第8話:埋葬
────衝撃の出来事から、幾らかの日にちが過ぎていた。
死んだはずの牛が、蘇った。
しかも今こうして、四つ足で立ち、生前を引き継いだ振る舞いを取ろうとしている。
あまりに荒唐無稽な、信じ難い事態。
ネラプには、眼の事もある。
視界に入れたあらゆる生命を奪う、最強最悪のとんでもない能力。自身の持つ眼の恐ろしさを、彼は理解した。
これには彼も、衝撃に次ぐ衝撃で混乱と狼狽を隠せずに────
「……よし、決めた!」
腕を組み、長考を続けていたネラプは頭を持ち上げ、口を開いた。
「今日からお前の名前は、『ブルブサ』だ」
『ブモ?』
「いや『ブモ』じゃなくて、『ブルブサ』! ブ・ル・ブ・サ!」
────いる割には、案外呑気していた。
ここは、ネラプが居住しているいつもの洞窟である。
しかし今この時は、その『いつも』とは違っていた。ネラプ一人しかいなかったこの居場所に、一匹の同居人(ともだち)が増えたのだ。
『ブモ、ブモ』
「うん、我ながらいい名前だよな。ホントよろしくな、ブルブサ!」
『ンモー』
名付けに満足気なネラプは、ブルブサを暫し〝眺めた〟。
白黒のまだら模様が特徴の牡牛……ブルブサが、応えるように喉を鳴らした。
さて、そんな感じでネラプは、最初こそ酷く驚いたものの、落ち着いてからは今ではすっかり受け入れてしまっていたのだった。
それは一つに、安心したことにある。
〝ブルブサは、ネラプが眼で見ても死ななかったのだ〟。
ブルブサの背中を、ポンポンと叩いた。
手に残る感触は、生気を一切感じさせない冷たさだった。
「……冷やっこいな、お前は」
『モーッ』
「アハハ、よしよし怒るな怒るな」
『完全に生き返った』と言うには語弊があることが、しばらくしてから判明した。
正しくは『蘇った』と言うべきなのだ。決して、ブルブサは『生き返った』のではない。
そう、ブルブサの身は、その生命は、『生き』てはいない。
矛盾するようだが────動物としては死んだ状態のまま、生きていた時のように動く事が出来るに過ぎない。
身体は死んだその時のまま、動かす意思が宿っているとでも言おうか。
その証拠とばかりに、モンスターに裂かれたその腹からは、腸の端が未だぶら下がっている。
死んでいるからか痛みを感じていないらしく、ブルブサはその事に無頓着だ。まるで気にしてもいないらしい。
「あー……ちょっとそれは、何とかした方がいいかな、うん」
『ブモーン?』
ネラプからすれば、見ていて痛々しいので、何とかしてやりたいのだが。
◼︎◼︎◼︎
さて、本題に入ろう。
本題とは、『ブルブサが何故蘇ったか』
ブルブサを襲ったモンスターに、そうした力があったわけではない。言うなら何の変哲もない、トロール同様の野生的な
ではあの時、ブルブサに何があったのか。
ネラプに視点を向けてみる。
ネラプの行動は、モンスターを眼で睨み殺し、ブルブサの血を吸った。そして更なる欲求を抑えられず、捥いだ牙で手を自傷した。
ここでネラプは我に返る。その堪え難い欲求が何だったのか、今は触れずに置いておく。
自傷し、彼の血で塗れた牙は、手の中から滑り落ち、ブルブサに触れた。
その数秒後────ブルブサは意識を得て、死体の身を得ることとなった。
そう、ここに、ネラプの新たな性質がある。
ネラプの血が付いた牙。
ネラプの血。
ネラプの血が、ブルブサに触れ────大きく開いた傷口に────〝入り込んだ〟。
結論。
ネラプの血には────死んだ生き物を蘇らせられる力があるのだ。
だが前述した通り、生き返るわけではない。〝そう見えるだけだ〟。
肉体は死んだまま、取り戻した意識だけが生命の理を終了した肉塊を動かしているに過ぎない。
死者の安寧を奪う、眼同様に呪われた力。
こうも生死の理を揺らがすネラプとは、一体何なのか。
彼は、まだ知らない。
己の身に刻み込まれている、恐るべくも根の浅からぬ深淵が、粛々と息づいているということを。
◼︎◼︎◼︎
さて、ブルブサには、首輪と鼻輪がそれぞれあるべき所に施されていた。
野生の牛にはあり得ない、人の手が加えられたことを証明する酪農器具。
どこかに飼われていたところを脱走してここまで来た、のだろうか。
とすると、ここから人の住むところは割と近い。ブルブサが来た道を辿る事が出来れば、数日にはブルブサを飼う人間の場所に着くだろうか。
「……まあ、そんな事したってなあ」
ネラプは、積極的に人と会おうと考えなくなっていた。
もちろん人恋しい。それに寂しい。
