第30話:終わらずの決着

「音が、止んだ……」


 洞窟外の入り口で待機していたグロットは、その闘いの終結を察知していた。

 自分が直接に関わらない闘い、その決着の如何はどうなったか。


 音が止んでからしばらくして────その答えがやって来た。


「なっ!? お前は……!!」


 現れたのは、手に掲げる竜の首に喜色を撒き散らす騎士達────ではなく。己の敵と認めたネラプ、ただ一人だった。


 背中には少女を背負っていて、足取りは覚束ない。

 それは少女一人ろくに持てない非力、というわけではなく、ネラプの様子が芳しくないのだ。

 いつになく顔色も悪く、幽霊のように青白い。


 しかしグロットが驚いたことに────斬り落としたはずの左腕が、元に戻っていた。

 手首に巻き付いていた腕輪らしき帯は無くなっていたが……これは一体どうしたことだ。

 腕が生え変わったと知らないグロットが、そう思うことも無理はなかった。


「っ、その声……グロットさん?」


 しかしグロットの反応には、見えてもないのにまるで見えているかのように、耳聡く反応した。


「ああ、丁度良かった。この子……モニーって言うんですけど。疲れたのか眠っちゃったみたいで……」


 そして、背中に抱えているものを見せた。

 彼よりも幼い少女が、すうすうと可愛らしい寝息を立てているのが分かった。


「森の外にいる、ウッドさんの娘です。ここには迷って来てしまったみたいで……俺の代わりに連れてってやってください」


 少女は生きていた。

 竜と聖騎士団の激震走る戦場から生きて帰ってきている。

 そのことにグロットは胸を撫で下ろし、相好を崩しそうになってから、敵の前だとばかりにすぐに顔を引き締めた。


「……何で私が、お前の頼みなど」

「グロットさん、どうかお願いします」


 ネラプは、そう懇願した。

 斬られて殺されかけた相手に、そして今も自分をどうするか分からない相手に。


 この少女を助けるのは勿論のこととして、今ここでネラプは叩き斬ってしまえとグロットの頭の中で、自分自身が囁く。

 しかし一方で、戦火に巻き込まれたというこの少女を救ったのは、もしかしてネラプなのではと考えてもいた。


 あくまで想像だ。

 グロットは、自分が言ったあることを思い出していた。

『竜の傍には一人、』と。

 対しカトリールは言った。言っていたのだ。『竜と一緒くたにしてしまったとしても文句は言うなよ』と。


 もしかしたら────自分の言葉が、間違って伝わっていたのではないか?

 グロットが話した『子供』を、カトリールがネラプとモニーという少女を勘違いしていたのでは?


 その考えに至り、彼女は肝が冷えた心地になった。

 自分の知らぬところで、とんでもない過ちを犯すところだった。何の罪も無い少女に、取り返しの付かないことをしてしまうところだった。


 もしそうだとすれば……それを救ったのは、この小さな一つの命を守ったのは────他でもない、ネラプだ。

 傍観しか出来なかった自分とは違う。


「……早く寄越せ。お前に、その女の子は任せられん」


 負け惜しみのような減らず口を叩く。

 するとネラプは、どこか安堵したように苦笑し、


「あ、あのすいません、見えないんで受け止めてもらっても……」

「…………」


 グロットは、柄に伸びかけた手を収めた。

 代わりに、モニーの身体をゆっくりと手元に受け取りながら、確かめるように尋ねる。


「カトリール……聖騎士団は? どうなった」

「…………」

「言え! 中にいただろう、奴らをどうした!」

「……殺し、ました」


 ポツリ、と絞り出すような声で、ネラプは言った。

 それは、グロットにとっては想像に容易いことだった。


「全員、あの全員を俺が……俺が殺したんです」


 歯を噛み締め、強く苦しんでいる様が見て取れた。

 モニーがいなければ、そんなもの気にも留めなかったに違いない。

 見て見ぬ振りをして、そんなものは無かったと始末していただろう。


 しかし見てしまった。

 ネラプの中に、確かな良心があるのを。


「貴方のことは殺したくない。……だから、行ってください。モニーを連れて、早く」

「……何の冗談だ。それとも、強者の余裕のつもりか────」

「行けよっ! いいから、 こんな化け物と話してないで、早く……!」


 化け物としてではなく、人間のような感情の呵責を。


「もう……もうこれ以上は堪らない……堪らないんだ!!」

「……!」


 一体自分は今、何を見ている?

 何をしようとしている?


