第13話:雨の日


 太陽はぶ厚い雲に隠れ、雨が降っていた。

 光が無ければ一応は大丈夫なのか、ネラプは昼間から外に出て動けていた。


 いや、例え陽が出ていたとしても、そのせいで身体が溶けようとも構うことはなかっただろうが。


「…………」


 バナージの遺骸は、埋めることにした。

 ブルブサには、運ぶのを助けてもらった。今は少し離れたところで蹄で地面を掻いている。


 洞窟の外、森の中でも比較的日の当たるこの場所で、弔ってやるのだ。


 瞼を閉じ、眠っているかのように装って。

 手枷は何をやっても外れなかったので、仕方なしに両手を胸の上で組ませておいた。事実、こうするものなのだと、バナージから教わったのだ。


 ────魂を無くした身体は、死してなお『天』に昇る魂と繋がっている。

 ────せめて親しい者が、穏やかに過ごせるように。


 ネラプは人間のしきたりなどは知らない。

 しかし、その真似事をする他に彼が出来ることは無かった。


 きっと、これでいい。

 こうするのがバナージのためだと言い聞かせながら。


 こうするのにも、本当はずっと悩んでいた

 何度も何度も、必死に悩み続けた。


 思いついてしまったのだ。

 自分の血なら、あるいは────バナージを蘇らせることが出来るのではないか、と。


 が、ネラプはそこでパタリと思い止まった。


 怖かったのだ。

 ネラプの血は、治癒の力ではない。

 死体を起き上がらせる程度の力だ。


 ブルブサやマニには上手く行った。

 だがバナージは人間だ。

 死んだ身体を、この先ずっと引きずっていかなくてはならない。自分が死んだという事実と、向き合い続けなくてはならない。


 蘇らせるということは、そんな自分のエゴを強いなければならないのだ。


 果たして彼は、そのことを受け入れられるのか? 耐えられるのか?

 バナージは本当にそれを望んでいるのか?


 想像するだけで胸が苦しかった。

 分からない。これが、本当に正しいのか。

 いっそバナージ本人に直接訊いてみたいくらいだ。


 ────生きることと死ぬことは、どちらが苦しい?

 ────生き続けることと、一度死んでから生き直すことは、どちらが辛い?


