第11話:ネラプとバナージ
「アニキ! 今日は何食べますか? ウサギ、獲ってきましょうか?」
「アニキはやめろバカ! あー、今日は魚頼むわ」
「分かりました! アニキ、火の方お願いしますね」
「あーハイハイ。チッ、面倒くせえなぁ……」
眼の暴露があってから、何やらネラプは、バナージに酷く懐くようになった。
手錠という犯罪の証を課せられたバナージをちっとも怖がらず、ますます親しく話すようになる。
会って間もないのに不用心すぎないかと思われるかもしれないが、これでも最初は警戒していた方だ。
彼にとって、バナージは生まれて初めて会う人間であり、会話が出来るということはそれだけで特別であった。それこそ抱き着きたいくらいの人に会えたという嬉しさを抑えつけ、眼を包帯で覆い、落ち着き払って対応してきた。
が、彼もまだ子供であり、それが中々に難しいことであったことは容易に想像出来る。
例えどんな人間であろうと構わないというのは、いざという時の眼の存在があったのもあるが、割とネラプの本心に迫った言葉であった。
「アニキ、ブルブサの面倒見てやってくださいね〜」
「アニキ言うな! とっとと行け!」
さてそれにしても、こうまで仲良くなる前に(一方的にネラプがバナージに構っていると言うべきか)、とあることがあった。
話は前日に遡る。
◼︎◼︎◼︎
「バナージさん、遅いな……」
ネラプは夜の森で、人を待っていた。
その緋の眼をキョロキョロと彷徨わせ、まだかまだかと待ち続けている。そのせいで、そのネラプが目視可能の半径数十メートルは、踏み入れた瞬間死ぬという、この世でも最高クラスの危険地帯であったのだが。
夜更けの月が、空の真上にまで昇った頃、人影が視界の端に映った。
眼がその姿を捉える前に、咄嗟に眼を背けるネラプに声が掛けられる。
「俺だ、戻ったぞ」
バナージだった。
彼は何故か眼の能力が効かないので、ネラプも安心して普通にそちらを見る。
帰ってきたバナージは、錠で束ねられた両手で器用に、二つ程皮袋を手に持っていた。
「あ……お帰りなさいです」
「おう」
「でもどうしたんですか、急に外に出たいなんて……」
こうしているのも、昨日の晩にバナージからの提案されてのことだった。
曰く、用があるから外に連れて行って欲しいということ。外を知らないネラプには、バナージが元来た道に着いて行くことしか出来なかったのだが、バナージとしてはそれで良かったようだ。
日中に出歩けないネラプはバナージを送った後に夜明け前にすぐさま引き返し、一日置いてから、別れ際のこの場所で待ち合わせることになった、というわけだ。
てっきりもうこれで帰ってこないのでは、とも考えていたのだが……
「ん」
バナージが、いいから早く持てとばかりにネラプに皮袋を手渡してきた。
ネラプはそれを受け取り、尋ねる。
「え? な、何ですかこれ?」
「日用品だ。食器とか、あと適当な食いもんとか」
「でもこんなの、どうやって……」
「盗んだ」
その中身を覗いていたネラプは、その言葉に露骨に嫌そうな顔をする。
「……んだよその目は。それもこれも、お前が動物以下の生活してっからだろーが!」
「え!? お、俺のせいですか!?」
「ったりめーよ。お前がなもっといい生活しようとしてたら、俺はこんなことする必要も無かった。お前も俺も人間だろ、人間らしい生き方なんて当たり前のことだぞ。そんな当たり前のことをせずに俺にこんなことさせる、お前が悪い」
「ええー……う、うーん……」
自分の行為を棚に上げた暴論なのは分かっていたが、矢継ぎ早の言葉の勢いと一応親切からのものであったため、ネラプは複雑な顔はそのままに礼を述べた。
「……なんか釈然としないですけど。まあでも、ありがとうございます……」
「ケッ、小生意気な奴。あーあ、お前が女ならもうちょい世話し甲斐もあるってのによ」
「ええー……」
「こー見えて俺ってば、結構献身的なんだぜぇ? 満足させてやってんだ、色んな意味でな……ヒヒッ」
「それってどういう────うあっ……な、生々しい話は勘弁してください!」
バナージが言わんとすることを、一拍遅れて何となく理解した。
その下卑た濁りのある笑みに、照れよりも戸惑いを露呈する少年ネラプであった。
「ああオイ、これも持ってろ」
そんなネラプに、バナージがもう一つ持っていたものを寄越した。
確認すると、それは服のようだった。着古されていたものの、少なくとも今の自分達よりよっぽど上等なものだ。
「これは……服? 誰の?」
「お前のに決まってんだろが」
あっさりバナージがそう言い、ネラプは首を傾げた。
確かによく見ると、子供が着るような小さな服しか入っていない。
「どうして……」
「子供がずっとそんな汚ねえ服で我慢するもんじゃねえ。飯もだ。お前は色々と無関心すぎる」
「…………」
「もっと色々欲張っても、許されんだろ」
ぶっきらぼうにそう言い捨て、さっさと洞窟の方向へ戻ろうとする。
「オラ行くぞ」
ネラプは、その背中に着いて行く。
彼はこの時、バナージという男を知った。
粗暴な点は目立つが、これが罪に身を堕とした、彼なりの精一杯の気遣いなのだと。
思えば、目が見えないと嘘を吐いていた自分に対し、それが嘘だと気付いていたにせよ、明確な弱者だと危害を加えようとはしなかった。
ネラプは、あらゆる人を知らない。親の顔すら、記憶に無い。
それ故、比較の出来る一例、彼なりの物差しが無い。
ネラプに善悪を見定めてさせているのは、自分の中に確かに根付いている良心だけだ。この善が正しくて、あの悪が間違っているというようには、哀しいかな、断言が出来ない。
