第36話 信じています
◆ 体育館前廊下 五島 未来
「だ、大丈夫、五島さん?」
「ええ。ありがとうございます」
未来は洋の肩を借りて、ゆっくりと生贄が辿り着く場所――体育館へと続く廊下を進んでいた。逆の手で赤く染まった腹部を押さえつけており、見た目はとても痛々しい。
時刻は、午後九時五十五分。十時まであと五分と非常に迫っている。
「ここまで来られればもう大丈夫です。ありがとうございました」
未来は廻していた腕を解き、自分の足だけで歩き出す。
「あ、あの……五島さん」
「はい?」
洋が言葉を途切れ途切れにして彼女を呼び止めると、言葉を絞り出す。
「……ごめんね。本当は役立たずの僕がやるべきだったのに……」
「役立たずなんて言わないで下さい。それを言っては私だって、太陽君のお役に立つことが出来ずに、こうして足を引っ張っているのですから」
「そんなことは……」
「はい、もうおしまいです」
その言葉と共に、洋の眼前に人差し指が差し置かれる。未来は微笑を浮かべる。
「不毛な争いはよしましょう。ここで議論しても何も変わらないのですから」
「……うん、ごめんね」
「では、後をよろしくお願いします」
微笑を崩さぬまま、未来は洋に背を向ける。
「あ……」
洋は手を伸ばそうとするが、掛ける理由も言葉も見つからず、ただ立っていることしか出来なかった。未来はそんな彼の様子を察しながらも、敢えて無視をして、体育館前に立っている一人の仮面の者に声を掛ける。
「一年二組です」
「……証明出来るものは?」
「生徒手帳、でよろしいですか?」
未来が差し出した生徒手帳を確認すると、仮面の者は何やら持っている紙に印を付ける。
「……よし。入れ」
低い声でそう促し、扉を開ける。未来は大人しく従い、体育館の中へと足を踏み入れる。
「……ひどいですね」
未来は中に入るなり、そう呟く。
体育館の中は阿鼻叫喚。
泣いている気弱そうな男の子。絶望感に打ちひしがれて茫然自失としている女の子。嗚咽を上げながら蹲っている男の子。悟りきったように座ったまま微動だにしない男の子。
そこにいる誰もが、生きて帰れないと思っている。
「……それは当たり前なのですけれどね」
未来は微笑をここでも浮かべ、体育館の中央までよろよろと歩き、座り込む。
彼女は涙を流さず、静かに、時を待つ。
やがて背部で声が次々と追加される。罵詈雑言が飛び交い、喧嘩も勃発しているようである。
だが未来は、微動だにせず、前を向いて立ち続ける。
その間、色々と考えることはあった。
不安になったりもした。
その度に首を振って、吹き飛ばす。
「大丈夫です。絶対に、大丈夫です」
小さくそう呟いた所で、
『――閉ジロ』
声。
スピーカーから聞こえてきた声と同じものが、体育館に響く。
続いて、体育館の扉が閉じる音。
『午後十時ニナッタ。コンバンハ生贄ノ皆サン』
同時に、未来は眼をぎゅっと瞑り、祈るように呟く。
「信じていますからね……太陽君」
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