第11話 安寧の教室

◆ 教室  一姫剛志



 太陽と未来の二人がいなくなった後の教室は、彼らの望み通りとはならなかった。

 理由としては、一姫が淡々とからかいの声に対処したことと、


「そんなことより、やっぱり、あいつらの方が夫婦である気がしないか」


 洋の言葉に乗る形で、言及対象を逸らしたのである。そのことによってクラス内では太陽と未来に対する告白タイムが始まり、告白した人物に対する告白という、恋の連鎖が始まった。


「この状況で恋愛ごとにうつつを抜かすとは、このクラスには大物ばっかりだな」

「あ、ああ。そうだね……」


 ノートパソコンと向き合っている久が曖昧な返事をする。


「でも、こういう状況でもそんなことを言えるのは、あの馬鹿と姫君のおかげだよ。それって、凄いことだと思う」

「ありがとう。だけどこれって、人間の生存本能からくる吊り橋効果なんだよな。これで更なる性の方向へと行かれたら困るな」

「大丈夫じゃないか? このクラスメイト同士で付き合っている奴はいないし。あ、他のクラスの奴に付き合っている奴はいるけどな」

「誰?」

「主に最初に姫君に反抗した奴ら。主にってのは、武は除外するから」

「久は凄いな。このクラスの恋愛事情について全て把握しているみたいで」

「あたしの武器は情報だからな」


 ある胸を張る久。


「あ、でも、プライベートにはあまり踏み込んでないぞ」

「節度は大事だな。……ところで、何か情報はあった?」

「うーん、微妙なとこだね」


 久が思いきり伸びをする。


「掲示板とか色々見ているけど、大した情報はないね。ほとんどが愚痴や泣き言で、情報という情報が入らない」


 パソコンの画面上に表示されているのは「誰か助けて」「殺される」「爆弾とか地雷とかマジありえない」「どうして俺がこんな目に……」などの、各教室で響いている阿鼻叫喚を文字に起こしたようなものだった。


「じゃあ、あの仮面の者はネット上では何と言われている?」

「アニメや漫画の仮面キャラの名前とか結構バラバラ……あ、仮面に関係ない名前があった」

「何?」



「――【エゴイスト】」



 久は人差し指を立てて言う。


「何か偉そうな喋り方だから、ってな理由らしいよ。からかいかは知らないけど、それ以降のレスには、エゴイストが使用されることが多くなっているね」

「エゴイスト、か。意味はちょっと違うけどな」


 エゴイストとは利己的主義のこと。他人のことを考えずに自分の利益を追求することである。本来は傲慢であるという意味ではない。

 利益と言えば、と一姫はふと思う。


「そういえば、犯人側の目的って何だろうな?」

「何って、ここの生徒の数を三分の一にするためでしょ?」

「それはどうしてだ?」

「復讐じゃないの? さっきニュースで言っていたじゃない」

「どうして復讐で、俺達生徒を殺すんだ? しかも皆殺しじゃなくて」

「どうしてって、それは……」


 久の首が横に折れる。


「……何で?」

「そう。俺達全員を殺さないで三分の一にするのは、俺達自身に殺し合いをさせるため。だが、それは何故かと言われれば……」

「ああっ、分からない。犯人はあたし達に何の恨みがあるんだ?」


 頭を抱える久。――が、次の瞬間に、彼女はハッと顔を上げる。


「……ちょっと待って。そもそも、犯人はどうして復讐のために、計画性のある犯罪をしたんだろうか?」

「ん? それはどういうこと?」

「だってさ、学校に対して復讐するって言うんなら、何も言わずにこの学校を爆発させればいいじゃない。わざわざ計画的に順序立てて、生徒同士で殺し合わせるなんてのは、復讐を第一に考える人が行うことじゃない」

