第26話:葛藤


『ごしゅじんさまっ、ねえごしゅじんさま!』


 カーリの制止の声を聞いていないかのようなフリをして、ネラプはズンズンと歩を進める。


 尻餅をついて、立ち上がってからずっと黙ったままだ。包帯まで外し、『ある場所』を目指して一直線に歩いていく。


『ねえさっきからどうしたの! せいきしはあっちだよ、どこいくのっ? ねえったら!』


 カーリがその行く手を飛び回っている内に、ネラプがピタリと立ち止まった。


 ここが目的地。

 森の中でも開けていて、空が見えるこの場所こそが。


「……ここには、一人の人間が眠ってる」


 彼の目の前には、掘り返された土の跡と、目印として立てられた石塊があった。


「いい人だったんだ、すっごく。俺はこの人……バナージさんのこと、好きだった」

『しんじゃったのー?』


 良くも悪くも真っ直ぐなカーリの問いに、弱々しく苦笑しつつ、頷いた。


『だったら、ブルさんたちみたいにいきかえらせちゃえばー?』

「……それは、ずっと悩んでた。ずっとずっと……今も悩んでる……」

『?』

「バナージさんのために、バナージさんを蘇らせない理由を考えて、考え続けて……でもそれは結局、俺の独り善がりな方便でしかなくて」


 もはやカーリに向けてと言うより、自分自身に言い聞かせるような調子でネラプは言葉を落とす。

 それは一年が過ぎた今なお残る、彼のしこり。


 いや、生きていく限り永遠にネラプを苛む咎だ。


「バナージさんは、俺が殺したんだ。それはもうどうしようもなく変わらないんだ。だからもし、蘇って、こうして生きてる俺のことを『よくも殺したなこの化け物』って恨んでたら……そう思うと、怖いんだ」


