第32話:終幕


「む……あの子とのコンタクトが途切れてしまったぞ」


 その男は、竹林の木立が作る闇の中に紛れていた。雨が降ったのか、その幹には液体が滴っている。


 そこは、『白の森』ではない。ネラプ達のいる所より遥か西方。

 ひっそりと人気が無く、この野外に不釣り合いな椅子に腰掛ける彼は一人、クックと笑っていた。


「……腕輪は外れていたか……まあよい、恐らくはまぐれの弾みだろうしな。また付け直せばいいだけだ」


 男は、嗄れた声をしていた。

 男は、枯れた枝技のような手指をしていた。

 男は、並みの男よりも頭一つ分高く、そして細長い身体つきをしていた。


「ネラプ……ネラプ。今はそう呼ばれているのか……そうかそうか」


 男は────ネラプという少年を知っていた。


 この世の森羅万象を知り尽くしたと言わんばかりの自信、余裕、傲慢……それらの感情が滲む声・態度・面立ちを以ってして彼は笑う。


「そして、あの雌竜……流石────なだけはある。フフ、とても良いお友達を持ったねえ、ネラプや……」


 さあ、と風が吹き、まるで雲がそれに合わせたように、流れた雲の切れ目から月を覗かせた。


 そして、その全貌が明るみに出た。


 そこは森林ではない。

 滴っているのは雨ではない。


 。天に昇るようにおっ立つ、大きな無数の串。

 。木立と見紛う、串の先に突き刺された人間の、それまで生きていた者の数々。


 それは、人の現実感には遠くかけ離れた壮観である。あまりにもあんまりな光景ゆえに、嘘っぽくもあり、されど本当にこの場に繰り広げられている。

 どんな巫山戯た国でも、どのような強力な魔法だろうと拝めない、絶景。

 常軌を逸した、狂気の遊び場だ。



 彼はこの串刺しの山の中で、一人笑う。

 それはそれは、嬉しそうに。無邪気を謳う子供のように。


「またいずれ……相見える日も来よう、ネラプ。いずれすぐ……我らの時間は悠遠だからな……フフ、フフフフフ……」



 妖しくも禍々しい、その赤い瞳を燻らせて。



◼︎◼︎◼︎



 ネラプの起床は、いつもこの夕暮れ時だ。


 肌を焼く陽が、微睡み始めるこの時間が、ネラプは好きだった。もちろん夜こそ彼の一番の活発な時間ではあるが、夜は視界が悪い。

 目を極力使わないといえど、いや、普段見えないからこそ、景色を見ることが好きだった。


『やあっと起きたか、お主』

「…………」


 オルメの顔が、仰向けのネラプの目の前に現れた。

 まるで具合の悪い病人を見やるように、もたれ掛かっているネラプを覗き込んでいた。 

 人間ならこれはいわゆる、膝枕の格好なのだろうか。


『どうした、そんな素っ頓狂な顔をして』

「あ、いや……オルメのことだから、俺のことなんかさっさと殺してると思った」


 ネラプが覚えているのは、何かの衝動の赴くままにオルメに襲いかかったことくらいだ。

 オルメは、どこか顔を渋くさせて(何気にその表情の機微を理解しつつあるネラプである)、


『……覚えとらんのか? さっきまでのことを』

「ん……ぼんやり。夢みたい、としか……」

『そんな他人事みたいに……言っとくがな、人間なら百回は死んどるぞ、お主』

「百回……?」


 少し眠たげなネラプの声に、オルメは頷く。


『いや実に、激しい闘いじゃったの……いくら爪で裂こうが火炎で焼こうが、血を得ると途端に再生する。流石の妾も、ちと疲れた』

「じゃあ、どうやって……」

『朝日じゃ』


 二人で、淡く薄れた夕陽を仰ぐ。

 ああ、とネラプが納得していると、オルメが事細かにあの後のことを話し続ける。


『闘いが長引いて長引いて、上の天井穴から日が差し込んだ頃……光を浴びたお主の身体は焼かれ始めた。……そこからは楽での、黒焦げたお主はようやっと動かんくなった。そして夜になり日が沈んだ頃、聖騎士共の血を得て身体が再生した』


 一息に話すオルメと、それを聞くネラプの二人の間には、殺し合った仲とは思えぬ穏やかな時間が、確かにあった。


『────そして、今に至る』

「はは……ますます化け物じみてるな、俺」


 それを聞いたネラプには、やはり少しだけ気落ちするところがあった。

 ウジウジとまだ気にしているのは、決して気持ちのいいことではないが、忘れてはいけないことなのだろう。


『……お主、「あんでっど」という言葉を知っておるか? 西方の言葉で、不死者を意味する』

「不死者……?」

『死なない者……生命の鎖が呪縛となってしまった者……精々数十年の生しかない人間が恐れ慄く存在じゃ』

「俺が、それってこと?」


 オルメはいつでも、ネラプの知らない色んな話をする。

 それが今は、ネラプに気の休めるは慰めであった。


『不死を体現する者は、その特質から得てして悲惨な末路を迎えるものじゃ。矛盾してるようじゃがの。まあ、心しておけ』

「……そこは普通、慰めてくれたりするもんじゃない?」

『激励じゃよ、げ・き・れ・い♡ ほれふぁいと、ふぁいと!』

「……うん、まあありがとう」


 励まされてるようで、そこはかとなくおちょくられているような気がする。


「なあ、オルメ?」

『うん? どうしたネラプ?』

「ありがとう。少し気が楽になった」

『……どういたしまして』


 でも、それでいい。


「……なあオルメ、俺に闘い方を教えてくれないか? 聖騎士の人みたいな、剣術をさ」

『はあ? 竜に頼むことか、それ?』

「他に頼めないよ」


 彼らはともに、グロットが示すように人に忌み嫌われるばかりの存在なのかもしれない。

 所詮は、化け物なのかもしれない。


『というか、そんなことせんでもその眼があるじゃろうに』

「うん、まあ……色々考えたけど、やっぱりこの眼に頼り切りたくなくて。出来る限りの事はしたいんだ」


 それでも彼らは生きている。

 何かを失い、何かを得て。

 それを繰り返して、今の彼らは紡がれていく。


『ふうん』

「お願い……聞いてくれるか?」

『嫌じゃ、面倒っちい』


 何かを犠牲にして、何かを守って。

 この先の物語を紡いでいくのだ。


「頼むよー、そこをなんとかさ……」

『いーやーじゃー』


 二人の物語は、まだ始まったばかりだ。



◼︎◼︎◼︎



「モニー、お兄ちゃんがどこ行ったか知ってる?」


 ここは、ウッド家。

 ミイナが、家の中をキョロキョロと見回していた。

 寝そべって足をパタパタさせている、モニーを見つけた。


「……ん、牧場。森に行ったの怒られて、パパにこっぴどくしごかれてるよ」

「あー、あらら……」


 ミイナが頰に手を当てて、苦笑した。

 と、その時モニーの手元にあるものを、ミイナが見つけた。


「モニー、また絵を描いてるのね?」

「……うん」


 物静かな娘の、子供らしい遊びではあるが、この年の割に絵心を感じさせる特徴を突いた作品を微笑ましく見ていた。


「……絵、出来てなかったから。描き直してるの」

「絵? でもこれ……」


 モニーが、その絵を持ち上げて透かし見る。

 そして、にっこりと笑った。


「……あはっ、かんせー」


 その絵の中には、モニーお気に入りの灰の癖毛をした少年がいて、綺麗な赤い瞳を描き足されて穏やかに笑っていた。


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アンデッドマン・アンイージーライフ koutori @koutori

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