第12話 殺人者

◆ 九条 太陽・五島 未来・八木 久



「……誰だこいつ?」


 太陽と未来から、三階の図書室前にある女子トイレの一番奥の個室に呼び出された久は、便器の横にぐったりとしている男子生徒を指差して訊ねる。


「痴漢か?」

「それなら何でお前を呼ぶ必要があるんだよ」


 太陽の言うことは至極当然ではあるが、トイレの個室という狭い空間に男女二人ずつという状況は、別の考えを持ってもおかしくはない。


「とりあえず、話しながら進めるから、パソコンを起動しておいてくれ」

「もう起ち上げているけどさ。何をすればいいんだ?」

「今からこいつのこの画像を携帯に送るから、銃で撃たれたように血まみれに加工してくれ」

「はあ?」

「なるべく携帯で撮ったように自然に見えるようにな。ほい。今送った」

「ちょ、ちょっと待て太陽」

「すまんな。パソコン直接に送れば良かったんだけど、オレはそっちのアドレス知らんからな。それとも、画像処理は無理か?」

「いや、どっちも大丈夫だけど……」


 胸ポケットから何やら小さな機器を取り出してパソコンに接続しながら、久は静かに抗議の声を上げる。


「それよりこいつが誰か、いい加減教えろ」

「ああ、三山って言ってな。オレの姉貴のクラスの奴だ」

「死んでいるのか?」

「いや、気絶させただけ……だと思う」

「思うって何だよ」

「後頭部に一撃加えたからな。そういや、それから息もしていない気が……」

「ちゃんとしていますから安心して下さい」

「ふーん。で、何でそんな奴がここにいるんだ?」

「詳しい理由は知らないけど、姉貴に格好付けたかったらしい」

「……未来、きちんと説明して」

「そう言われましても、太陽君の説明の通りなのですが……」

「へえ……」


 呆れた様な感心した様な中途半端な声を上げると、勢いよくエンターキーを叩く。


「出来たよ」

「早いな」


 太陽が眼を丸くする。久のパソコンに対する技術力はかなりのモノがあると知っており、話しながら凄まじいスピードで指をキーボードに打ち付けていた彼女の姿を見ていたのだが、こんなに短時間で仕上がるとは、まさか思っていなかった。


