第23話:不穏


「あなた、あなた。起きて、ウッドさん」


 鳥が鳴き、夜が明け切る頃。

 ウッド家で既に起きていたミイナが、夫を揺り起こす。


「……ああ。朝か」


 朝食前に天気を見て、家畜に餌を与え、出産間近の牛の世話をする。刈った牧草を反転させ、乾燥も行わなければならない。

 農牧家の、いつもの朝だ。人間、いつもの繰り返しにはよく適応出来るもので、どんなに夜遅い就寝であろうとその目覚めは悪くない。


 しかしこの日は、いつもの繰り返しとは違う目覚めに、ウッドの覚醒は更に促された。


「ええ。それとお客様ですよ、お隣の……」

「……今起きた、行くよ」


 こんな朝早くに、来客。

 起床には、時折不吉が潜んでいる。やれ起きたら近くの婆さんが死んでただの、やれ牛が脱走しただの。気苦労は寝静まって誰も見ていない変な時間に偏るものだ。


 そんな胸騒ぎを感じながら、ウッドは身を起こし、来客に対応しに行った。


「ウッドの旦那、てぇーへんでさぁ」

「……どうした?」


 隣の農家だ。歳はウッドよりもやや若く、最近結婚した女房は既に一児を宿している。

 彼とは隣なのでよく物の貸し借りが多く、ウッドと親しい。もっとも隣と言っても、歩いて十分は掛かる距離であるが、村とも言い難いこの地帯では普通である。


 玄関の扉の向こうには、その彼がおっかなびっくり、ガチガチに震えた声音で迎え、


「ここいらの代表者のウッドとは、君のことかね」

「……俺にそんなつもりはないが。どちらさんで?」


 その傍に、見慣れない気位の高い者達が待っていた。

 彼らは潔癖な黒染めの装束を纏い、その布の下には鎧や剣を忍ばせている。

 顔つきは精悍な若手が多く、一人一人がウッドよりもずっとガタイがある。戦いで研磨された『質』ある者の姿だ。


 その数、三十超。

 その内の指揮官らしい男が、見据えて口を開いた。



「我らはカトリール。カトリール聖騎士団である。事態は緊急、直ちに近隣の住民の方々をお集め願いたい」



◼︎◼︎◼︎



『フウン……聖教会の聖騎士、か』


 ネラプは、オルメにこれまでのことを全て話した。

 目を覚まし気付けばこの洞窟にいたこと、眼の能力を知った時のこと、ブルブサ達との出会い、ウッド家との付き合いのこと。

 そして、バナージのことも。


 長く話しているうちに自分を殺した相手であることなど、奇妙なことだが既に忘れつつあった。

 ずっと、誰にも話せなかった自らのことを話し、共有出来る嬉しさ。

 喋るうちに安心にも似た気の休まる感覚が、ネラプの中に確かにあった。


 ずっと黙り込んで身の上を聞いていたオルメが口を出したのは、今日出会い、そして殺し合ったグロットの話に入った時だった。

 既に暗かった夜は白んできている。ブルブサ達は、長かった今日一日を讃え合うように、寄り添い合って眠っていた。


「グロットさんは、この竜の巣のことを知ってた。それに、この森に目当てがあるって……多分、ここを調査しに来たんだと思う。半信半疑で、オルメがいるかどうか」

『……ここは既に人間共に「まーく」されておったのじゃな』

「まーく?」


 聞き慣れない単語に、ネラプは疑問符を浮かべた。こうした素朴な疑問をすぐにぶつけられる辺り、彼は中々に子供らしい。


『ここから西の遠方の言葉じゃ。要は、宗教家の連中に目をつけられていたということじゃよ』

「ああ……でもじゃあ、改めてここが危険だってその人達が判断したら……」

『遠くないうちに聖騎士がここに攻め入る……かもしれんの』

「……オルメは……オルメなら、聖騎士に勝てるか?」


 グロットの力量は、素人のネラプにはまるで想像がつかない。

 しかしあの尋常でない殺気、そして一閃でネラプの腕一本を切り落とす手腕。

 女の身ながら、相当な実力があることだけは分かる。成る程あれでは、大抵のモンスターは相手にならないだろう。


 しかし、竜なら話は違う。


『……竜という種族にとって、人間など不自由極まるものとしか思わん。空も飛べんし、火も吐けん。人間共の魔法など、我が竜気にはお遊び同然じゃ』

「竜気って?」

『竜特有の生命力の具現化であり、竜のマナそのもの。魔法とはまた違って……まあ今の話にはあまり関係ないか。色々と端折って言えば、竜気は魔法と比べ膨大じゃ。より純粋な力の発露……とでも言っておくかの』