 ネラプはバナージを忘れない。

 だからこそ、その時にしてしまった自らの過ちも忘れない。


 眼の封印は、身体を洗うか狩りをするか以外、ごく僅かな時間しか解いていない。

 その頑なな戒めは、新たな被害を作り出すこと無く、今に至らしめる。人との接触を極力避け、森に留めさせていた。


 何のことは無い、己から逃げていたのだ。


 そうでなくては、もしかしたらウッド達のような大切な人達に、この眼の能力が牙を剥いたかもしれない。

 そうでなくてもこの先、『最悪』を引き起こしてしまうかもしれない。


「俺……俺には、殺せないよ。聖騎士がいくら強くても、人間は殺せない……また同じことして、こんな思いを背負いたくない……」

『ころさなきゃ、ころされるのに?』

「……殺されるよりもっと嫌だ。今ここで、聖騎士の人達を望んで殺そうとしたら……今まで何とか上手く行ってたことが、もう取り戻せないんじゃないかって……思えて」


 そして何より、そんなことをしてしまうかもしれない、そんなことが出来てしまう自分が怖い。

 現実が迫る容赦の無い『選択』に、やがて押し潰されてしまうかもしれない。


「俺────俺は……生きてちゃ、いけないのかな……」


 思い詰めた苦悩の言葉が、その口から絞り出た────その時だった。



「う、うわあああああー!!」



 静謐とも言える重い空気を破る、悲鳴が聞こえてきた。


「今の声は……!?」

『にんげんの……おとこのこ?』


 咄嗟に声がした方を見ても、そこには木陰が重なった闇が続くだけだ。

 遠いわけではないが、すぐそこと言うわけではないらしい。何があったか知らないが、今からならなんとかなるかもしれない。


 しかしネラプはそれよりも、引っ掛かることがあった。


「……いや今の、聞き覚えが……」


 甲高い……というより、幼い男の子……。

 その思索の間に、また同じ声が聞こえてきた。混乱と、恐怖に慄く声だ。


 そこでようやく、声の主が誰か思い至った。


「っ────レン!? 何でここにレンが……!」


 そして何よりもまずは、疑問の方が真っ先に頭に浮かんだ。


 しかし、レンの存在に気付いたネラプは手早く包帯を巻き、すぐさま行動に出た。


「カーリ、道案内!!」

『は、はいっ!』


 カーリに導かれるままに、レンの元へとネラプは迷いなく走り出した。



◼︎◼︎◼︎



 竜の巣にて、淡い白い光────竜気が再び灯っていた。

 先程のそれとは比べ物にならない程小さく弱いそれは、眠っているモニーのものだ。

 正確には、モニーが受け取った、オルメの竜気であった。


「……う、うぅ……」


 額から流れる血が止まり、傷は人の治癒力を超えた速度で塞がっていく。痣になった頃に、光は衰え、ふっと掻き消えた。

 そして、原因が治れば寝ている必要もあるまいとばかりに、モニーの意識はあっさり覚醒した。


「……ここ、は……?」

『目は覚めたかの?』

「────ひっ……!?」


 そして────彼女の眼にまず飛び込んだのは、鱗に覆われた、巨大な蛇。

 しかし蛇と違い、その生き物にはモニーよりも大きな手足があり、翼がある。顎(アギト)とされる禍々しい顔と、大人すら一飲み出来るであろう口に、剣山かと見紛う牙が鈍く光る。

 そんな怪物が、自分をその手の中にすっぽりと収めているではないか。


 まさにそれは、この世の恐れの権化であった。


「り、竜……!? お、お兄ちゃん! お父さん、助けて!!」

『あーあー、落ち着いてくれんか。何もせんから』

「い、いやっ!!」


 ジタバタと慌てふためくも、その身柄はオルメの手元にある。

 竜気を送り込むのに必要なことであったが、そんなこと知る由も無いモニーが怖がるのも無理は無い。


『取って食ったりなどせんよ。犬猫の赤子が可愛らしく思えるように、妾にも幼子を愛でる感性はある。ほら、小さき子よ』


 オルメは優しく話しかけ、一瞬、その小さな頭に触れた指先に竜気を灯す。

 すると、モニーのそれまでの混乱と恐怖の表情が和らぎ、抵抗もスウと止まった。


 次にオルメは歌うように、喉を鳴らした。

 繊細で優しい音色の連続だった。それは何かの旋律を刻んでおり、モニーの鼓膜を耳目をそっと撫でる。

 穏やかな顔のまま、モニーは眠るように目を瞑った。


『……どうじゃ? 落ち着いたかの?』

「……悪い竜さんじゃ、ないの?」

『竜は、己の良し悪しに興味は無い。ましてや人間の評価など尚更。あるままに在る、それが妾達じゃ』

「……えっと、その、どういうこと?」

『あー、つまり……妾が悪いかどうか、お主らが勝手に決めればよいということじゃ』


 オルメとモニーは、まるで人間の友達同士のそれと同じように、会話を紡いだ。


 それはもちろん、オルメが生物の緊張を解す竜気を当てたおかげなのであるが……ウッド達村民が見たら、卒倒しそうな光景である。


「……じゃ、じゃあ!」

『うむ?』


 モニーがじっとオルメの目(その大きさ故、片目をずいと覗き込む形となっていたが)を真正面から見据え、


「……私、竜さんが悪くないって信じるから! だから良い竜さん、わ、私をお家に帰してくださいっ……!」

『人間の子は、随分面白いことを言うもんじゃの』


 子供らしい理屈に、どこか感心したような様子でオルメは言う。


『そもそも何故単身、こんな森の奥深くまで来たのか知らんが……まあお主の好きにすればよい。帰りたければ帰ればよいよ。何なら妾の僕……あー……知り合いの人間に家まで送らせる』

「ほんと!? ありがとう竜さん!」


 パァッと満面の笑顔が花開き、掛け値なしに喜んだ。


 しかし一方で────オルメはどこか芳しくない面持ちで、〝この竜の巣に通じる縦穴の方を見ていた〟。


『ただ────どうにも「たいみんぐ」というのが最悪みたいでの……〝来おったわ〟』

「……え……?」


 モニーが状況が理解出来ないと、首を傾げる。

 対しブルブサとマニは、揃って警戒を露わにした唸り声を上げ、身構えた。


 しかしそこに、在るべき者の姿はない。


『チッ……一体どこをほっつき歩いておるんじゃ、あのたわけは』


 竜の末裔、オルメ=ド=ヴァインシュプの臨戦態勢は、静かに解かれた。

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