第24話:最悪の始まり


「あ、あああ……!」


 そこにいるのは、ネラプ一人だった。

 正確には、その場で生きている者が、ネラプしかいないのだ。

 爛々と眩い、その緋の眼のみだ。


 佇む彼の周りには、不特定多数の血と人間の死体が大量に散らばっていた。

 その数は、数十人にのぼる。ここを襲った聖騎士の人間達だ。

 その中に見覚えのある長い金髪の女の姿も見える。何故かウッド家の四人もいる。顔見知りの村の人間達もいる。


 全てが、赤黒く血みどろだ。幾重にも積み重なった肉の塊が、ここにある全てなのだ。


「こ、こんな、こんなの……ああ、ああああああ……!!」


 悍ましい臭気と、籠った空気。

 鼻をつくその甘美な臭いは、その染み込む土から、そして〝血詰めの臓物を含んだ口腔から〟。


「……ふう。あーあ、ふふ、あはは、ハハぁ。どいつもこいつも、みんなみ~んなおっ死んじまいやんの。くく、うふふははは、人間の血ィ、こんなに……」


 それでもネラプは、悦に入ったかのような心の底からの恍惚の笑みを浮かべ────


「────違う!! 違う違う違う! これは、こんなの何かの間違いだっ!」


 今更我に返ろうと、眼によってここにいる全てを殺し、その血を得た自分の行いは、変えられない。


 遂に自分は、かつて誓ったものを壊してしまった。

 もう二度としないと戒めたことを、こんな形で。


 呪われたこの眼と血の飢えに、支配されてしまった。


「こんな、俺は……何て、何てこと、を」


 死体の中には、ブルブサもいる。

 マニもいる。カーリは消滅した。

 オルメの巨体には、力は無く、目に光は宿っていない。既に魂の抜け殻だ。


 自分のせいで。

 自分のせいで。



 自分のせいで。



 何もかもが、終わってしまった。

 今なおこの凄惨な光景と血の満ちた死の世界に、それでもどこか昂揚感を覚えている自分に嫌気が込み上がる。



『ネェェェラプゥゥゥゥ……!』



 その時。地の底から湧き上がるような、身の毛のよだつ恐ろしい唸りが聞こえてきた。


 多くの死の宿るこの場で、蠢く何か。

 ギギギと、首を回し、声のする方を見た。


 すると、そこには。


「バ、バナージさんっ!? どうして……!」


 目線の先には、死んだはずのバナージの姿があった。

 血の気が失せ、腐り、焦点を失った目でネラプを見て、フラフラと死体と血の海を渡って近づいて来る。


「蘇った……!? そんな、そんなはずは────!」

『テメエよくも俺を……よくも、殺した』


 これも、自分が引き起こしたことなのか?

 いつの間にか、己の欲望に身をゆだね、バナージを蘇らせてしまったのか?

 全てに支配され、理性を蝕まれ、本能のままに何もかもをぶち壊してしまったのか?


 自分が今までやってきたことも。

 自分がこれまで守ってきたことも。

 自分がこれからやれたことも。


 何もかも、もう、おしまいだ。


「こ、来ないでくれ……俺は、俺はそんなつもり……」


 後ずさるも、後ろにも、前にも横にも、起き上がり、死んでも死に切れない者達の呻きが響き合う。

 人間だけではない、竜や牛、蝙蝠の死骸も次々に起き上がり、ネラプを責め苛む。


 多勢が、ネラプに近寄ってくる。

 一斉に、全ての怨嗟が一つとなる。


『よくも俺を殺した……俺達を殺したなああああああ!!』

「────あ、あ、うわああああああ!」



 絶叫が、闇夜に轟く────



◼︎◼︎◼︎



「…………」


 覚醒と共に、幻は消えた。

 肩で息をし、ゆっくりと今ある現実を取り戻していく。


 血も無い。死体も無い。

 安心だ。


 ここは洞窟の出口付近。もちろん、日に当たらない程度の位置だ。

 時刻は陽が沈む間際の夕暮れであった。まだ少し、ネラプの活動時間には早い。


「夢……か」


 鼻をつく鉄臭さも、目につく赤も。

 現実のような夢だった。

 鮮烈な、まるで実際に見たかのような夢だった。


 喉が辛く、首から上が重い。

 夢の内容が、頭の中をぐるぐる回り、思考を染め尽くす。


 あれは『最悪』だ。

 それも、『作れる最悪』だ。


 ────俺のせいで、あんなことになる。


 ────俺のせいで、みんな死ぬ。


 ────そんな力が、俺にあるのか?