「どんなことが出来るんだ?」


 また尋ねるネラプ。


『今のように「お主の眼の力に屈しないこと」が出来る』

「あっ……オルメが死なないのって、そういうこと?」

『そう。お主の眼から感じる、よう分からん力……それに妾が対抗できておるのは、蓄えている竜気を纏っておるからじゃ』


 この眼にも、 例外はある。

 バナージも少しの間はそうだった。彼がしばらくの間だけでも眼の力で死ななかった理由は分からずじまいだが(オルメに訊いても興味無さげに『知らん』とにべもなく撥ね付けられた)。


 だが少し、希望が持てる話でもある。

 眼は万能ではない。バナージが良い例で、あれは何らかの理由があってその穴をすり抜けたのだ。偶然でもなんでも、眼の力が適用されなかった。

 もしその理由が分かれば、上手く眼をコントロールするようなことも出来るかもしれない。


『まあ安心せい、こんなのは例外中の例外。よっぽどのことが無い限り、お主の眼に対抗出来ん』


 オルメは考え込むネラプを見て、眼の力の喪失を危ぶんでいると勘違いしたようだったが、この際ネラプにはどうでもいい。


『お主の眼を受けても無効に出来るのは竜や……そこな妖精くらいのもんじゃ』

「カーリが?」


 名前を呼ばれた反射でピクリと身体である球体の光が震えたが、どうやら寝相のようで、まだ寝入っているのが分かった。


『妖精は色んな動植物から零れたマナの寄せ集め、謂わば生命の鎖とマナが同化しているようなもの。眼は無意味じゃ』

「ああ……なるほど、それで」


 と、長々問答を続けて、本来の話の筋を逸らしてしまったことに気付く。

 世間知らずが如実に祟っている。子供のように尋ねることが多すぎるのも、些か考え物だ。


「ええと、とにかく、その竜気はとんでもない力だから、それを持つオルメは結構余裕ってこと?」

『……いや』


 しかし、その答えはネラプの思うような芳しいものでは無かった。


『正直手強い、少なくとも今の妾には』

「な、何で? だって、オルメは人間より強いだろ? 最強の種族だって……」


 ネラプは不安な心地のまま、続ける。


「それに、トロールより前のここの主だって聞いた。普通のモンスター達なんかよりも力はあるはずじゃ……」

『まあ確かに、妾も誇り高き竜の端くれじゃ。それらを容易く凌駕する力はあった』

「……『あった』、って……それでもさ」


 認めたくないと力無く意地を張るネラプの言葉を、にべもなく遮り、オルメは次のように己の懸念を述べた。



『それに────人間とは得てして、強者に対し群れるものじゃろ?』



◼︎◼︎◼


「聖騎士様方、なにとぞ! なにとぞ我ら力無き農夫どもにお力添えを〜!」


 長髪長髭で腰の悪くした老人、ここら一帯で一番高齢の長が、跪き、べったりと身体を地につけた。

 長と言っても、地主もいないこの農村地域では一応の責任者としていてもらっているに過ぎないが。


 続いて、この寄り合い場に集まった大人達の大勢が一緒に頭を垂れた。その村民の中には、ウッド一家もいる。

 彼らの矛先には、カトリール聖騎士団の団長と名乗る男、そしてその側近の代表二名が腕を組み、頷く。


「ご安心召されよ。我々がここにいるのは偶然ではありません! これもまたガイン様のお導き。今夜ただちに! お導きのに従い、必ずやかの竜の巣に舞い戻った竜を討伐し、皆さんをお救いしてご覧に入れましょう!!」


 感嘆の声。両手を組んでの祈りが連なる。

 

