第9話:罪人


「イテッ、痛ぇなオイ! もっと優しくしろやボケ!」


 ジャラリ、と長い鎖が音を立てて揺れた。

 その鉄鎖を両の手枷に結ばれながら、荒々しく喚くその男は、持ち前の人相の悪い顔を歪ませている。

 金の顎鬚をぼうぼうに伸ばし、目をギラつかせ、足取り重く地面を苛立たしげに蹴る。


 彼は修道服の壮年の男と、鎧を纏い剣を構え、慎重に辺りを警戒する兵士三名に囲まれていた。その兵の内の一人に手綱のように鎖を引かれていた。


「うるさいぞ! キリキリ歩かんか!!」

「いっ! いってててて! 牛みたいに引っ張んのやめろって!」


 鎖の男に対する周囲の扱いは悪い。

 彼だけが軽装と言える軽装で、靴すら履いていない。藪やら礫を踏みつけて歩きにくいというのに、早く行けとばかりに急かされる。まるで家畜だ。


 そんなやり取りをしばし続けながら彼らは深緑が濃い獣道を歩き続け、やがて少し開けた場所に行き着いた。

 彼らはそこで立ち止まり、兵士達は男の身柄を囲うようにして立ち、


 修道僧らしき衣と冠を携えた男は、首に下げた十字架を胸に掲げ、厳かな声音で宣言した。


「囚人バナージ=カウル。教会墓所の盗掘及び殺人の罪状により、追放刑に処す。異論はあるか」

「ケッ」

「答えんか!!」

「オメーはさっきからうっせえな! ────っ、うぐっ……!」

 

 バナージを引っ張ってきた兵が煮立ったように吠え、口喧嘩をおっ始めようとした、その時だ。


 彼らの目の前に立つ修道士がバナージに向けて手を伸ばしたと思ったら、〝その手がぼうっと青白い炎で光ったのだ〟。


「おお……」

「これが……司祭様の、魔法」


 それを見た余三名が、畏敬と感嘆の声を洩らした。


 眩く、純粋な青の炎はとぐろのような火焔が渦巻き、蛇の舌のようにチロチロとその熱気がバナージの肌を炙った。


「う……クソッ! あーハイハイ、分かった分かった! そうですよ私めの仕業っすよ、ハイこれでいいか?」


 バナージは、『魔法』と呼ばれた炎を見るや様子を一変させると、開き直って口を尖らせた。

 司祭が静かに頷き、光を止め、指である一方を指し示した。


「ここを真っ直ぐ行け。竜の巣として古くから知られる洞がある。そこで己が罪の審判を受けよ」

「へっ、そんなの誰が」

「地の利を得た獰猛な森のモンスター共を相手にしたいと言うなら、自由に」


 ここが迷いの森として近隣で知られており、そして魔狼やゴブリン、更には森の主として大トロールが生息していることを知っていたバナージは、その言葉にくしゃりと顔を顰めた。


「……最っ低に趣味が悪いぜテメエら。俺を殺してえんならその手ェ汚せや。んでさっさと殺せばいいだろが」

「女神の託宣を預かる我ら『カトリール教』の総意である。口を謹め」


 司祭の男は、両の手を組み、目を閉じて祈る。


「地母神ガインのお導きを」

『お導きのままに』


 兵士三名も、続いて彼らの有する決まり文句を復唱した。


「へっ……いいさ! 死んで欲しいなら死んでやらァ! テメエらともこの世ともおさらば出来て、せいせいすんぜ!!」

 

 手錠以外は解放されたバナージは、減らず口を叩きながら、ここから更に森深い洞に向けて逃げ去って行った。



◼︎◼︎◼︎



「んだよここ……暗え……」


 言われた通り、洞の穴付近に着いたバナージ。

 まるで彼を飲み込もうとせんばかりに、ぽっかりと空いたその穴の深さに溜息を吐いた。

 緩い下り坂であるようだが、先がまるで見えない。しんと湿っぽいカビ臭さが鼻をくすぐる。

 