「……でも俺、また一人になっちゃったよ……バナージさん」


 トロールの時よりも深く掘った穴に横たわるバナージに目を落とし、呟いた。


 雨は当分、止みそうに無い。



◼︎◼︎◼︎



 森に雨が降りしきり、うっすらと霧がかる中、ネラプはある『荷物』を手に次に行くべきところに赴いていた。

 ブルブサの背中に乗り、揺られること数刻、獣道を進み続けた。


 獣道と言っても、痕跡がある。

 最近踏みならされた、


「大分ぬかるんでるけど、辿れるか?」

『ブモッ!』


 任せろとばかりに鼻を鳴らすブルブサ。

 牛の嗅覚は、人のそれの比べはるかに鋭敏だ。

 よって外に出た時の、数日前のバナージの痕跡なども容易に辿れる。流石のネラプでも、そのような芸当は到底出来なかった。


 そんなブルブサに対して、ネラプは元気の無い笑みを浮かべた。


 やがて、森の木立が切れる端まで進んでいた。あの時バナージは、ここから外に向かい調度品の数々を泥ぼ……もとい、調達してきたわけだ。


『ブモ、ブモ』

「ありがとうブルブサ。もうここまででいいから、家に戻って留守番しててくれ」

『ブモ?』

「大丈夫、すぐ戻るよ」


 ブルブサの背中から降りて、ポンと叩いた。

 眼前に広がるのは、初めて見る森の外の世界。

 彼には、目的があった。

 ここで為さねばと思う、ある目的が。


 草木生い茂る緑の丘陵と、地面がめくれ上がったかのように切り立った大きな崖。

 今まで見たことのない、開放的な広い世界に、ネラプは少し圧倒された。


 遠く目を凝らすと、いくつか民家や小屋、広い田園や牧場の柵などが見え────


「おっと……いけないいけない」


 と、思わず一望してしまったが、ふとこのままではまた眼の能力が暴発してしまうことに気付いた。


 慌てて目を伏せ、準備していたいつぞやの包帯を両目にぐるぐると巻きつけた。

 これで、ひとまずの問題は無い。


 この眼は、視界に入ったものに対して見境が無い。コントロールも出来ないし、その範囲は視力が許す限り、どこまでも広がる。


 今、たまたま人や動物が見えなくてラッキーだった。

 この眼の能力で無益な殺生はしたくない……今は特に。


「さて、と……何気に、外に出るのは初めてだな……マニ!」


 ネラプが呼ぶと、コウモリのマニがネラプの周りを飛び回り、パタパタと羽を羽ばたかせている。

 

「……今のお前は俺の目だ。道案内、頼むよ」

『キキッ』

「よし────行くか!」


 ネラプはその閉ざされた視界を以って、足取りのたどたどしいまま、初めて森の外へと踏み出した。



◼︎◼︎◼︎



 村落というより、一世帯が一つのコミュニティーを為しているかのような地域だった。

 隣家に渡り歩くだけで、えっちらおっちらと歩き続けなければならない程に、村落と纏めるにはやや広すぎる。


 その分一戸の規模が大きく、家畜込みで大家族であることが多かった。夫婦とどちらかの近親者、または兄弟夫婦の二組がそれぞれ子供を為していても一つの家に同居していたり、ということは少なくない。

 これには、その一日一日生き抜くための働き手は多い方がいいという合理的な意味もあれば、少ない人数で心細く生きるよりも、人の繋がりで支え合いたいという人間の心情的な意味もあるのだろう。


「え、服と食器? さあ……私らのじゃあないねえ。え、手枷を付けた人を見たか? いや、見たことないよ。囚人でも逃げ出したのかい」


 ネラプは、あちこちの農家・民家を訪問した。


「盗まれた? いんや、そんなん知らねえべ。てか、盗っ人に盗まれるようなモンもここにゃねえし、な!」

「そうそう、俺らンところの宝は盗っ人なんぞに理解が及ばぬ、この馬・豚共よ! 特にこいつのこの毛並み、都でもそうお目にかかれねえぜ、はっはっは!」


 目は見えなかったが、マニの導きによって何とか一つ一つ練り歩くことが出来た。


「盗み……は知らないけど。それよりアンタ、どっから来たんだい? 見かけない顔だけど、その目……病気かい。悪いけど移されたら困るし、ウチらに近寄らないでおくれ」


 時には心配され、時には気味悪がられ。

 いや、どちらかというと不審な目を向けられることの方が多かった。出来るだけ清潔な服装を心掛けていたが、貧相な身なりばかりは誤魔化せず、乞食や眼病と間違われ、挙句は逃げ出す羽目になったりもした。