 かつての竜の帰還は、彼ら村民の知るところとなっていて、その恐怖と戸惑いは共通の認識だ。


 まさに彼ら屈強な騎士団は、そんな彼らの為の、慈悲深き救世主であると言えた。


 しかしそこに、異を唱える者が一人いた。


「これは一体────どうしたことだ!!」


 狭い屋内に集められた群衆を掻き分け掻き分け、怒号と険しい表情と共に詰め寄る者。

 グロットだった。

 聖騎士団の男二人とと似た甲冑に身を包み、しかしそれとは異なる意匠の物で、それぞれお互いの格と肩書きを如実に示していた。


 カトリールの片割れが、彼女の登場にぐっと身構えたのを、団長が手の素振りで遮った。


「……フン、これはこれは聖教会の。遅いご到着であるな」

「何故ここにいる、カトリール聖騎士団……!!」

「んーん……身分を間違えた女が言葉を荒げるな」


 大げさな身振りで挑発を仕掛ける団長に、グロットは気にせず続ける。


「私は司教様の命に従い、この地の調査に来たのだ! これからこの件の報告とお伺いを立てるところを、〝そちらはいくら何でも早すぎる〟!! これではまるで────」

「口を謹め、女郎の騎士崩れめが」


 一触即発の空気。

 聖教会、カトリールの対立・因縁は周知にある。それが一騎当千の聖騎士同士の衝突であれば、群衆達は気が気で無いような顔で見ているしか出来ない。


「貴様に教えてやろう。それは我らカトリールこそ、地母神ガイン様の真なるお導きを賜る、選ばれし崇拝者であるからだ」


 心の底から蔑む冷たい視線を送り、


「我らは愛すべき皆の為に。在るべきところにあるのみ。皆の為に危険に身を捧げと、ガイン様は我らの本懐をご存知遊ばされるのだ」

「減らず口を! 最初からこのつもりだっただろうに……!」


 グロットがこう言うのには、既に彼らの算段に一つの見当がついていた為だ。

 すなわち、災厄にも等しい脅威である竜による売名。カトリールの名を挙げ、聖教会所属の自分を当て馬にし、何も出来ないとこき下ろすための手段であるのだ。


 ────ここに自分が調査に来るよりも前から、最初から、仕組まれたことだったのか。


 ここまで聞くだけなら、カトリールのやる事はそう悪く思うべきことではないと思うかもしれない。


 しかしその根底にある考え方において、グロットと彼らは正反対だ。

 グロットはこの区域の危険性を測るとともに、住民の安全を確認するために来た。

 竜や大トロールなど、いないに越したことはないと思っていた。


〝しかし彼らは、言うなら脅威を求めてここに来ているのだ〟。

 元から危険な『白の森』に、偶然の竜の帰還。まさしく彼らの期待通りの舞台。

 民の救済など、彼らの強欲を隠す聞こえのいい二枚舌でしかない。


『人々を苦しめる脅威を打ち倒す』という構図で、信仰を集めることを常套手段としているのが、カトリール。

 ────


 虚栄心と、傲慢。それこそが彼らの本質なのだ。


「……しかし、我らなぞより幅広い信仰を得ているかの聖教会が、こんな女まで引き込むような節操無しとはな。案外その内情は手足らずと見える。沈む船を信じて乗る者の哀れなことよ、フフン」


 団長がすっと近づいたかと思うと、グロットに耳打ちした。


「……黙れ」

「涙ぐましいその布教の旅というのも……フッ、どうだかな。孤高に溺れた魔女の『お戯れ』なのでは?」

「き、貴っ様ああ……!!」


 途轍もなく苛烈な皮肉に、それまで歯軋りしてでも堪えていたグロットが遂に顔を真っ赤にして激昂した。


 彼らガイン教信徒にとって、魔女は神ではなく魔物に身を売った背信的な売女としてこの上ない侮蔑を表している。

 言葉は遠回しだが、要は肉欲に溺れたグロットが一人、姦淫に耽っているのではと侮辱的に問うているのだ。


 女の風当たりは強く、相当の立場に進出する女に対し、こうして性差別を強める者も少なくはなかった。


 しかし、ここで怒りに任せて剣に身を投げ打つ程、グロットも愚かではない。

 女は情欲の塊と心無い罵倒を浴びることは少なくなかった彼女にとって、その程度はまだ耐えられる。

 それに聖教会を下げる揚げ足取りをしようとしているに違いない彼らを前に、今剣を抜けば、それは聖教会そのものの傷になってしまう。


「だが────喜べ。貴様も我々の為に、民の為に役に立つことが出来る事があるぞ。おお、何と慈悲深き巡り合わせか」


 グロットが憤りと敵意を募らせている中、芝居掛かった大仰な身振りをしつつこう告げた。


「竜の巣とやらに案内するのだ。竜退治は、我々が挑むに相応しい救済だ」



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