「俺は……一体どうしたら……」


 逃げるように、頭を振った。

 そして懸命に、先程のオルメの話を思い出し、改めて整理していく。



◼︎◼︎◼︎



「人間は群れるもの……って、つまり……」


 オルメの話は続いていた。

 朝という時間は既に始まっており、オルメのせいで空いた天井からは調子が出てきた陽光が漏れていた。

 ネラプはその陰になるところに移動し、光を避けた。


『竜を討伐し名を上げたいがために、徒党を組み、ここに襲いに来るかもしれん。その聖騎士は、謂わばこの近辺の制圧の為の調査……前準備、というわけじゃな』

「そんな……」

『その聖騎士を眼で射殺せば、まだ時間くらいは稼げたかもしれんのに、お主ときたら』


 やれやれとばかりにオルメは言う。

 それでも時間を稼ぐことしか出来ないのかと思うと、殺さなくてよかったと思ってしまう。


「……『凌駕する力があった』って、どういうことなんだ?」

『竜気が妾達竜のマナ同然、生命線であることは話したな』


 ネラプの問いに、オルメは話し上手に答えた。


『例えば、竜が空を飛ぶにも実はこれまた竜気が必要不可欠での。長い距離を飛ぶとなると、それだけ長い期間じっと動かず竜気を蓄えねばならん』

「え、じゃあそのでかい翼は」

『考えてみい、こんな翼ぽっちで妾の身体を持ち上げられるものか』


 今は背中にピッタリと収まるように折り畳まれた翼を見やった。

 こうして見るといやに小さく見えるのは錯覚か……いややはり錯覚だ。身体が大きすぎるせいで、折り畳まれていると分かり辛いが、ワッと広げれば片翼だけでもネラプ四、五人分はあるだろう。


