第25話:すれ違い


「うっ……酷い臭いだ。トロールの死肉に群がる動物はおらんというのは、本当のことだったか」


 野太い男の声が、この場の臭気に苦言を漏らす。他にもいる騎士も皆、堪らない臭いに

反応を示していた。


 ネラプ達は、距離を離すことなくそこに居続けた。今は動けない。気配でバレてしまう。

 それにこのトロールの死体の傍に長くいたいと思う人間はそうはいない。ここにいた方が逆に安全だと判断した。


「グロット殿、貴女の話では、このトロールは元より埋められた死体であり……それが突如として動いたとのことだったが」


 先とは別の男の言葉に、ネラプはギクリと心臓が掴まれた心地になる。


 今ここに、このすぐ近くに、自分と死戦を繰り広げたグロットがいる。

 自分に向けて敵意と殺意を誓った彼女が。


 次に口を開いたのは、案の定、聞きに及んだあの彼女の声だった。


「……私は嘘はついてない。何処かの誰かみたいな不埒な真似はしない」

「いやいや。信じるとも、同士グロット。立場は違えど、同じ神を拝する身であるからな」

「いくら貴様らが寛容なフリをして形だけ阿ろうと、それは所詮今だけの体裁としか思わん。異教徒と我々に唾を吐くのは、貴様らだ」


 グロットはいつになく、底冷えする程冷淡な調子だった。

 凛々しくもどこか無愛想というネラプの中の印象は、まだ序の口、彼女なりの優しい態度だったと気付かされる。こんなにも冷たく、突き放す言い方が出来るのか、と。


「その本心では、いつ私の事を切り捨てようか、算段を企てているのだろう?」

「……まさかまさか。そんな滅相なこと」


 相手の方も、その悪態にあまり堪えた様子は見られない。

 聞くだけでは、彼らの中にグロットの味方はいないのではないかと感じる。切り捨てるなど、穏やかじゃない話まで飛び出しているからだ。


 ネラプには一つ、心当たりがあった。

 グロットと会話していた時、今と同じように嫌悪を示したカトリール。グロットは自らと対立する宗派と共にいるのだ。


 どういう経緯かは知らないが……彼女がここに率いた騎士団は、カトリールのものらしい。


「私はタダでは死なん。やれるものならやってみろ。嬲られた私の魂が天から降りることになろうとも、貴様ら一人一人呪い殺してやる」

「女の癖に怖いことを仰る」


 おどろおどろしい雰囲気のまま、犬猿の者同士の応酬が続く。


「ただ……竜の傍には、一人、子供がいるかもしれない」

「子供だと? こんな所に?」

「ここに住んでいるとも言っていた」


 思わず、声を漏らしそうになった。


「竜の手柄などはくれてやる、代わりにそれの処断は私に任せてもらおう」

「なんだ、そんなこと。……しかし、何の為に?」

「あいつは危険だ、私が殺す。……そう決めたからだ」

「ほう?」


 殺す。

 そうだ、彼女は確かに、殺しに来たのだ。


 誰を?

 そんなもの、決まっている。


 ネラプは、途端に恐ろしくなった。

 ああも敵対する者と同行してまで、彼女をそこまでさせる執念が、自分に向いていることに。


 ────野放しにしておけん! 直に我らが聖騎士団が、お前達を滅ぼす……いいや。


 ────最後にその首根に剣を突き立てるのは、私だ! 覚えておけ!