「……分かった」


『今だけは』、『まだ殺すべきかどうか分からない』と思い始めている。

 脅威と決めた相手に背を向け、立ち去ろうとしている。


 彼の全てを見たわけでもあるまいに。

 信じたい何かを見た気がして。

 

「お前のことは、今回限り見逃す。今回だけだ……次はないからな」

「あの」


 ネラプが、その足を引き留めた。

 振り返ると、彼は自分の目────包帯を指差して、


「この貰った包帯……大事に使います。ありがとう……さようなら」

「……ふん」


 グロットは、こうして白の森を後にした。


 外で待っていたウッド達に、聖騎士団の全滅とモニーの奪還を告げた。

 聖騎士団の全滅は、彼らに大きな衝撃を大いに与え、しかし身内であるモニーを救ったことに関してはネラプの代わりとばかりに喜ばれ、その父には感謝と共に迎えられた。


 そして────しかし、聖教会の旅する聖騎士、グロットの胸中には一つのわだかまりだけが残った。



◼︎◼︎◼︎



 少女をおぶって行ったネラプが、一人戻ってきた。


 竜の巣は、今や死体だらけだった。

 腕を取られた者、首を裂かれた者────こうした少数の傷が深い者は、オルメにやられたものだ。


 しかしそれよりも大半が、傷が浅いか、無傷な者だった。

 場所がここで無ければ、顔だけ見れば、眠っていると言っても過言では無い。聖騎士団は、最後の最後まで勝てると思っていたのだろう、その死相には恐怖の感情すら浮かんでいない。


 しかし彼らは皆、死んでいる。

 これの原因は、ネラプだ。


 ネラプが殺したのだ、これだけの数を。


『まったく……何を悩んどったのか知らんがの、結局こうするんならとんだ回り道じゃ』


 疲労が残る声で、オルメがネラプに話しかけた。


『何事も半端はいかん、男ならバシッと決めんか』

『もーオルメちゃん、かわいくなーい! だれのおかげでたすかったとおもってるの?』

『コラ妖精、その「オルメちゃん」はやめんか……』


 彼女はどうやら、ネラプが早く来なかったことが不満のようで、文句を垂れているのである。

 カーリとマニの飛行組が、ヒュンヒュンと元気そうに飛び回り、オルメに抗議の意を表した。オルメは嫌そうにしながら、怒るその元気も無いのかもはや諦めつつ、


『フン……まあでも、そうじゃの。お主のおかげで助かったのに変わりはない。この竜の末裔が、ヴァインシュプを代表して礼を言ってやらんでも……』


 本当ならさっさと眠った方がいい。そう感じさせる声音だ。

 しかしネラプへの小言────そう、誰が何と言おうと小言なのだ────だけは忘れず、起きていた。



「……素晴らしい」



 しかし────ネラプは、オルメの言葉など、聞いてなかった。


「こんな馳走……なかなかお眼にかかれない。これはいい、いいぞ。ここには死が満ちている。淀んだ甘ったるい、死の香り! こんなものを前に、我慢なんて出来るだろうか、いや出来ない!」

『……ネラプ?』

『……ごしゅじん、さま……?』


 彼が見ているのは、死体。

 転がっている死体だ。


 ネラプはすっとその群に近付き、跪き、手を差し伸ばし、



 ────




「この……この目で、この耳で、この肌で、今! 感じている、このどうしようもない快感は────嗚呼、素敵に堪え難いッッ!」


 兜も甲冑の隙間、首元に手を差し込み、引き裂くまでまるで躊躇は無かった。


 血飛沫が、噴水のように弾ける。

 それがぼたぼたと地を叩く。手に持った、千切れた首の付け根から溢れるその血を、自身の顔にぶつける。


「ンッンッ……しかし欲を言えば月を拝み、獣のようなディナーと洒落込みたかったが……ゴクッ、まあ文句は言うまいて」


 そして、とても、とてもとても嬉しそうな笑い声を発した。


『なっ……!?』

「血だ……! 美味い美味い、血だ、血だ血だ血だ血だ血だ血だ血だ血だ!! この身体は今、血なのだ! 血に交じった血! 血に飢えた血!! 嗚呼、もっとだ! もっと、魂の通貨の交換を!」


 溜まりを作り始めている血の量に、ネラプは歓喜し、手で掬い上げ、ゴクゴクと喉に入れる。

 何度も何度もそれを繰り返し、するとまだまだとばかりに手と膝をつき、土下座のような格好でペロペロと舐め始めたではないか。


 それは間違いなくネラプなのだが、ネラプではないかのようだった。

 まるで豹変してしまっている。別の何かが乗り移ったかのような、おおよそいつものネラプとは思えない言動。


 オルメの全身がザワつき、力が入る。

 竜の本能に従いもう一度、身体を起こし、薄く竜気を纏わせた。

 先程のような────


「もっと、もっともっともっともっともっともっともっともっと────そう、もっとだ!! 困ったな、まだ足りないぞアハハハハ!」


 すると、オルメのことなど一瞥もくれていなかったネラプだったが、ひとしきり大笑いした後、ピタリと血遊びを止め、


「……おや、おやおやこれは、どうしたことだ? これは?」


 爛々と赤く、狂的に輝くその眼が。

 殺意に満ちた愉悦の笑みを浮かべて。


「この眼は見逃しはしないよ────? んん?」


 ────グルンと、こちらを向いた。


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