「しかも、それっぽく、ちゃんと出来ているし……」

「あたしの技術をなめんなよ」


 久がそう鼻を鳴らした所で、太陽が持っていた三山の携帯が震える。


「……うん。携帯から見たらきちんと死んでいるな」

「一体、これを何に使うんだ?」

「それはですね……」


 未来が説明する前に、太陽は携帯を素早く操作すると、


「――こうするんだよ」


 右親指の動作を大きくして、ボタンを押した。


「……って、メール送信しただけだろ?」

「まあそう言うなって。ただでさえ動きの少ないことなんだから、身体を張らないと。しかしよくメールを送信したって判ったな」

「携帯でやることなんかそれくらいしかないし、それに携帯用に写真を加工しろって言われたら大体想像は付くだろうさ」

「でも、訊いたじゃん」

「そのメールを画像添付して送信する意味と、その宛先は何かって訊いたんだよ」

「宛先はこいつの友人と分類されていた奴の一人に送った。理由としては――」



『――イイペースダ、諸君』



「これのためだ」


 太陽の人差し指が上を向く。


「って、情報伝達は早いな。送ったばっかりなのに」

「どういうことだよ、太陽?」

「犯人側への確認だよ。どのクラスにも犯人がいるのかということと、何を基準に死亡扱いにしているのかということをね。この様子だと犯人はいたみたいだけど」


 ついでに、と太陽は付け加える。


「……姉貴を守ろうと思ってさ。教室で言った通り、一人死んでいるのならば、逆に安全になる可能性があるってことが分かったから。こっそりとね」


 頭を掻いて照れながらそう言う太陽だったが、



『一人、二人ト来テ、今度ハ――サラニ増エタトハ』



 この言葉で表情が一変した。


「さらに増えた、だって……?」

「ということは二人以上ということですよね……一体、どういうことでしょうか?」


 太陽と未来が顔を見合わせるのを見て、久が尋ねる。


「どういうことって……あんたらがやったんじゃないのか?」

「お前には一人しか頼んでいないじゃないか。だから欠けたのは一人だけのはずなんだ!」

「まずいですよ! 三人以上ということでは太陽君のお姉様が――」



『デハ、死ンダ人間ガ所属スルクラスヲ発表スル。今回ハ脱落クラスガ一ツ出タカラ、ヨク聞クヨウニ』



 言われた通り、聞き耳を立てる。

 そして声は、脱落クラスを告げる。



『脱落クラスハ―― 一年六組』



「……一年、か」


 三年五組ではなかった。


『ソシテ他ニモ、一人欠ケタクラスガアル。ソレハ三年五組。コチラモリーチダ』


 どうやら太陽達が偽造した画像でも、死亡と認められたらしい。そちらは思惑通りだったのだが、太陽達は腑に落ちないという様相をしていた。


「ねえ、どうして一年六組が脱落したと思う?」


 久の問いに、二人は首を振る。久は大きく溜め息をつく。


「……だよなあ。前の時とは違って何が原因かは言ってないしね」

「えっと、前の放送では、三年三組の生徒が二人、放送室前で銃弾に倒れたらしいと言っていましたね」

「今回もそうなのかな……?」


 久が耳を澄ます。が、放送は先程のもので終了しているようで、声は流れてこない。


「しっかし、ぶつ切りで終わるのもおかしい気がするな。『コチラモリーチダ』だなんて、続きに言葉がありそうなんだけどな」

「そうですね。『ココカラモ頑張リタマエ』とか言いそうですけれどね。何か、予想外の出来事でも起きたのでしょうか?」


 きっとそれはオレのせいだな、と太陽は心の中で呟く。兵頭豊を倒し、そのことを彼が所持していたトランシーバーに向かって思い切り叫んだのだから、犯人側は三年三組のいもしない生き残りを探すことに労力を割いているはずだ。


 しかし、太陽はそれに関係することで、ある違和感を抱いていた。


 それはここまで、仮面の者の姿を全く見ていないのである。彼ら幻の三年三組の人を探すのならば、その姿を見かけるはずである。未だに犯人が単独であると思わせたいがために行動しないということが考えられるが、死んでいなくてはいけない人物が生きているというアクシデントに対応する方が明らかに先決であるので、それもおかしな話である。犯人が複数人であることは時間が経てば誰もが気づく事項であり、隠すことにメリットはないはずである。


 そう考察していくと、二つの推論に辿り着く。


 一つは、単純に太陽達が仮面の者と遭遇していないだけ。当然、四階から捜索していると考えられるため、三階にいる太陽達と遭遇しないことは有り得る。そうなると、トイレに裸で詰め込んだ兵頭の姿が発見される可能性もあるにはあるのだが、そこから太陽の容姿がバレる可能性は低い。小・中学校で有名だったとはいえ、他学年と遭遇した際の反応を見れば判る通り、太陽の高校での知名度はそこまでない。だからこそ、ここまで嘘を付けたのだが、もしかすると犯人側から指名手配扱いにされ、太陽は動けなくなる可能性がある。ただ、そのために三年三組の生き残りを名乗り、可能性は限りなく低くしていたので、大して心配はしていなかった。


