第17話 罰
教室中の視線が、前方の扉に集中する。
そこには中肉中背の仮面の者、つまり――犯人グループの一人が立っていた。制服と、そして少し高めの声で分かるが、恐らくは男だろう。
「僕の手にあるものが見えますね? これが怖ければ、大人しく一歩も動かないことです」
男の両手には拳銃が握られていた。右手の拳銃が誰かを特定せずに教室の中央部に、左手の拳銃は河野の隣にいる太陽に、それぞれ向けられていた。皆は微動だにできず、太陽も三年五組の生徒が人質に取られている中では大人しくしているしかなかった。
「ああ、そこの少年。そこの女子から離れてくれませんかね?」
「……分かった」
太陽はゆっくりと手を離し、河野から離れる。その間も左手の銃は、太陽の姿を捉えていた。
「よしよし。少年はそのまま手を頭の後ろで組んで、窓側に移動して下さい」
太陽は言われた通りの行動をした。――にも関わらず。
パン。
乾いた音が再び響き、パリン、と太陽の背後にあった窓が割れる。
教室内に悲鳴が湧き上がり、太陽はじっと仮面の男を睨み付ける。
「てめえ……約束を守らないと、動くぞ」
「ああ、ごめんなさい。手が滑りました」
「ふざけんな。次、手が滑ったら殺すぞ」
「はい。以後気を付けます」
言うことが逆ではないかと思われるような会話が交わされ、仮面の男は河野の傍まで辿り着く。そして仮面の男は、河野に対して立ち上がれという仕草をする。
「その前にあんた、この縄を解きなさいよ」
「生憎ですが、そのリボンを裂く物を持っていないのですよ。腕が焦げ付くのを承知するなら、この銃で燃やしてもいいですけれど」
「ふん。じゃあ仕方ないわね。手を貸しなさいよ」
「それも出来ません。片方でも銃を下ろすと、そこの少年が飛び掛かって来ますから」
「役立たずね。あんた何処のクラスよ?」
「それは秘密ってことで」
「ふん、まあいいわ」
仮面の男の足を利用しながら、河野は立ち上がる。
「行きますよ」
「ちょっと待って。さっき携帯と拳銃落としちゃったわ。拾って」
頷き、仮面の男は、少し離れた所に落ちている携帯電話と拳銃を、太陽に向けた銃を持つ手とは逆の右手で器用に拾い上げて自分のポケットに入れる。その時点では既に片手を下しても太陽が襲い掛かってこないと判断したようだ。
そしてすぐさま右手にある銃先を再び皆に向ける。
「もう忘れ物はありませんか?」
「ないわ。……いや、あったわ」
そう言って河野は、澄まし顔で太陽の前まで行くと、舌を出す。
「残念でした。正義の味方さん。折角、偽の死亡者を利用してまであたしを見つけたのに、無駄になっちゃったね」
「ああ。三山が生きているってのもバレたのが痛いな」
「踏んだり蹴ったりって訳ね。かわいそうに。それじゃあね」
「今は逃げるがいいさ。後で絶対、捕まえてやるからな。そん時は容赦しねえ」
「まあ、怖い」
高笑いをしながら、河野は悠然と教室内を横切っていった。仮面の男は疲れた様子もなく、銃を水平に構えたままその後ろに付いて行く。
「あ、そうそう。この後のことを言っておきます」
立ち止まって、仮面の男が少し大きめに声を放つ。
「僕達が出て行ってから五分間、何が合っても教室から出ないで下さい。というよりも扉を開けないで下さい。でないと、撃ち殺しますからね」
「逃げるためか?」
「そうですよ少年。いや……」
仮面の男は太陽の足元に向かってもう一発銃弾を放って、
「――九条太陽君」
太陽の名前を、仮面の男は口にした。
「お前……オレの知り合いか?」
太陽は眼を細める。仮面の男は「さあ、どうでしょう」と笑い声を零しながら答える。
「この声に聞き覚えがないのなら、知らない人なんじゃないですか?」
「判るかよ。あんた声色変えているじゃん」
「そうですか? これが地声かもしれませんよ」
「いいや、ありえない。そんな明らかに作った声が地声であるもんか。それが事実なら、あんた犯人止めて声優になれよ」
「ふふ、そういう道もありですね」
仮面の男は不敵にそう笑うと、拳銃を振りながら、
「それじゃあ、いずれ縁があったら、再び遭いましょう」
教室を去って行った。
「……」
扉が閉められても、誰も動こうとはしなかった。太陽も動かなかった。いや、動けなかった。
恐らく、前後の扉の前では仮面の男と河野が銃を構えているだろう。教室内に向けられている銃口に向かって突撃する覚悟が、太陽にはなかった。というよりも、太陽自身は銃弾を避ける自信があったのだが、その銃弾を三年五組の生徒に当たらないようにする自信がなかった。
そして、二人が退出してから、三十秒程度経過した頃。
パン パン パン パン
数発の銃声が、廊下から聞こえた。
「……上手いな」
太陽は思わずそう呟く。それを聞きつけた三山が「どういうこと?」と訊ねてくる。
「銃声を聞かせることによって、オレ達が外に出るのを防いでいる。すぐ外に自分達がいるぞ、ってアピールしてね。しかも銃声ってのは慣れないと足が硬直するからな。ほら見てみろよ。みんな棒立ちだぜ」
「それはそうだよ。普通はそうなる……けど、君は行動するだろ?」
「扉の前で硬直している人達に当たる状況で、オレが外に出るようなひどい奴とでも?」