 とネラプはそこで、自分が初めてオルメを見た時に、あの翼の部分だけが白く光っていたのをふと思い出した。

 話からすると、あれがオルメを浮かべるための竜気と言うものか。


『……あ、いや。決して、妾が重いというわけでなく、むしろ竜としては若く軽い方じゃが……』

「? そうなのか」

『そうなのじゃっ!』


 何故か突然に声を強めるオルメ。

 ネラプが首を傾げていると、こほんと咳払いし、


『……と、とにかく、竜は空を飛ぶ時、翼に竜気を纏う。火を吐く時、竜気で熱を籠める。我が事ながら強大な力じゃ。しかし使えば使う程に消耗し、竜自身も弱体化する』


 ふうと息を吐き、こう話を結論付けた。


『そして今の妾には、そんな奴らを相手取る程の余裕は無い』

「そんな……」


 一応ネラプは、そんなにまで弱った相手に瞬殺されてしまったことになるわけだが。

 聖騎士相手、それも多人数となるとそうはいかないということだろうか。


「じゃあ……どうするんだ? その話じゃ遠くまで逃げることも出来ないんだろ?」


 ネラプは尋ねた。

 何か打開策を期待して。


 しかし────次の言葉で、訊かなければよかったと後悔することになる。


『何言っておる、

「え……?」


 ぞくりと、嫌な予感が走った。

 そして次の瞬間、全て分かった。


 オルメが何故、ここまで熱心に、自分に一からの長話をし続けてくれたのか。

 何故、もう殺さないと宣言し、興味を示したのか。


 そして────先の言葉にあった、『今後』の意味を。


『そら……お主のその眼が』

「っ!!」


 そう、それはつまり────



『ネラプよ、お主が妾の衛兵があどとなれ。その眼で邪魔な聖騎士連中を皆殺しておくれ』



◼︎◼︎◼︎



「そんなこと、いきなり言われてもな……」


 日は完全に沈んだ。

 ネラプの活動時間だ。

 夜目でなくとも辺りが分かる程にはまだ明るいが、これくらいなら外を動ける。


 目に包帯をキツく巻きつけ、ネラプは洞窟の外へと繰り出した。


 しかしその足取りは、胸中を表すかのように重い。


「……逃げちゃおうかな、いっそ」


 ────竜のことも、聖騎士も知らない。


 ────そうだ、そんな降って沸いてきたゴタゴタに巻き込まれるのは御免だ。


 ────ブルブサとマニとカーリを連れて、どこか遠くへ行こう。


 ────町というところにも行ってみたい。石膏と漆喰で固まった建物がズラリと並んでいるのは、本当なのか。


 ────ああでも、その前にウッドさん達にはそのことは話しておかないと。凄く世話になったし、それくらいは……。


『なにがにげるの?』

「何がって、そりゃ……うおっ!」


 人知れず、もしもという選択肢の先を楽しく妄想していたその時、突然声が掛けられた。

 その子供のような辿々しい声と微かな羽音で、声の主を察する。


「か、カーリか……ビックリした……どうしたんだ?」

『ごしゅじんさまこそ、ひとりじゃあぶないよ? あたしがついてく!』

「……分かった、何かいたらすぐ教えてくれ」


 どういうわけか張り切った様子で、カーリが言った。

 目が見えない今、ネラプにその申し出を断る理由も無い。


「そう言えば、ブルブサとマニは?」

『んー? どうくつのなかだよ。こわれたてんじょうのはなししてる』

「そっか」

『あ、そこ〝き〟あるよ』

「ああ、ありがとう」


 カーリの道案内に従うまま、狩猟罠の取り外しに身を運ぶ。

 数日は持つ食糧があるため、必要以上の殺生は控えているのだ。前日のうちに全て撤去するつもりが、色々ありすぎて忘れてしまっていた。


『うわっ』


 しばらく進むとカーリが何かを見て、声を上げた。

 それと同時、


『く、くさ〜い……! なぁにこれー』


 辺りの空気に蔓延る臭気が、ネラプとカーリ(妖精にも鼻があるのかはさておき)のところにも届いてきた。


 その腐った臭いには、覚えがある。


「トロール……」

『とろーる? あのとろーる? でもこれ、しんでるよー?』

「…………」


 一人しかいない、グロットがやったのだ。

 あの巨体を、たった一人で。


 しかし何よりも、それ以上にゾッとすることには、もしもオルメの言葉が正しければ────


「……嘘だろ…………?」


 素の能力では、グロット一人にも到底敵わない。

 オルメは竜本来の力が出せない。


 これではますます────この眼にしか、勝ち目は無い。


 だが、しかし、


『ごしゅじんさま、だれかきてるよっ』


 心臓が跳ねた。

 ネラプは咄嗟に、草葉の陰に身を隠した。

 

 カーリが自分の目代わりに傍にいて、彼が地の利に長けているとしても、『彼ら』に気付かれずに済んだのは幸運だった。


 ネラプが意気地を出せばそれで片の付く、要らぬ幸運だが。


「っ……!」


 この森で珍しい、大勢の人間の足音。会話。憚らない気配。

 明るい松明が、この森の闇を照らしていく。


 オルメの想像は的中した。

 聖騎士団の脅威が、すぐ近くに迫っていた。



◼︎◼︎◼︎



「だから、付いてくるなってば!」


 そんな聖騎士団とネラプ達が接触している地点とは離れた、『白の森』の獣道。

 既に辺りは暗く、その視覚の乏しさは、虫の鳴き声や葉擦れの音であったりを大きく響いているように感じさせる。


 満ちる静寂。滞る重苦しい気配。


「……お兄ちゃん、ちょっと待って……」

「おいモニー、いい加減にしろよ! 俺の邪魔すんなよな」

「……でも、一人じゃ危ないよ」

「危なくなんかねーし!」


 そんな夜の森に、焚いた灯火だけを頼りにして、人の手が入っていない獣道を分け入っているのは、


「だって目が見えないネラプ兄ちゃんだって住めるんだぞ、俺ならへっちゃらだぜ!」


 ネラプの能力のことも知らず、根拠の無い自信を語るレン。

 モニーは対照的に、そんな調子に乗った兄にかなり心配気でいた。


「……でも」

「それに俺は将来騎士になる男なんだぞ、だから未来の『せんぱい』に付いていって、竜の戦いを見てやるんだ!」

「……でも、もうその人達見えないよ?」

「ぐっ……お、お前の足が遅いからだぞ!」

「……ご、ごめん、なさい……」


 レンとモニーだ。

 兄のレンが述べたように、二人は子供らしい恐れ知らずな考えで、それも見通しの悪い夜に、ここにやって来た。


 そして彼らがここにいることを知る者は、いない。レンが持つ松明は家からの借り物で、自衛用の木の棒、それ以外の用意は無い。

 大人でも踏み入れない『白の森』に言われるその危険性に比べ、子供二人のその様子はあまりにも危うい。無謀である。


「てかお前こそ何で付いてきたんだよ! ほーら、お前の方こそ危ないじゃんか!」

「……私は……だって」


 モニーはすっかり夜の深い暗闇に恐れをなして、歩き通しで足が疲れて、本来の彼女の気性なら動けずにすすり泣いても不思議ではない。

 それでも、彼女は兄について行こうと踏ん張っている。泣き言を漏らしても、物音に敏感に怖がっても、彼女には彼女なりの理由があった。


「……ネラプお兄ちゃんが、心配で……」


 あの集会場での聖騎士の演説を聞いてモニーは、真っ先にネラプのことを心配していた。


 モニーにとって、ネラプはどこか不思議な雰囲気のある、優しい『お兄ちゃん』だ。彼は絵ばかり描いて、内気な自分にも気兼ねなく接してくれていた。

 彼が家にやって来た日には嬉しくて眠気も吹き飛び、帰ってしまうまで起きていられた(森に帰らず、家で一緒に暮らして欲しいと子供らしい辿々しさで提言しても、ネラプは少し寂しげにそれを固辞するばかりだった)。