 そして二つ目。それは、捜索したくても捜索出来ないということ。

 仮面の者は、各クラスに一般生徒として潜んでいる。そのために自由に動けない。故に捜索が不可能である。


 そこまで考えた所で、新たに一つの疑問が浮かび上がる。


 犯人グループはどうして、そのような制約を掛けたのだろうか、ということ。

 その答えはすぐに浮かんだ。――だが、それに対して、また新たな疑問が湧き上がってきた。

 そしてそこまで思考が辿り着いたことにより、太陽は自分の最初の仮定が間違っていることに気が付いた。


 犯人側が混乱しているのは、自分のせいではない。何か別の事柄が要因なのだと。


 ――と

 太陽の携帯電話が震えた。

 一姫からだった。


「何だ?」


『太陽、今すぐ二人を連れて教室に戻れ』


「……何かあったのか?」


『お前らに何かが起こりそうだから言っているんだ』


「はあ? 意味分かんねえよ」


『さっき修太郎しゅうたろうから電話が来たんだ。殺される、ってな』


「ああ、修太郎って六組だっけ?」


 修太郎とは、太陽と一姫が属するサッカー部の同級生である。


「だけど、それなら一年の教室に向かう方が危ないんじゃねえか? 三年三組の時と同じでさ」


『違うんだ。今回はな』


 一姫はそこで一つ間を置いて、衝撃的な事実を告げる。


『――犯人グループの一味であろう奴は、誰も殺していないんだ』


「は?」



『一年六組は



「どういうことだよ、おい!」


『修太郎が言うに、そいつはいきなり教室に入ってきて、無差別に人を殺していったらしい。で、修太郎はそいつの――』


「――っ」


 そこで太陽は、誰かがこのトイレに入室してくる音を微かに拾った。


「……誰か来た。久、持ってて」


 人差し指を口元に当てながら久に携帯を渡すと、太陽は耳を内側の扉にくっ付ける。外にいる人物は一定のリズムで足音を鳴らす。どうやら一人のようであるが、しかし、用を足すためにここに来た訳ではないようだ。他の個室は空いているのだから奥の部屋まで来る必要はない。

 それを認識した瞬間、太陽は迷わず、個室から出て行った。



「あらあら」


 目の前にいたのは、太陽の見知った顔だった。


「……まさか、先輩だったとは思いませんでしたよ」

「あらあら。よそよそしいわね。私は君達のマネージャーでしょ」


「……葉良はら先輩」


 百乃ももの 葉良はら


 サッカー部のマネージャーの二年生で、穏やかな性格の女性である。だが、女子サッカー部が廃部になったという理由で選手でないだけで、サッカーの実力は部の中でも上位に位置する。


「どうしたの、九条君。ここ女子トイレだよ?」

「ええ。ちょっとトイレが我慢出来なくて」


 偽りの笑顔を貼り付けながら、太陽は密かに後ろ手で扉を閉める。葉良はそれに気付かない様子で頬に手を当てて首を傾げる。


「あら。男子トイレの方には誰もいないと思ったけど、そんなに混んでいたかしら?」

「焦って入ったら、間違えたんですよ」

「あらあら。随分とお間抜けさんだね。普通は間違えないわ」

「先輩だって普通は間違えないことを間違えるじゃないですか。特に会計とか。二桁の計算くらいしてくださいよ。マネージャーなのですから」

「失礼ね。マネージャーだからといって計算が出来るとは思わないで」



「――マネージャーだって!?」



 そこで突然、久が大きく声を張り上げた。

 太陽は少し焦った。彼女達を隠蔽するために葉良の前に立ったのに、台無しである。


「太陽! そいつから離れろ!」


 そんなことは露知らず、久が焦度感がたっぷりに叫び声を放つ。



――!」



 その久の声と共に咄嗟に本能で右側に頭を振ると、太陽の頬をナイフが掠める。そして彼は未来と久のいる個室を背にして、葉良の手首に蹴りを出す。彼女はナイフを引っ込め、バックステップする。


「あら、良く避けられたわね。あの後ろの個室にいる子から声があったとはいえ」

「当たり前でしょう。警戒していましたから。だって先輩」

「ん?」


「ウチの学校の制服って、ですから」


 その言葉に葉良は「あはは」と、いつものように笑う。


「……ここにいるのは、先輩一人ですか?」

「そうよ、私一人。仲間なんて出来るものですか。こんな状況で」


 葉良は手に持った大型のナイフを舌舐めずりする。


「先輩、そのナイフはどこで拾ったんですか?」

「んー? 空き教室にあったよ。ふらふらーっと入った先にね。たーっくさん」


 勿論、犯人が置いたのであろう。


「先輩は犯人グループの一人じゃないのですか?」

「犯人グループ? 何のこと? さっきも言ったけど、私は一人だよ」


 大きく首を傾げる葉良。


「一人で、一年六組全員を殺したんですか?」

「うん」


 大きく首を縦に動かす葉良。


「あ、でも、教室の中にいた人だけだよ。だから正確な人数は把握していない。けど、二十人以上は殺したよ。途中から数えてないから判らないけど。でも多分クラスのほぼ全員」

