第4話:赤眼


 これまでの記憶が無いネラプには、自分の顔というものが今まで分からなかった。

 声や体格で、自分が男だとは分かっていた。細身よりも細身で、血管が浮き出る程肌が白いことも。


「うーん……」


 初めて外に出てから、数回日が昇り、沈んだ頃。

 洞窟の外にある森を彷徨い続け、ついに湧き水の絶えない泉のほとりに行き着いた。

 それまでの食糧は、数日前自分の目の前で死んだ魔狼の血肉、群生する木の実で飢えを賄い、渇きを潤していた。


 ネラプは水の在り処を見つけてまず喜び、その水を飲もうとした。

 その時、澄んだ湖面に浮かぶ波紋が、自分の顔を映しているのに気付いた。そこで、ネラプは自分の顔を知った。


「こうして見ると……やっぱり不健康そう、か?」


 まあ分かっていたことには、自分の見目が良くないことだ。

 やつれており、陰気な感じがありありと浮き出ている。目を閉じれば死んでいると思われそうな程、血色が悪い。

 しかし肌自体はそう汚いわけではなく、仮に寝ている時にそう思われても、嫌悪されることは無いと思うが。

 

「髪が長いのは分かってたけど、改めて見ると鬱陶しいかな……」


 髪は全体的に長い。女のようだ。

 いずれ適当な長さにしたいところだ。


「そんで後は……この『眼』……」


 そんな中、一番に目につくのがこの『眼』であった。


 赤い。途轍もなく澄み切った、緋の『眼』。

 やや大きめの瞳孔は、くりんと赤黒く瞬いており、この夜ではかなり目立つだろう。


「何だかちょっと禍々しいというか……人が見たら怖がっちゃいそうかな、ハハ」


 まるで今上空に浮かんでいる、『紅い月』のような色を模したかのようだ。

 夜を照らすくらいに明るくも、どことなく不気味に感じる、紅の色。


 しかし────自分の持つ双眸と、遥か彼方の丸い月。


 この二つがとてもよく似ていることが、ネラプにはなんだか嬉しく思えた。



◼︎◼︎◼︎



 それから更に、幾日かが過ぎた。

 彼はと言うと、やはり最初に目覚めた洞窟を拠点にしていた。


 その理由には、自分が陽の光が苦手であり、陽の沈んだ夜間にしか活動出来ないからであった。

 

 近辺が森であり、動物以外に人の気配がしないこと。

 何回か森の中を探索したが、それ以上の進捗は無かった。


 木登りもしてみた。

 高いところからなら、何か分かるかもしれない。そう考え、何とか丘の高いところにある一本に登りつめた。

 結果は期待外れ。夜の暗さのせいで、あまり遠くまで眼を懲らせなかったのだ。

 分かったことと言えば、高所から見渡しても、誰か自分以外の人間が暮らしている灯りのようなものは見えなかった。


 この森はどうやらかなり広く、そして自分が今いる洞窟はその中でもかなり奥まったところに位置しているらしい。森の地下は、その洞窟の空洞が広がっているわけだ。


 少なくとも、一日二日歩いたくらいでは人のいる場所に辿り着けないかもしれない。

 つまり数回、陽の光をまともに受ける必要がある。それを何とか出来る方法が見つかるまで、下手にここから動けないのだった。


「ま、取り敢えず今すぐ死ぬことはなさそうかな……」


 洞窟の中で、ネラプは一人ゴチる。

 暮らしぶりは、何とかなっていた。


 飲み水は確保した。

 食べ物も……意外と問題無い。

 燃費が良いのか、最初の飢えを何とかした後、これまで木の実しか食べておらず、さらに動かなければなんと数日食べなくても大丈夫なのだ。


 もちろん、毎日食事するに越したことは無い。

 ずっとこの調子では、弱まっていく一方だ。


「……よし」


 そんなわけで、動かず数日間一体何をしていたかというと────武器を作っていた。

 かなり原始的だが手頃な石を割り、先を尖らせ、木っ端や葉で研ぐ。

 その刃に柄をくくりつけ、石斧にした。

 尤も、切り裂くというよりは、叩きつける打製石器だ。


「無いよりマシ、かぁ」


 前回は偶然の幸運だったかもしれないが、今度はそうはいかないだろう。


 初めて自分の手で作ったその武器は、初めてにしては上出来……。

 そう思うことにした。


「……いや、やっぱぶきっちょだな」


 掲げた力作を見て思い直し、小さく苦笑した。


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