「今までの会話を聞く限りそうだけど……」
「でも実際に行動していないだろ? まあ、でも……」
時計にちらりと眼を向ける。
「オレはあと二分くらいで外に出るけどね。ってか、それまで待てるかわかんねえ」
「何で? それなら今、行動した方が……」
「まあ、そこから辺があいつらの狙いと安全の境目だからな。仕方ないさ」
「境目?」
「銃声を聞かせた理由は、みんなの足を止めるのもあるけれど、もう一つ。こっちが大きな理由なんだが……三山。どうしてあいつらは『五分』というリミットを口にしたと思う?」
「それは……逃げる時間を稼ぐためでしょ?」
「その通り。で、何で『五』分にしたと思う?」
「十分な時間を稼ぐためでしょ? 実際は一分足らずで十分だと思うけど、念のために五分にしたんだよ、きっと」
「うん。その通――」
と、そこで太陽は唐突に言葉を止め、眼を大きく見開く。
「……なんてことだ」
「どうしたの、弟君?」
「……三山さんよ。自分で質問しておきながら、違うことに思考が辿り着いちゃったんだ。質問の答えはあんたが言ったもので合っているし、それ以上は求めていなかったんだが……」
「な、何に気が付いたんだ?」
「もう――手遅れってことにさ」
太陽が残念そうに呟く。
「ちょっと待ってよ! 一体、何が手遅れになったんだ? まさか……お、俺達のことか!」
「いいや。そういうんじゃない。落ち着いて」
太陽は小さく首を振って、三山に訊ねる。
「……あのさ、どうして『五』分にしたと思う?」
「あれ……? それ、さっきも聞かなかった?」
「訊いた。で、気が付いた。答えてくれ」
太陽の言葉に首を傾げながらも、三山は口を開く。
「それは……逃げる時間を、多く稼ぐためじゃないの?」
「ああ。じゃあ、今度はちょっと違った質問をする」
太陽はすうと息を吸い込み、短く吐いてから言う。
「あいつはどうして――時間を設定したと思う?」
「え? それって何かおかしいことあるの?」
「時間を設定しなくても『出るな』と言えば逃げる時間は稼げるだろう。むしろ言わない方が、銃声を聞かせたこともあって、もしかして扉の前で待機しているのではないのか、という心理状況になって、外に出ようとはもっと考えないだろう。なのに、リミットを超えたら外に出られるという安心感を得させた。これって、どういうことだと思う?」
「うーん……あ、そうだ。あの仮面の人が出て来た所を撃ち殺すために待っていて、だから外に出させようとしたんじゃないの?」
「そんなことをしなくても、銃でどんどん殺していけばいいだろう。中に入ってさ。そもそも、あいつは脅して、五分後に教室を出る人がいるという確率を低くしたんだぞ。出て来るかどうかも判らない相手をずっと待つ意味がない」
「そうだよね……それじゃあ、何で?」
「でもな、あんた、流石だな。正解を口にしているんだよ」
「え……?」
「【外に出させようとした】――これが正解」
太陽は廊下へと続く扉の前まで歩いて行く。その途中で、男子生徒の一人が声を掛けてくる。
「おい、まだ二分しか経ってねえよ! 九条弟! 外に出るなよ!」
「安心しなよ。オレの予想だったら、もう大丈夫だ」
だが、と太陽は教室の中央部に向かって両手を突き出して押し出す仕草をする。
「一応、念のために、ドアの傍から離れてくれ。というよりも、ドア側中央部に集まってくれ。万が一、銃弾が飛んできた時に当たり難いからな」
「お、おう……」
「さあ、みんな動いて! 足が震える人は他の人に手を借りて!」
太陽が手を叩くと、三年五組の生徒は指示通りに動く。全員が所定の位置に移動したことを確認すると、太陽は一つ頷き、扉に手を掛ける。
そして、開けた瞬間――
「……やっぱりか」
太陽は悔しそうに言葉を落とす。
五分、とリミットを定めた理由。
それは、外に出させようとしたから。
何故、外に出させようとしたか。
それは教室の外にあるものを、見てほしかったから。
太陽は間違っていた。
銃声は脅すためのもの、と決めつけていた。
仮面の男は、全てを知った上で事を行っていた。
全ては彼の掌の上のことだった。
「……」
太陽は唇を噛み締める。
仮面の男はとても頭が良い。
太陽が知りえる最高に賢い人物―― 一姫と同じくらい、仮面の男は頭が良い。そう太陽は認識した。
全てが、落ち所のない完璧なものだった。
教室に入室する際の、落ち着いた態度。
二挺の拳銃。
太陽を狙い打つ動き。
銃弾を放つタイミングと場所。
残した言葉。
そして――身元が割れた仲間の処理。
三年五組の教室を出て、真正面の壁に横たわる、一つの真っ赤な物体。
死体。
その死体は、どうして死の直前まで悲鳴を上げなかったのか。
その理由は、考察もする必要もなく判る。
その死体は、穴の空いた後頭部を太陽に見せながら倒れていた。
だからその死体の顔は後ろからしか見えない。
既に推測はついていたが、太陽は死体の身体を裏返して確認する。
――案の定、推測通りだった。
死体の名は、河野奈央。
先程まで太陽を嘲笑っていた人物が、そこで死んでいた。
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