「ナイフで?」

「ナイフで」


 嬉しそうに右手に持ったナイフを振る。とてもミスマッチな絵だが、不思議と合っている気がしてきた。

 笑顔を絶やさない、計算は出来ないけれど気配りの出来る優しいマネージャーであった彼女が、どうして――


「どうして、先輩は人を殺したんですか?」

「どうしてって……どうして?」


 葉良は質問に質問を返す。


「どうして君は殺さないの?」


 太陽は、葉良が言っていることが理解出来なかった。


「当たり前じゃないですか。理由もないのに人を殺すなんて、ありえませんよ」

「理由ならあるじゃない」

「え……?」

「だって他人を殺さなきゃ、自分が死ぬかもしれないのよ。そしたら他人を殺す以外に何があるの?」

「それは……」


 太陽は言い返せなかった。

 葉良の言っていることは間違っている。

 けれど――至極正しい。


「それでも……躊躇はなかったんですか? 事件の後、世間に殺人者と蔑まれるんですよ?」

「これからのことなんて、何で考えなくちゃいけないの?」


 その瞬間、葉良の眼から、光が失われる。


「こんな……久光ひさみつのいない世界に、何の意味があるの?」

「久光って……わたり先輩?」


 渡久光とは、サッカー部主将の三年生である。熱血的な先輩で、部活内外で人を引っ張ってくれるいい先輩であり、太陽は尊敬していた。だから、マネージャーの葉良と付き合っていることに誰も異論はなく、むしろお似合いだと祝福していた。


「渡先輩って、三年三組だったんですか?」

「そうよ。初めに脱落したクラス。きっちりと死んでいたわ。放送室の前で」


 放送室の前。ということは、渡久光は、犯人を暴こうとして殺されたということだった。


「……見たんですか? 渡先輩の死体を」

「ええ。はっきりと。今も目に焼き付いているくらい」


 虚ろな眼で言を紡ぎ続ける葉良。


「触ったわ。まだ温かかった。まだキスすらしていなかったのに、初めて抱いたわ。とっても温かった。生きているみたいに、温かった。身体は穴だらけだったけど」

「放送室前は危険ではなかったのですか?」

「あったわよ。幾つかトラップが。全部壊したけど」


 こともなげに凄いことを口にする。方法は判らないが葉良が生きているということは、口にしていることは事実なのだろう。


「それなら、放送室の犯人を殺せば良かったじゃないですか。憎むべき相手はそっちでしょう」


「――


「……え?」

「放送室なんか、誰もいなかったわ。フェイクだったのよ」


 放送室に誰もいない。ならば犯人は、どこから放送しているのだろうか。そもそも、放送室以外で放送出来るのか。

 ――などと、そのようにふつふつと疑問が湧き出る中、一つの答えを葉良が示す。


「だから、犯人を捜すために殺しているの」

「……捜すため?」

「放送室にいないってことは、犯人は何処かのクラスで被害者ずらしてのうのうと生きている訳じゃない。だから、一つずつシラミ潰しで、文字通りクラスを潰しているの」


 喜々としてそう話す葉良。それに対し、太陽は深く溜め息を返す。


「……何よ?」

「先輩、やっぱアホですね」

「生意気言うね九条君。死にたい?」


 ナイフを軽く振るが、全く動じず太陽は頭を振る。


「そこでどうして、何処で放送しているのかっていうことを突き止めようとしないのですか? 放送室で放送していなかったなら、他の場所から放送しているに決まっているじゃないですか」

「確かにそうね。それが普通の人かもね。だけど私は敢えてそうしなかった」


 何故だと思う、と葉良は訊ねる。


「……既に判っているのですか? 