 たった一人(マニは他の者に見られないようにコッソリとネラプの上空を飛んでいた)の子供が、目を患ったようにしながらも突然現れたのだ。仕方のないことだった。


 しかし時間が許すまで、ネラプは動き続けた。

 手には以前、バナージが盗んだと話した日用品等を持って。


 そう、ネラプは、これらを元あった場所の持ち主に返そうとしているのだ。

 これは、一度貰っておいて今更な話だが、やはりこれは返しておこうとネラプが思い直したためであった。


 これでも、自分のためを思ったバナージの気遣いの証。

 だからこそ、嬉しかったからこそ、自分のせいで盗みを犯したという事実を残しておきたくはなかった。


 罪悪感から来るものだったかもしれない。

 見ていて思い出すから、置いておくのは辛かったのかもしれない。


「往復時間を入れても、たった一日じゃそう遠くまでは行けなかったはず……きっと大丈夫。見つけられる……はず」


 しかしネラプは、そうしようと決めた。

 安心出来る住処から初めて離れ、頼りない我が身一つで懸命に探し求めた。


 そして、いくら時間が経ったことだろうか。

 いい加減疲れてきたところで、遂に、バナージが立ち寄ったと思しき家に、辿り着いたのである。



◼︎◼︎◼︎



「……ああ、その服は確かに、俺の倅の古着だ」


 男は、渋くて沈着な声が特徴で、ネラプより頭二つ分背丈が大きい。

 目を塞いでいるため、ネラプにはその外見を知る由も無かったが、そのことを後悔してしまうような、それはそれは顎髭が見事なナイスミドルである。


「ほ、本当ですか!? よかった、見つけた……!」

「……で、何の用だ」


 さて、ようやく目的の場所に辿り着き、ネラプはほっと息を吐いた。


「あ、そうだ。ええと……これ、返しに来ました……その、俺が盗んじゃったので」

「……盗っ人が、わざわざ盗んだ物返しに来たって?」

「あー……ええと。その。魔が差してつい」

「……魔が差したから、その家をわざわざ探してまで返しに来たってのか」


 うっ、と分かりやすく言葉に詰まるネラプ。バナージに言われた嘘が下手くそという言葉が、ここでも突き刺さる。


 男はそんなネラプをじっと見てから、


「……嘘はつかなくてもいい」

「う、嘘なんかじゃ……」

「……いや、分かるさ」


 そして、次のように言った。

 ネラプにとって、衝撃的なその一言を。



「……それは手枷を付けた男に、俺が譲り渡したものだからな」



「……え?」

「……バナージという男だった。その時は俺よりまず先に俺のカミさんが応対したんだが……扉を開けた途端、


 それは。

 それは、ネラプには聞かされなかった真実。

 それは、本当なら知らずに済まされたはずの真実。


 ここに来なければ、知る由も無かった。


 ────日用品だ。食器とか、あと適当な食いもんとか。

 ────でもこんなの、どうやって……

 ────盗んだ。


 ネラプは、あの時の嘘を知った。


 しかしそれは、悪意の無い、あまりにも優しい嘘だった。


「……必死だった。あまりに必死で……『どうしても助けたい奴がいる』と言っていた。……それはどうやらお前のことのようだな」」

「え……あ、え?」


 男の言葉が、耳に入れたまま咀嚼されずぐるぐると回る。

 ネラプは、混乱しきりだった。


「そんな……だってそんなこと一言も……でも、だったらどうして、バナージさん……盗んだなんて……」

「……あの男、元はカトリールの僧侶だったらしいんだ」

「カト、リール……?」

「……カトリールを知らないのか? 今や『聖教会』と共に世界を覆うガイン教二大宗派の片割れだぞ」

 

 ネラプの世間知らずに訝しげな表情になりながらも、男は話を続けた。


「……だが罪を課せられ、今は犯罪者に身を落としたとも聞いた。こちらが尋ねるよりも早く、その身の上を明かしたよ、わざわざな。……その理由が、分かるか?」

「え、いえ……分からない、です」

「……つまり、今や汚れた元聖職の肩書きを、乞食のためにもう一度使ったんだ。少なくとも、その効果を期待してな」


 しかし、と言い置いてから、バナージの行動の意味を諭すように説明した。


「……それは、信心を持つ者にとって死と同じ……いやそれ以上に、耐え難い恥だ。破門され、一度捨てた身を拾うような恥知らずは、罪を負った人間以下。教えを知らないと理解出来ないかもしれんが……犯罪者がやる泥棒なんぞよりも身を切る屈辱なんだよ、これは」