 そして自分が生きていることは、彼女の中で害と判断されたことに。


 ────俺は……。


「子供ねえ……フン、まあ好きにしろ。だが、竜を仕留めるのは我々だ。そいつが我らの邪魔となり、竜と一緒くたにしてしまったとしても文句は言うなよ」


 先導を引く男がそう吐き捨てると、再び彼らは足音の列を成して行進した。

 グロットも、黙ったままだったが彼らに着いていっただろう。


『……いっちゃった、かなぁ?』

「…………」

『ごしゅじんさま? どうしたの?』


 彼らに気付かれずに済んだ。

 しかしネラプには、そんなことはほとんどどうでもよかった。


 ずっと向こうに離れていったのを確認し、地面にがくんと腰をついた。



◼︎◼︎◼︎



『ふ……む……』


 竜の巣中枢の地下。

 オルメは身体を畳んだ姿勢のまま、目を閉じ、力を込めていた。

 瞼がヒクヒクと動き、その竜の体躯が、薄く、ぼうっとした白い光で包まれている。


 その光は静かに脈打ち、川の水のように地面を泳ぎ、壁を伝い、オルメが押し入ったせいで開けてしまった天井へと辿り着く。

 幻惑的な光景であった。白く光る水蛇が、何十、何百匹の数一斉に土壁を登っているかのような、眼を疑うその神秘性。


『……くっ』


 ざわざわと、丘になっている地面のそれぞれが生き物のように、その大穴を塞ぐために伸びていく。土が生え、先端にくっ付き、夜空がどんどん狭まっていった。

 が、その神秘的な伸び代は僅かで、すぐにパタリと地面は穴を閉じようとしなくなった。か細い木の根が根付くことなく何本かぶら下がっている。

 結果、穴の規模は僅かに小さくなったが、まだまだ塞ぎ切るまでは遠いだろう。


『……この程度か』


 オルメの身体も、白く光ることを止め、元の姿に戻った。

 目を薄く開け、自分の成果を見てからため息を吐いた。


『妾も落ちぶれたものじゃ』


 自嘲げにフンとせせら笑う。


 これこそが、ネラプとの話にあった竜気。

 竜気は生命の力であり、今のように自然に還元することも出来る。


 今持ち合わせている竜気を測るための実験のつもりであったのだが、結果は芳しくなかった。

 本来持つ竜気の量であれば、穴を塞ぎ、その上に森を作ることさえ出来たのだが……今ではご覧の有様だ。


『聖騎士の群れ……か。本調子ならまだしも、今の妾に勝ち目は無いのう……』

『キイッ!』

『うん?』


 その誰とも知れぬオルメの呟きを、聞いていた者がいた。

 それは人間ではなく、動物だった。


『キイッ、キィィィィ!』


 ネラプによって蘇ったコウモリの死骸。

 ネラプはマニと呼んでいた。


『……なんじゃ、お主も手伝うと? あやつのために?』


 マニやブルブサは聖騎士が来るかもしれないにも関わらず、逃げようとしない。

 この場所を守ると────ネラプのいる居場所を守るのだと、そう宣言した。


 彼らは、ネラプによって蘇らされた、謂わば眷族であるのだが、主君であるネラプへの恩義は厚い。

 しかしそれはどうも、ただ単に蘇らせてもらったから、という簡単な理由だけではないらしい。その血の恩恵に預かっていない妖精カーリも、ネラプに懐いていた。

 

『忠君よの。妾はそういうの、結構好きじゃ』


 その様は見ていて好ましいと思うと同時、その対象であるネラプに対して、興味を湧かせた。


 この動物達をそうさせているネラプとは、果たして何なのか。

 その眼と血以外に何があるのか気になったために、殺さないでいるのだ。


 そうでなければ……あの赤い眼共々、葬り去っていたことだろう。


『しかしまさか、「あの人間もどき」と同じ赤眼をした小童に頼らんといかんとはの……なんとも癪な話じゃ』


 縮まった穴の節目から漏れ降りる月の光に、目を細めてそうボヤいた────その時、


『ブモーッ!!』


 ブルブサがこの空間に現れたかと思えば、大きく鳴き声をあげた。

 何事かと、歩き辛い欠けた足で、それでも器用に歩くブルブサを見て、オルメは一言、


『一体どうした……って、なんじゃその背中のは? 見たところ……?』


 頭を打ち、擦ったところから血を垂らして気絶しているらしい少女────モニーが、ブルブサの背中に揺られていた。


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