第6話:発覚


「うああああ!!」


 足音を立てない方がいいと分かっているのに、勢いよく飛び出した。

 声を出さない方がいいのに、思わず雄叫びを上げて駆け出した。


 モンスターの背中らしきものが、ネラプの視界に映った。

 囮の食料に気を取られているようだった。

 人間のそれを軽く上回る背丈に、筋肉質の上背。隆起し、丸太の如きその筋肉が緑色であるということ以外は、人間のように二足歩行し、人間の形を為しているように見えた。


「っ、トロール────っ!?」


 確かにこのモンスターは、世にトロールと呼ばれる脅威(モンスター)である。


 その圧倒的膂力は岩をも砕き、大人の男を軽々持ち上げ、その身を折り曲げるとされる。

 更に言えばトロールは、生まれてから一度としてその身を洗うことをしない。ヨダレを撒き散らし、その緑の肌は垢を飼っているために変色したものだ。

 つまり、成長していればしている程、その姿は醜く、臭いは強烈だ。だから人間及びモンスターも近寄らない。

 その上で人間に対し、特に好戦的であるとして恐れられているモンスター筆頭であった。


 ────っ!?〝今、何で〟……!


 だが、自身の記憶すら無いネラプに、そのようなことを知る由は無かった。

 そのはずだが────〝知っている〟。


 ネラプは確かに、このモンスターを知っているのだ。


 しかし今、そんな些末なことを気にしていられない。


 やらなければ、やられる。

 石斧を振るい上げ、そして。


 鈍い音が耳に届いた。


 同時に手応えの衝撃が残り、ネラプの貧相な二の腕が痺れる。

 まるで鉄に殴りかかったかのようだ。

 モンスターの厚い筋肉は、石斧を叩き込まれてもその皮膚に食い込ませるどころか、固定した刃の部分を柄の先から吹っ飛ばした。


「────っ……!」


 いくら粗末な作りだったとはいえ、人間ならこうはいかない。


 ネラプは本能として、モンスターと呼ばれる存在を知っており、そして今に至るまでその脅威を遠くから感じ取っていた。

 しかしそれは、浅見でしかなかった。

 モンスターと呼ばれるものの理不尽性を知らなかった。


 今、直接対峙して、今更ながらに骨の髄まで理解する。


 これが、モンスター。

 人間よりも野生に特化した存在。


 このままでは殺される────それだけが警鐘として頭に響いていたネラプは、とっさに飛び退いた。

 が、足がすくみ、尻餅をついてしまう。


 心のどこかで、自分の倍の丈はあるこのモンスターを恐れていた。

 腕力では勝てないことが、分かりきっていたからだ。


 今のネラプに、逃げること以外の選択肢を考える余裕は無かった。


 しかし────そんな彼にとって、思わぬ事態が起きた。


 モンスターは、ネラプが恐怖に惑う間、静止を続けていた。

 だがやがて、ぐらりと、その身体を傾かせたかと思うと、


 その巨体が────人間よりも強固で力のある存在が────ズシンと音を立て、倒れた。


「っ、え……あ?」


 ネラプは、何が起こったのか分からなかった。

 事実、何も起きていなかったはずだった。殴りつけてから、倒れるまで。


 今すぐ襲いかかってくると思っていたのに、目の前の光景はこうもその裏を掻く。


 奇襲が成功した、とは思えなかった。殴りつけた瞬間、ハッキリと、効いていないことが分かった。


「うっ……!」


 だが、未だモンスターは動かない。

 倒れ伏したままだ。

 最初に外に出た時もそう、襲われたかと思ったその時、突然死んだのだ。


「ま、まただ! また……!」


 そう、それはまるで────



「────〝俺の目の前で……『見ただけで』、死んでいく〟……!」



 ネラプの初めての戦いは、呆気なく彼の勝利で終わっていた。

 綺麗に残ったその大柄な骸は、石灰質の土壌を掘り返し、一夜を掛けて地中に埋葬した。


 彼の眼と同じ、紅色に光る満月だけが、その一部始終を見下ろしていた。


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