「…………」

「……現にあの男は、土下座しながら顔を酷く赤くして……泣いていた」


 そう言うと男は目を落とした。

 ネラプには、その視線の意味どころか、視線を向けたことすら分からない。

 その向けた目線の先────今のネラプのすぐ横で、在りし日のバナージのその姿を彷彿させていたことなど。


「……ところで、彼は?」

「……死にました。今朝早く……」

「……そうか。残念だ」


 男は、既に察していたらしい静かな声音で、驚くこともなく言った。


「……それはもうお前さんのものだ。せめて彼のために、大事に使ってやってくれ」

「でも……」


 色々衝撃で困惑は続いていたが、それでも何とかネラプはその申し出を固辞しようとする。


 だが、少し待ってろと言い置いて、男は家の中に引っ込んでしまった。

 手持ち無沙汰のまま、ネラプは家の前で待っていた。中で聞こえる声には、彼と彼の妻らしい女の声のやり取りが聞こえた。


 やがて、再び扉が開き、ネラプの元に気配が近寄った。


「……これも持ってけ。俺の牛が出した乳だ。腐る前に飲めよ、栄養があるし空き瓶も使い道がある」


 声でそれが男のものだと分かると同時、ネラプの手元に押しつけるように、飲み物の入った瓶が渡された。


「あ……」

「……彼には、こうも頼まれた。『たまにでいいから、あいつの面倒を見てやってくれ』と」


 相も変わらず渋い声で、しかしそこにはどこか、柔らかい語調が含まれていた。


「……俺の名前はウッドだ。また困ったらウチに来な。死んだ人間の頼みだ……聞き入れてやらなくては、あちらで気も休まらんだろう」

「あ……ああ……」


 ネラプは、泣いていた。眼帯の下から、涙があふれた。


 自分のせいでその命を奪ってしまった申し訳無さと、謝りきれない感謝の念が一杯に込み上げてきて。


「……ズルいですよ、バナージさん……そんなこと……俺……おれ……」


 自分のせいで、自分のせいで。

 自分が殺してしまったも同然なのに。

 そんなことを知ってしまったら、もうその罪を背負って、それでも生きていかねばならないじゃないか。


 例え死んで償ったとしても、バナージはきっとそれを許さない。むしらバナージの行いをフイにしてしまうことこそ、きっと、彼にとっては何よりも許しがたいことに違いない。

 そしてネラプ自身、そのバナージがくれた優しさを無下にしたくなんてサラサラなかった。


 ちゃんと謝りたいのに。

 そして、ちゃんと礼を言いたいのに。


 直接、もう一度言いたいことがあり過ぎて。

 あらゆる言葉の数々が浮かんでは消えて────喉の奥が塩辛く、そして熱くなった。


「……ありがとう、ございます……ありがとう……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 誰ともなく、ネラプは頭を下げる。

 悔悟の念に押し潰されそうだ。

 それはこんな自分に対し、親身なウッドに対してでもあり、そして今ここにいないバナージに対してでもあった。


「……礼はいい。ちゃんと彼の冥福を祈ってやれ」


 いつしか雨は勢いが弱まり、止みかけていた。


 しかし、いくら止めよう止めようと思っても、口から出る嗚咽は、しばらくとめどなく響き続けていた────



◼︎◼︎◼︎



 そこには、一つの墓がある。


 献花は無い。墓碑の言葉も刻まれてはいない。

 この世界で一般に流通する、十字の墓石(墓標)も無い。


 あるのは人の大きさに埋め直したらしい土の隆起と、立てられた石。そして陰気な森にしては珍しく、開けた空が窺える。

 ここからなら、良い具合の陽当たりとその空が見えるだろう。それだけが利点とも言えるが。


 人気も無い、誰も来ない寂れた場所。


 そんなところに、今日も一人訪れる影がある。


 そうするのが、彼の日課なのだ。それも、いつも決まった時間帯に。


 それは明るく生きるものの気配の活発な昼ではない。

 生きるものの寝静まり、もの恐ろしい程の薄暗がりで、そしてどこか妖しげな宵の口だ。


 そんな時分に、彼はいつもこう声を掛けるのだ。



「────おはようございます、バナージさん」



 闇夜の帳を携えて、ネラプは今日も真紅の瞳を光らせる。



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