 話ではこれが竜の巣ということだが、見たところ、少なくとも竜どころかモンスターもいなさそうだ。

 これは、存外安全なのではないか。少なくともこうして、この森の中に身を晒すよりは。


「ま、別にそれでもいいがな」


 バナージは、唾を吐き捨ててポツリと言った。


 今更、彼は生に興味は無かった。

 こんな未開の地に手錠を付けられたまま追放され、絶望を通り越してどうでもよくなった。


 彼に、家族はもういない。死んだところで後腐れも無い。

 こんな詰まらなくも気の滅入ることばかりの人生、最後は安らかであることを願うのみだ。


「……ケッタクソ悪りぃ」


 バナージは、結局司祭の言葉に従う形で、洞窟に足を踏み入れることとなった。

 裸足の足音が、ペタペタと響く。すぐに陽の光が差し込まない、暗がりに潜り込んでいった。


「────……? な、何だ……?」


 神経は尖り、視界を真っ暗闇同然のバナージの、それ以外の五感は神経質になっていた。

 そんな鋭敏になった聴覚に、聞こえる音があった。



『ブモモ、モー』

「……ハハ、ほらやめろって……」



 声だ。

 奥から、声が聞こえる。クスクスと、子供の笑い声が、反響してここまで届いていた。

 それと他には、動物の鳴き声、だろうか? しかし家畜のそれにしてはずっと低い、地の底から唸るようなくぐもったそれが空気を震わす。


「だ、だだ、誰かいんのか!?」


 堪らずバナージは声を張った。

 バナージはてっきり、竜の巣などの話も言い伝えによるホラ話だと思い込んでいたからだ。だから生き物がいるとは思っていなかった。

 モンスターに食われるのでなく、飢え死ぬつもりでここに来た。だからこそ、この奥にいるらしい未知なる『先客』に動揺した。


 死を恐れたわけではない。

 しかし、それはそれ、これはこれである。


 バナージが声を張り上げると、その音はピタリと止まった。

 しん、と洞窟内が静まり返る。声の主も、バナージの存在に今気付いたようだ。


 そして、向こうの方から声を返した。


「ひ、人? だ、誰ですか!? 誰かいるんですか!?」


 それはむしろ、こちらのセリフだと言ってやりたいくらいだったが、ぐっと堪えた。

 足音がこちらに近付いてきている。

 

 咄嗟に身構えたが、バナージにやれることなどは限られている。

 両の手は前に突き出すように枷で固められており、武器を持つどころか走って逃げるのもままならないだろう。


 これまでか、と生を諦めて、バナージはうっすら笑みさえ浮かべていた。

 そして、この不明瞭な視界に届く距離まで、姿を現した。


 まず現れたのは、血の気の悪い牡牛。

 そしてその牛に率いられて

姿を見せたのは────傍目には人間の少年だった。


 少年は、随分と粗末な身なりをしていた。

 人よりガタイの良いバナージに比べ、一回り小柄で手足が極端に細く、その割には存外元気にも見える。長い黒髪が肩甲骨くらいまで伸びているため、一瞬女と見紛う容姿をしていたが。



「貴方、は……人間……なんですか?」

「あ、ああ……」


 予想外。

 それが真っ先にバナージの頭に浮かんだ感想だった。


「うわあ本当に人だ! 人が来たぞブルブサ!」

『ブモッ、ブモッ』

「あっ、は、初めまして! 俺、ネラプって言います。まあ、そう名乗ってるだけっていうか、何というか……」

「お前……何で、こんなとこにいる?」

「え、何でって……一応ここ、俺の住処なんで」


『はーっ、ビックリしたぁ……』と胸を撫で下ろすその様子に、少なくともバナージに対して悪意のようなものは見受けられなかった。


 恐らくはあの司祭を含め、彼の存在は誰も知らないだろう。

 まさかこんな危険な場所で、住み暮らしているらしい人間の子供がいるなどと、バナージも今の今まで思いもしなかった。


 一人死に行くつもりだったバナージにとっては、この状況は混乱甚だしかったが、ひとまずは黙ってこの少年に話を合わせてやろうと考えた。

 取って食われるわけじゃないのなら、まずは様子見だ。

 仮に諍いになったとしても、腕力でごり押せそうだと見たからである。この課せられた手錠でさえハンデにもならないだろう、と。


「あ……すいません、一人で盛り上がっちゃって」


 ネラプと名乗った少年は、照れたように頭を掻き、



「ええと、その。生憎何のお構いも出来ませんけど……俺の根城にようこそ、いらっしゃい」



 害意の無い、心底嬉しそうな微笑みを口元に抑えつつ、ネラプはバナージのことを歓迎した。


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