「その通りよ。流石。九条君は頭がいいね。私とは違って」


 彼女はくすくすと笑う。


「あの放送室の状況を見れば、何処から配信しているかは知らないけど、誰がというのは検討が付くわ」

「何か、いえ――何があったんですか?」

「教えると思う?」

「……いいえ」


 だけど、と太陽は眼を細める。


「一つだけ、そのことについて質問していいですか?」

「答えられたらね」



「どうして――を破壊しなかったのですか?」



 その言葉に彼女は肩を竦める。


「何だ。予想は付いていたのね」

「先輩、ヒント出し過ぎですよ」

「そう。実際に行って確認する必要が無くなって良かったわね。まあ、でも」


 そのように前置いて、葉良は笑みを大きくさせる。


「君達はここで死ぬんだけどね」

「ということは、渡先輩の敵であるこの事件の犯人が、オレだと思っているってことですよね?」

「あら。君や一姫君は賢いから、真っ先に容疑者に挙げるわよ」


 何を言っているの、というように彼女は次の句を告げる。



「だからこそ―― に決まっているじゃない」



「え……?」


 太陽は思わず耳を疑った。

 疑問の一つに、葉良がどうして一年六組を初めに襲ったのかということがあった。

 その理由が、太陽と一姫がいるクラスだと思っていたから。


「そうよ。君と一姫君はちょうど外出していたみたいだからね。しくじったわ」

「何てことを……」


 太陽は拳を大きく震わし、激高する。


「あんたは本当に……大馬鹿野郎だ!」

「野郎じゃないわよ。それと馬鹿でも」

「訳が判らないとこで察しがいいくせに、そんなことも判らねえのかよ」


 太陽の左拳が、トイレの壁を思い切り凹ませる。


「クラス間違ってんだよ! オレは一年六組じゃねえ!」

「あら、そうなの。じゃあ間違いだったのね。それは失態だわ」


 そう葉良は、足し算を間違えた時と同じように軽く、次のように言い放つ。


「でも――大した問題ではないわね」

「問題ではない……だと?」


 太陽は絶句する。


「そうよ。シラミ潰しに殺していくつもりだったから、結局、順番が変わった、ただそれだけ」


 該当人物のいる教室を間違えた。ただそれだけの理由で、一年六組の人々は殺された。


「あんたには……あんたには何の罪悪感もないのか!」

「ないね」


 即答。


「この状況で人を殺す者に、そんなものがあると思う?」

「あるに決まっているだろ!」


 太陽も即答。


「あんたにも、どこかに必ず罪悪感はあるはずだ! 例え今、感じていなくても、後に大きく慙愧の念が圧し掛かってくるはずだ!」

「それもないね」


 断答。


「私はもう壊れている。久光のいない世界なんて、どうなってもいいし、どうでもいい」

「そこまで、渡先輩に依存していたのかよ!」


「……そうよ!」


 そこで初めて、葉良は声を荒げた。


「女子サッカー部が潰れて落ち込んでいた私に、新しい光をくれた。その久光に依存するのは当たり前じゃない!」

「人に依存すること事態が間違いなんだよ!」

「どうして間違っているって言うのよ!」

「その結果が、あんただからだよ!」


 太陽は指を突きつける。


「あんたが簡単に人を殺そうと思ったことが、何よりも、人に依存することが間違っていることを証明している!」

「……」


 葉良は口を閉じ、太陽の指先を睨み付ける。


「人に依存するということは、それに責任を負わせるということ。あんたに罪悪感がないと言うのなら、それはこの状況に責任を押し付けているだけだ。で、この状況がなくなれば、あんたは物凄い罪悪感に襲われること間違いなしだぜ」


「……」


「渡先輩が死んで悲しむのは判る。だが、その矛先を向ける方向が違う。あんたが殺した人によって、あんたのような人が出るとは考えなかったのかよ?」


 沈黙。


「あんただけが悲劇のヒロインだと思ってんじゃねえよ! みんなが悲劇のヒロインなんだよ。むしろあんたはあっち側だ。犯人だ」


 葉良の口は、真一文字に結ばれたまま。


「あんたはもう許されない。絶対に許さない。少なくともオレは――許さない」


 怒りと憐れみを込めて、太陽は強くそう言った。

 そして葉良は、その言葉の終わりと同時に、


「ごめんね、九条君。全部聞いたけど――。君の言葉」


 ――悪意が籠った笑みを見せつけた。


「……そうですか」

「いやいや、落ち込まなくていいのよ。君の言葉、普通の感性を持っている人なら効いたと思うよ。ただ私は」

「心が壊れている、とでも言うのですか?」

「そうだね。だって私、本心から、私と久光以外はどうでもいいと思っているもの」


 壊れているから、何も感じない。


「私は悲劇のヒロインで、私以外の人が私のような状況になろうが知ったことじゃない。この後に逮捕されようが何であろうが、私はずっと罪悪感が芽生えることはない。だって、君の言葉を聞いても、責められても、何にも思う所が無かった。……あ」


