ、う……」


 しかし、それはまだ死んでいなかった。

 耐え難い苦痛がその身をビクンビクンと震わせても、まだ死んでいない。

 これだけでも改めて人間離れしている。


 そして最後の抵抗とばかりに、もぞもぞと、自身に鋭利に刺さった尾に噛み付いた。

 顎に入る力も無いその歯は、鱗に包まれた皮肉にさえも届かない。


『……フン、お主が噛んだ程度で傷付く鱗では────っ!?』


 しかし────次の瞬間、オルメの表情が変わった。


 そして咄嗟に、尾を振り回し、ネラプを引き離した。

 吹っ飛ばされたネラプの身体は、地面に盛大に激突した。


『今っ、今のは……!?』


 それまで余裕を見せていたオルメが、初めて焦りを露わにして、こう言った。


『こやつ………………!?』


 だがしかし、さらなる衝撃はここからである。


 容易くオルメと距離を離されたネラプであったが、その彼はと言うと────散らばる死体の一個に抱きついていた。


 まるで恋人か家族にするそれのように、その背中に無事な方の手を回し、抱き寄せ────次の瞬間、


 血を、より一層の血をネラプは浴びる。

 凄まじい音の後、凄まじい臭気が場に満ちた。


「……はぁ……純粋濃密なマナだ。血のようにまろやか、舌触りが実にいい。また『この子』をコントロールに置くための糧とさせてもらおう」


 そして、ネラプのようなモノが、再び立ち上がる。

 失ったはずの足で、当たり前のように。

 グチュグチュジュルジュルと音を鳴らし、足が伸び、眼が出来上がり、顔が整い、腕が急速に生え変わっていく。


 得た人の血に、その全身が舌鼓を打っているかのようだ。


『……これが』


 それのなんと冒涜的で悍ましく、破滅的な光景か。


『これが……


 これはもはや、人間の所業ではない。

 魔物とも呼べない。


 儚くも健気に生きる生命を嘲笑う、魔物以上であり人間以下の生きた屍(アンデッド)だ。


『一体何のつもりじゃお主! ネラプ!! トチ狂ったか!』

「このマナ……そしてこの眼で見ても死なないとは……ヘルシング、貴様ヘルシングなのだな!? 通りで見つからないと……こんなところにいたんだな!?」

『……聞く耳持たず、か……』


 衣服がすっかりズタズタだったが気にもしていないようで、ネラプは高笑いを止めない。


『キィィ……』

『ご……ごしゅじん、さま……』


 シモベ達は、こんなネラプを見たことはないようで、戸惑っている。


 オルメはそんな三匹に向けて、


『おいお主ら、何ぼさっとしとる! 一度ここから出るんじゃ! こやつ何やらヤバい!!』

『で、でも、ごしゅじんさまが……! それに、オルメちゃんも……』

『分からんのか! 今お主らがいても殺されかねん、今の妾じゃ守ってやる余裕は無い!』


 オルメは、差し迫った脅威を前に、もう一度力を振るうことを決意する。

 どんなに相手が未知数だとしても、力を失っていたとしても、決して逃げない。それこそが、竜の矜持。


『もう二度と……妾の矜持、へし折られてたまるものか……! はよう行け! お主らを手に掛けるようなこと、こやつが望むと思うのか!!』


 そのいつになく張りの無い声は、その纏わせた竜気は、それぞれその力の無さから限界が迫っていることを露呈していた。


『……ブモッ!』


 それを受けてか、ブルブサが一つ鳴いた。片足で立ち上がる。

 この中でネラプとの付き合いの古参、ブルブサの言葉を汲んだ他二匹は、顔を見合わせ、


『キィー……』

『ブルさん、まかせようって……でも、でもでも……』


 カーリは、自分の主人であるネラプを見た。

 彼は嬉々として笑い叫んでいる。ネラプのあんな姿は、カーリは初めて見た。恐らくはこの場の誰も見た事はないだろう。


 温和で物静かな面影は、そこには無い。

 しかしその様子は、どこか苦しそうだ。


 何かに苛まれ、それを吐き出しているかのように思えた。

 それには自分達は邪魔なのだと、そう思った。


『……うう、うううっ!』


 断腸の思いでの決断だった。

 ブルブサ、マニ、カーリは、オルメが引き止めている今、洞窟の外に向けて逃げ出した。

 存外容易く、その脇を通り抜けることが出来た。もはやネラプは、彼ら三匹を見てはいなかった。


 そうして、残されたのはネラプと、オルメだけとなった。

 強いてあると言えるのは、聖騎士達の死体のみ。


「う、っ……! ぐ……!」


 そんな時、ネラプの様子にまた変化があった。

 オルメは覚悟を引き締めて身構えたが────


「ぬ……時間切れ、か……少し、遊び過ぎたな……」


 ネラプは頭を抱え、呻き出した。

 否、オルメは知っている。ブルブサ達が出て行く間際、それまでの笑い声がすうと絶えたことを。


『……ネラプ、お主────』

「……俺は……」


 オルメが話し掛けようとしたのとちょうど被さるようにして、ネラプは口を開いた。


「俺は、化け物なんかじゃないって……そう、思いたかった……」


 それは、突然の変化だ。

 ネラプが、元のネラプに戻った。オルメはそう直感した。


「人に、人間だったら……俺は、化け物って、本当は分かってた、分かってたのに……」


 彼は一人、独白する。

 自身の内側を、おぼろげな語彙と脈絡の無い無意識で語っていく。



「こんな思いするんなら……俺はどうして、生まれてきた……?」



 嗚咽と涙で言葉は詰まり、その声音は震えていた。


「俺は……ずっと、苦しくて苦しくて……生きてて怖くて……「バナージさん」怖くて、苦しくて「張り裂けそう」、教えて「どうして」俺を、「殺したく」俺をおれは、どうして……「殺したくなんか」」


 ────それは、普段見せないネラプの本音。

 彼なりの日常を生きて過ごす中で、押し込められてきた、心からの絶叫だった。


「────は! 本当は殺したくなんかなかったんだ!!」


 ここに死に就く聖騎士の数々を。

 森で永遠に安らぎ眠る、バナージを。


 ネラプはずっと忘れない。



『……そうか』



 オルメは比較的穏やかに、そう応えた。

 果たして彼女が何を思ったのか。それはオルメのみぞ知るのだろう。



『怖いか、その能力が』



 竜は問う。



『怖いか、「自分」が』



 竜は問う。



『……安心せい、ちょうどここに、あらゆる生物の上に君臨する最高種族がおる』



 竜は、逃げることをしない。

 だから、目の前の少年の苦悩にも、真っ直ぐにぶつかるのみだ。



『竜は強いぞ。ちっぽけなお主如き、なんてことはない』

「……オ、ルメ……や、め……」

『何があろうと、お主に殺されてなんかやらん! じゃからお主は、お主のありのまま、思う存分妾にぶつけに来い!』

「────グッ……オォアアアアアアアアアアアッッッッッッ!」



 彼らは、言葉で語り尽くせないことを語るために、対峙する。


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