 しかし、だからどうだというハッキリした理由は、モニーには無かった。

 竜と聖騎士の、壮絶極まるであろう闘いに、うっかりネラプが巻き込まれて欲しくはなかった。ネラプにそれを話し、逃げてもらうように言うという目的はある。


 しかし、こんな何の力もない子供がそう上手く役に立てるのかと問われれば、現実的でないと思っていた。

 それが子供心にも分かっていて、それでもモニーは森の中を進む。


 何のことはない、本当はただ自分が不安で、会って安心したいという気持ちが一番の目的だったのだ。


「……待って、待ってよぉ────きゃああっ!」


 幅の小さい歩みで、先に進んでいくレンに懸命について行こうとした────その時であった。


 レンが持つ松明の明かりが、兄妹の足の差で離れ、モニーの足元が照らされず陰に呑まれた。

 その踏み込んだ地面が斜面であることに気付かず、足を取られて悲鳴を上げた。


「えっ、モ、モニー!?」


 レンが驚き、振り返った。

 しかし既に、後を付いてきた妹の姿は無かった。


「お、おい? どこ行ったんだよモニー! 嘘だろ!? おいモニー!?」


 ────聖騎士達やネラプ達の預かり知らぬ所で、別の危機が起こり始めていた。



◼︎◼︎◼︎



「あなた、あなた!」


 時間は少しだけ遡る。


 ウッド家に、切羽詰まった声が響いた。

 妻のミイナが、普段踏み入れない工房にやって来て、ウッドに尋ねる。


「レンとモニーを見ませんでしたか? あの子達、家のどこにもいないの!」

「……どうしたミイナ、落ち着け」


 工房でウッドは作業していた。

 本来この時間なら外で仕事納めをしているところである。しかし聖騎士グロットの勧告により、今夜────竜退治の間の出歩きは控えるように指示され工房に籠っていたのだ。

 それはもちろん子供達も聞いており、家の外に出ないよう再三言い聞かせたはずだったが……。


「いないって、牛舎も探したか? 隣家とか……」


 自分と対照的な、ウッドの落ち着き払った態度に冷や水をぶっかけられた形になり、ミイナは口で息を整えてから、


「外も近くは探しましたけど、いなかったんです。それに……」


 しかしこうも慌てる理由が、ミイナにはある。


「それに予備の松明も一式、なくなってて」

「……松明が? よりによってこんな夜にどこへ……」


 松明が必要な程には遠く、そして長い時間まで外を出歩くつもりがあったのだとしたら。

 そして、よりにもよって今夜行く必要があるのだとしたら。


「……いや、まさか」


 その行き先について、じっと考えてから、思い当たる場所がウッドの脳内に閃いた。


 まさかとは思う。

 しかしミイナも既に同じ思考に思い至っていたのか、ウッドの考えを推すように言った。


「ああ、どうしましょう!! きっと聖騎士様達を追いかけて、『白の森』に行っちゃったんだわ! さ、探しに行かないと────!」


 その可能性の恐ろしさのあまり、再び平静を忘れそうになるミイナを、


「落ち着け!!」


 それまで低く小さな声だったのを、喉奥を大きく開いた威厳ある声でもって一喝した。


「……『白の森』に探しに行ったところで、俺達では何ともならん。モンスターは大人でも危険だ、助けるどころじゃない」

「で、でも!」

「……それにモニーが一緒なら、愚図って近くにいるかもしれない。ミイナ、頼むからまずは気をしっかり持つんだ」


 立ち上がりざま、安心させるようにポンと肩を叩き、ウッドは外に出る支度を始めていく。


「……俺は他にあいつらが行きそうなところを探してくる! お前は近所の若い奴らを集めるんだ、いいな?」

「は、はい……」

「……もし森に入ったと分かればその時は、俺もそいつらと森に行く。お前は子供達の無事を祈っててくれ」


 そう言い残し、ウッドはあっという間に工房を後にした。


 自分の子供を守るために、父親は力強く、不気味な赤い月のみが灯る闇夜を駆け出した。



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