 そこでピタリと動きを止める葉良。


「一つだけあった。思う所」

「何ですか?」

「うざい」


 冷たく、葉良はそう言い放つ。


「君の言うことは、とても、うざい。だから殺していい?」

「駄目です」

「拒否するわ」


 葉良がナイフを眼前に突き出す。

 太陽が身体ごと右側に跳ねると、ナイフが彼の顔を追跡するように横に動く。

 それは太陽の頬を掠め、最初の邂逅の時の傷と直角に交わって、浅い十字傷を作る。

 それに怯むことなく、太陽は左足を伸ばして葉良の腹部に命中させる。

 だが、避けつつ蹴りを繰り出したために威力は低く、葉良は少し体制が崩れただけ。二人は距離を取る。


「先輩、ナイフ使いだったんですか?」

「あらあら。ナイフどころか包丁すら握ったこと無かったわよ」

「それなのにこうも使いこなせるなんて、運動神経があるって怖いですね」

「本当だね。私もか弱い女の子なのにね」

「か弱い女の子が一クラス全員殺害なんてしませんよ」

「だよね。――ところで九条君」


 葉良が太陽の後方を指差す。


「そこにいるのは、誰かな?」

「さあ? 答えると思いますか?」

「答える訳ないよね。意味無いしね。うん。じゃあそっちから殺そうか」


 ガタガタ、とリズム良く個室から複数回音がする。それを背にして、太陽は不敵に笑む。


「白々しいですね、先輩」

「何が?」

「最初からそのつもりだった癖に」


 太陽はずっと個室を背に戦っていた。そちらに向かわせないように身体を張っていたから、頬に微かだとはいえ傷が生じた。


「背後に回れないってのは結構なデメリットですよ。もし背後に回ることが出来れば、先輩を一撃で倒すことが出来る自信はあるんですけれどね」

「そうなんだ。へえ」


 そう言いながら、太陽を通して個室が正面に見える所まで葉良は移動する。


「ねえ九条君。このまま私がナイフを正面に突き出しながら突進したら、どうなると思う?」

「受けるわけにはいかないので、避けてから先輩を蹴りますね」

「出来ると思う?」

「さあ。やってみなくては判らないです」

「じゃあ、試そうか」


 言うが早し。葉良は物凄いスピードで実行に移した。

 言葉通り、太陽は左側に避ける。


「遅い!」


 蹴りの姿勢を取った太陽に向かって、葉良が叫ぶ。

 太陽の足が伸びる。だが、明らかに遅い。

 それを視認して、葉良は勝利を確信したように笑みを深くした。


 ――しかし、次の瞬間。


「え?」


 葉良は呆けた声を放つ。

 その理由は、太陽が伸ばしていた足を――途中で止めたからだった。

 思わず太陽を注視し、前方不注意になる。

 それとほぼ同時。


「――うらあっ!」


 個室のドアが外側に弾け飛ぶ。

 ドアの外側にいた葉良は、大きくドアと共に逆側に吹き飛んでいった。


「ナイスタイミング」


 ぴゅうっと口笛を吹くと、久が未来を引き連れて個室から現れる。


「ってか、モールス信号を覚えていて良かったよ。意外に役に立つのな」

「悠長にあたしとモールスを誉めている暇はないだろうよ。とりあえず逃げるぞ!」

「おう!」


 久と未来を先に行かせ、太陽は瞬時に三山を奥に押し込んで、自分はドアと共に倒れている葉良が見える位置で留まる。


「……いったいなあ。殺すべきだね。うん」


 葉良が、上に倒れ掛かっていたドアを思い切り蹴飛ばして立ち上がる。


「中にいたのは女の子二人だったみたいだけど、知り合い?」

「会話していたじゃないですか」

「それもそうだね。じゃああの子達が死んだら、君は悲しい?」

「ええ。周りを気にせず号泣しますよ」

「じゃあ殺そう」

「そんなつもりはなくても、殺すつもりでしょう」

「ふふ。お見通しね」


 一笑して、葉良は太陽に飛び掛かる。


「そう、こっちだ、先輩」


 太陽は素早く女子トイレから出る。女子トイレの中には三山がいる。見られないようにしたが、万が一に見られていた場合、彼は殺されてしまうだろう。彼を殺したように見せかけたのは、三年五組に犯人グループの者がいるか、そして画像だけでも死亡と認識されるかの確認のためであり、彼が本当に死んでいる必要はないのである。だから太陽は、意識をこちらに向けさせ、女子トイレ前の廊下までおびき寄せた。

 ここまでは作戦通り。


 ――しかし、そこで予想外のことが起こった。


「っておい! 二人とも何で逃げていないんだ!」

「助太刀に参った!」

「て、手を放してもらえなくて……」

「アホか!」

「あら。余所見しちゃ駄目よ」


 眼前に突き出されたナイフを、身体を反らせて逸らせる。そのまま太陽はバク転をしながら、背中で久と未来を庇える位置まで移動する。


「っていうかそもそも、クラスに近い方の階段からは逆じゃねえか」

「うん。間違えた」

「すみません。焦っていたもので」

「……あの人を追い越すのは難しいぞ」

「分かっているって」


 そう言って久は未来と共に一歩に前に出て、太陽の横に並ぶ。


「ほら。未来を頼んだぞ」


 そして彼女はもう一歩踏み出しつつ、未来を太陽の方に押し出した。


「久ちゃん!」

「おい! 何考えてやがる!」

「あたしが、あの人を食い止める」


 久が両の拳を打ち付ける。


「あの人の標的は太陽と姫君なんだろ? だったらあたしを殺すためには、そんなに労力を使わないはずじゃん。ってか、あたしなんか舐められてるはずじゃない。勝てる勝てる」