しかし、この眼の力がハッキリした今、ここで人の大勢いる場所……町などに行けばどうなるか、分からない程馬鹿ではない。
まさか牛やウサギ、挙句モンスターに通じておいて、人間には無効などと都合が良い話はないだろう。
人間の営みなど、この眼を前にすればあまりに脆い。無差別なこの危険な力は、少なくとも何かしらコントロール出来る術を確立させるまで隔離されるべきだ。
『モー』
「ん? どうしたブルブサ」
それに今は、ブルブサがいる。
お喋り相手にはなれないが、いてくれるだけで心細さが薄まった。ネラプの傍にいられる、貴重な存在。
寂しいのなら血で動く死体の数を増やせば────とか、そういう問題ではない。
偶然にせよ蘇った、限りある友人をネラプは大事にしたかった。
『ブモ』
「おいおい何だ、どうした? もう食べ物は足りてるだろ……」
ある日そんなブルブサが、夜ご飯を食べた後(死んでいるため、食べたフリだが)、明け白む夜に向けて頭でネラプを押し上げようとし始めた。
戯れるのとは違う、何かの意志を感じる行動。
例えるなら、そう────
「俺をどっかに連れてきたいのか、ブルブサ」
『ンモー』
どうやら、正しかったらしい。
◼︎◼︎◼︎
「…………」
夜。
ブルブサの言う(?)通りに、ネラプは歩き続けた。
灯り一つ無いこの暗い森にも、夜目と土地勘を効かせ、慣れた風に歩き回れることが出来た。
眼があるために、モンスターももはや怖くなくなった。
そんな森でも、まだネラプの頭の地図が埋まりきっていない地点まで、ブルブサの指し示すままに進み続けた。
そして、目的地らしき場所に行き着いた。
「お前に、似てるな」
『ンモ』
「こいつ────お前の家族か?」
目の前にあるのは、腐った肉の細切れだった。
正確に言うなら、無残な、動物の死骸。
うじや虫が集り(ネラプが死体を見た瞬間に、虫達は傍で飛ぶのをやめてポトリポトリと落ちていき、蛆虫は己の身を掻き毟るようにくねらせてから動かなくなった。実に難儀なものである)、既に地面と同化するかのように朽ち落ちていた。
ネラプにも、元が何の動物なのかハッキリと分からなかったが、ネラプには想像し得ることが一つあった。
「ブルブサ……お前、俺……いや、誰か助けてくれる奴を探してたのか。お前らを助けてくれる奴を」
その言葉に反応し、ブルブサの尾がパタパタと揺れた。
恐らく、所有者に飼われていたブルブサは、一匹でなくこの元牛と一緒に脱走してきたのだ。
そうして二匹、この森に逃げてきたはいいものの、モンスターに襲われた。
このもう一匹は、ブルブサを逃そうとした。命からがら逃げおおせたブルブサも、この片割れを助けるたい一心で、懸命に、アテもしれぬこの森の中で救いの手を求めていたのだ。
が、牛の足ではやがて地の利のあるモンスター共に追いつかれ、ブルブサも餌食の目に遭った。
そしてそこにたまたま、ネラプが居合わせた……。
トン、とブルブサが背中を押した。
振り返ろうとしたネラプに、またリズミカルにその背中を押す。
『その死骸に近付け』と言っているかのように。
その意味をネラプは少しの間逡巡してから、察して、首を振った。
「これは、無理だよブルブサ」
『モー』
「無理だ」
『モー』
「無理なんだよ」
押すのをやめないブルブサに、ネラプは静かに告げる。
「お前のそれが、全部だよ。きっと俺は、死んだ生き物を元通りに出来るわけじゃない。生きてるフリをさせてるだけだ」
ネラプの眼は目に留まった生き物を皆殺しに出来、ネラプの血は死んだ『モノ』を動かす力がある。
しかし、ブルブサの傷は治っていない。
つまり、血に治癒の力があるわけではないのだ。
こんな足とも頭とも見分けがつかない肉片の塊を蘇らせられはしない。いや、蘇ったとしても、その後はどうなると言うのだ。
動けもせず、鳴くことも出来ず。腐り消えて無くなるのを待つことになる。
「……せめて、穴を掘ろう。穴掘って、その中で静かにしてやろう。な?」
『ブモ!』
「きっと、その方が喜ぶ」
その短いツノの辺りを、柔らかく撫でた。
カチカチに硬く、冷たい皮毛。もはや容れ物に過ぎない身体の、なんと空々しいことか。
「ゴメンな、ブルブサ」
『モーッ!』
ブルブサが、一際大きく鳴いた。
すぐにそれも、森の葉擦れの音の中に溶け入ってしまう。
死んでなければ、牛でもその目から涙を流していたのだろうか。
ネラプはボンヤリと、そんなことを考えていた。
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