しかしそれでも。
例えこれが、見当違いな憶測なのだとしても。
この人は『良い人』なのだと、そうネラプは直感した。
「……了解です、アニキ! 帰りましょう!」
「あ!? んだそのアニキってのはっ……オイ背中押すなバカ!」
その帰り道は、赤い月明かりに照らされて明るかった。
◼︎◼︎◼︎
「竜? 竜って……あの竜?」
「ああ。かつてはそのねぐらだったらしい。そこんとこどうなんだ?」
「いや……ここで竜なんて見たことないですね」
「たりめーだ。竜は
「ふーむ」
食事を済ませ、舞い上がる火の粉に当たり、バナージとネラプはお互いの話に興じていた。
一日中起きていられるネラプと違い、バナージは日中だけ起き、夜になるとすぐに寝入っていた。彼の体内時計がそうしているのか、時間感覚の薄いこの洞窟内でも存外規則正しく生活している。
自然とネラプが出来ない昼間の食料調達はバナージの役割となり、ネラプは普段通り夜に外で活動した。
お互い外に出るのは一人ずつでしかないため、昼の仕事が済めば、退屈なものだ。
二人はその膨大な時間潰しのために、饒舌に語り合った。とは言ってもネラプに過去の記憶は無いため、バナージの方が話を振ることが多かった。
バナージも意外に乗り気で、外の世界の様々なことをネラプに教えた。ネラプはもちろんそれを喜び、目を輝かせてその話し振りを聞いていた。
しかし、バナージ自身のことに関してだけは、彼は多くを語らなかった。
唯一人を殺して捕まったのだとだけ聞き、ネラプには、それがどのような都合があってのことか未だ知らないでいた。
『キィ、キイイ!』
「あ、マニ。どこ行ってたんだ?」
そんな折、甲高い鳴き声を上げて、一匹の小さなコウモリが近付いた。
それはネラプの肩に足を引っ掛けて止まり、首を傾げて頭を擦り付けていた。相当に懐いている様子が窺える。
「なんだ、そいつもお前のペットか?」
バナージが指を差し、尋ねる。
ネラプは指で小さな首元を撫でると、またキイと鳴いた。
「ペットとかじゃないですけど……まあブルブサと似た感じですね。アニキが来るちょっと前に、ここに入ってきたのをうっかり俺が眼で見ちゃって……」
「はー……」
「マニって名付けました。なんか可哀想なことしちゃったけど、ブルブサの友達が出来て良かったです」
今は身体を丸め、隅の方で眠っているブルブサの方を見ながら話す。
「アニキって言うな。……それに俺ぁ、お前のトンデモな能力、全部信じたわけじゃない、が……」
信じつつあるがどうにも呑み込めない、と難しい表情を見せるバナージ。
その破滅的な能力の規模を考えれば、当然の反応とも言えるが。いかに情報通の彼でも、ネラプの眼の能力のような話は聞いたことが無いらしかった。
「見たものを殺す眼に、死んだ生き物を蘇らせる血、ねぇ……胡散くせー」
「見てたじゃないですか。色々殺したところ」
そう言うと反論も出来ないのか、苦い顔をして黙りこくる。
この数日、ネラプの眼の力はまざまざと見せつけられていた。わざわざ眼を閉じてから確かめもしたため、目の前で見たことを否定もしきれない。
「ハア……こんなことなら変に突っかからずに眼が見えないってことにしときゃよかったぜ……お前がヘッタクソな嘘つくからだ」
「また俺のせいにして……」
と、そこでふと思い出したように首を傾げて、
「でもなんで、アニ……バナージさんにだけは、俺の眼が効かないんですかね?」
「知らねーよ。俺は身近に勇者の知り合いとかはいねーし」
「……勇者って人なら、この眼も効かないんですか?」
「さあてな? 目には目を、歯には歯を。『何でもあり』には『何でもあり』さね」
能力の正体同様、バナージが眼の効力の例外となった理由も見当がつかない。
結局ネラプについては、現状謎でしかない。
「それに……いいよ別にもう。俺はいつ死のうがどうでもいい。世にも奇妙な眼で殺される、ってのもまた一興だったんだがな」
「……やめてくださいよ。その言い方じゃまるで……死にたいって、言ってるみたいじゃ……ないですか」
バナージの言葉を、ネラプはやんわりとたしなめる。
夢見心地のようにその言葉尻は柔らかく、眠そうにうとうととしている。
「そう言ってんだよ」
バナージは、静かにそう告げた。
火種の薪が弱まりながらパチパチと燃えている。
静かな洞窟内に、その音だけが響く。
その深い沈黙に耐えられなくなり、バナージは次のように口を開いた。
「────逆にお前こそ、今、何のために生きてんだ?」
言った瞬間、止めておけばよかったとバナージは後悔した。
「いや……悪い。何でもねえよ」
『キイ、キイ!』
「……あ?」
────しかし、そんなことはすぐにどうでもいいことと、バナージの頭から抜け落ちることとなる。
「おい、何だよ。ふざけてんのか?」
返事が無いと思っていたら、まるで気絶するかのように、ネラプは身体をパタリと横たえさせていたのだ。
前触れも無い、突然のことだった。
肩から放り出されたマニが翼を動かしてぐるぐると旋回し、けたたましい鳴き声が何度も響く。
しかし、それでも起きない。
「おいっ、聞こえてんのか? どうしたってんだよ、おい……!」
深い深い眠りの底に、ネラプは就いていた。
今にも消え入りそうな寝息を立て、安らかに────まるで、死に行くように。
そしてそのまま────叩いても揺すっても、何をしようがまるで起きる気配すら見せなかったのである。
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