「違う! 葉良先輩の標的にはお前も入っているんだ!」

「あ、そうなの? なら仕方ない。実力で倒すしかないさ」


 腕をブンブン廻して、全く引く様子の無い久。彼女は正面で微笑んでいる葉良に向かって、ふふんと鼻を鳴らす。


「初めまして先輩。格闘経験は?」

「ないわよ。サッカーと久光一筋だったから」

「二筋じゃねえか」

「あらそうね」


 微笑み合う、初対面の二人。


「そういえば、近距離ではナイフが最強だって話、聞いたことあるかい?」

「ええ。ナイフは刺す、捻る、引くの動作が一連で行えるからって話よね」

「捻るはどうだか覚えてないが、そんな感じだ。だけど、あたしは違うと思うんだよな、それ」

「あら。ならばあなたはどう思うの?」

「拳、最強」


 久は右拳を眼前に掲げる。


「拳は、殴る、ぶつ、砕く、折る、壊す、ぶっ飛ばすの六つも一連の動作で行える。故に最強」

「わー。それはすごーい」

「さすが。馬鹿だな久は」

「太陽うっさい」


 後ろを見ずに指を向けながら、久は大声を張り上げる。


「あたしがあの人を止めている間に、さっさと抜けろ! いいな!」

「良くないですよ!」


 パソコンを大事そうに抱えながら、未来が声を張り上げる。


「久ちゃん一人を置いて行くなんて出来ません!」

「おいおいおいおい。未来よ、分かってねえな」


 ちっちっちと指を振る久。


「ここは漫画だと、一番盛り上がる場面だ。ライバルだった太陽を、ラスボスの元へと急がせる……くう、あたしかっけー」

「ライバルだったっけ? オレ達」

「そして未来に言うんだ。――『実は俺……お前のことを……』って」

「一人称が変わっています! しかも何で私なんですか!」

「うん。それなら仕方ないな。任せた」

「どうしてそんな話の流れになったのですか、太陽君!」

「絶対、生きて帰って来いよな」

「おう。帰ったら、お前の作ったハニトー、喰わせてもらうからな」

「ああっ、それはずるいです。私にも食べさせてください」

「おうよ。作ったことないけどな」

「あらあら、あなた達。呑気なものねえ」


 ナイフを持ったままずっと腕を組んでいた葉良が口を挟んでくる。


「そろそろいいかしら? 結構面白い話だったんだけど」

「ああ。展開的にもビジュアル的にも大丈夫だと思うよ」


 そう、と口にして葉良は妖艶に笑む。


「ねえ、私の相手は、貴方でいいのよね? 元気なお譲ちゃん」

「ええ。あたしだと不満?」

「いいえ。別に不満ではないけれど……」


 口元を緩めながら、葉良は視線を久から逸らすと、


「私が二人を通すことを許すと思う?」


 太陽と未来に目掛けて走り出した。何が起こったのか、一瞬で理解出来ていなかった未来の口が開いたのとほぼ同じタイミングで、彼女の持っていたナイフは太陽の眼前にあった。


 しかし、そのナイフは届かなかった。


「――ッ!」


 葉良は慣性の力を無視したように、真横に吹き飛んでいった。


 太陽は何もしていない。

 敢えて何もしなかった。

 何故なら、ナイフが届くよりも先に――


 ――真横から、久の拳が飛んでくることを知っていたから。


「あたしが二人を通すことを、許さないと思う?」

「げほっ」


 苦しそうな咳。久の攻撃が効いている証拠だった。


「二人とも! 早く!」

「ああ。行くぞ、未来」

「でも久ちゃんが……久ちゃんが!」

「大丈夫だから、あいつの意志を尊重してやってくれ。頼む!」

「……はい!」


 未来は太陽の手を取り、振り向かずに走った。

 それは太陽の指示で、久の意志だった。


 二人は倒れている葉良の横をすり抜け、クラスに近い方の階段を下って行った。

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