「……そうか」


 一姫の眼が開く。


「つまり、犯人の目的は、この学校の生徒全員ではないということか」

「だろうね。だから恐らく犯人の目的は――」


 久が一姫の眼を真っ直ぐ見据えて言う。


「ある個人を殺すこと」


 うん、と一姫は一つ頷く。が、直後に首を横に振る。


「でも、その結論にも問題がある」

「何で? その個人を殺すのを紛らわせるために、集団で殺し合いをさせるっていう。……ほら、あれだよ、木の葉を隠すなら森に隠せ、ってやつさ」


 久が人差し指をくるくると回す。


「その個人が誰なのかが判ると、その人に恨みを持つ人が疑われるじゃない。だから特定させないために、何人もの人を……」

「それこそ、おかしいとは思わないか?」


 一姫が言葉を刺す。


「個人を殺す方法ならいくらでもある。それこそ計画して行うべきだ。こんな金銭面でもリスクが高いやり方は、わざわざしないだろう」

「でも、こういう風にすれば特定の誰かを罪の意識なく殺せるじゃない」

「一人だけのために、大勢で?」

「それは……ん?」


 久の回していた指が止まる。


「犯人って一人じゃないの?」

「判っていなかったのか?」


 一姫は意外だという表情になる。


「俺達の話の流れから判っていたと思うんだが……少なくとも、太陽が犯人の一人を倒した、と言っていることとかで判るとは思っていたんだけど」

「あ、そういえばそうだったね」


 あの場面では雰囲気で参加していたということがバレてしまった久。彼女は照れ臭そうに頬を掻いて、追及を逃れるべく少しだけ話を戻す。


「ってかさ、大勢に恨まれるって、どんだけ恨み買っているんだろうね、そいつ」

「意外といるんじゃないか? 例えば俺と太陽は小学校や中学で色々やったから、多人数から恨みを買っていると思うぞ。しかも、絡んだ相手が誰だったか覚えていないしな」


 肩を竦める一姫に、久は苦笑する。


「そのメンバーにあたしは入っていないの? あたしも一緒に無茶やったような……」

「小学生の時にはな。それでも三人だ。三人のために学校を恨んでいる、なんて大層なことは言わないだろう」


「じゃあもっと多数? でも、そんな集団って教師か部活しかないんじゃないの?」

「かもね。でも、その繋がりも見当付かずだ」

「うーん……犯人も被害者も繋がりが見えないってのは、なんか歯痒いねえ。犯人の一人は判っているのにさ」

「まあ、開始からちょっとしか経っていないから仕方ないさ」


 二人はパソコン上の時計を見る。


「まだ十一時を過ぎた所か。もっと経っていたかと思っていたよ」

「密度濃かったからな。食事確保して、情報ばら撒かせて、みんなに指示出して……」

「お疲れ様」

「いやいや。こうして休んでいるよ。ゆったりと」


 久の横で表情を緩める一姫。その顔を見て久も微笑を浮かべる。

 二人の間には、穏やかな空気が漂っていた。


 ――ブブッブブッブブッ。


 突如、何かが震える音が、その空気を乱した。


「久、携帯鳴っているよ」

「あ、うん。悪戯メールじゃない?」


 久は電話に出ようとしない。


「いや、結構長いよ。着信じゃないか?」

「……そうだね」

「出た方がいいよ。太陽かもしれないし」

「……うん」


 何故だか、沈んだ声で電話に出る久。


「何? ……はあ?」


 電話を取るなり、久は抜けた声を出す。


「どうしたの?」

「あ、うん、ちょっと…………はあ? マジで言ってるの?」


 久の表情が険しいものになる。そして彼女は数回相槌を打つと、


「……分かった。何とかなると思う」


 大きく一つ首を縦に動かして、電話を切った。


「太陽から?」

「うん。ちょっと頼まれごとされちゃってさ」

「何?」

「それは言えないよ。残念ながらさ。少なくともこの教室では、ね」


 ノートパソコンをパタリと閉じると、久は小脇に抱えて立ち上がる。


「じゃ、ちょっと行ってくる」

「一人じゃ危ない。俺も行くよ」

「大丈夫だって。あたし、姫君より強いじゃん」

「……そうか」


 少しだけ落ち込む一姫。一姫もそれなりに運動神経はある方なのだが、それでも太陽と久に比べると劣っている。というよりも、あの二人が規格外なのである。


「それに、姫君が残っていなきゃ、非常事態になった時に誰がこのクラスを纏めるのさ」

「……そうだな」


 一姫は息を深く吐く。彼女が身の危険に晒されるかもと思うと、冷静な判断が出来なくなっている。ちょっと頭を冷やすべきだな、と一姫は少し眼を閉じて彼女に告げる。


「……久。気を付けてな」

「うん。頑張って生きてくるよ」

「それと、あいつに一言だけ伝えてくれ」


 一姫は少し多めに息を吸って告げる。


「久を危ない目にあわせたら、俺は絶対にお前を許さない、と」

「え? ……わ、分かったよ。ちゃんと伝えておくよ」


 頬を紅潮させて、久はパソコンを持ったまま教室を出て行った。


「あれ? 八木さん、どうしたの?」


 その様子をちょうど見ていたであろう洋が訊ねてくる。一姫はやれやれと首を振る。


「……洋。お前は無粋なことを聞くな。女子が一人で外に出る用なんて、一つしかないだろ?」

「あ、ああ、お花摘みに行ったんだね。……でも、パソコンを持って?」

「あれは、情報流出を防ぐためらしいよ。再起動するのが面倒だから持って行くって」

「ふーん……女子は色々あるんだね……」


 洋が首を傾げながら目線を元に戻し、ちょうど近くに来た武にも声を掛ける。


「そういや洋、武、割り当ては決まった?」

「うん。大体は決まったよ」

「一姫。お前は今が寝る時間だ。さっさと寝ろ」

「いや、俺はいいよ。俺と太陽抜きで表を作り直してくれ」

「そうはいかないよ」


 洋が首を横に振る。


「一姫君は僕達のブレーン。きちんと寝て頭の回転を良くしておかなくちゃ」

「そうだぜ。お前が俺達の柱なんだ。だから今はゆっくりとしてろ」

「……そう思ってくれるのはありがたい」


 一姫は短く息を吐いて、柔らかく告げる。


「しかし、そう思ってくれるなら、俺と太陽だけは自由な時間で寝かせてほしいんだ。休みたい時に休んだ方が疲れが良く取れるからな。我儘言って申し訳ないけど」


 そう言ったが、実は一姫は寝るつもりなど全くなかった。緊急事態が起こった際に自分が寝ているなんて事態がないようにするには、寝てなんかいられなかった。


「なんだ。そういうことならオッケーだぜ」

「うん。じゃあ組み直すよ」


 二人は再び皆の渦に戻っていく。その後ろ姿を見ながら、一姫は別のことに思考を移す。


「……それにしても」


 太陽は如何用で久を呼び出したのだろうか。パソコンでの用事ならその場で頼めばいいことだ。それ以外で自分ではなくて久を呼び出す用事などあるだろうか? 


 ――とそこまで考えた所で、一姫の思考はある所に辿り着く。


 拳銃。


 久を呼び出した理由として最適なのは、拳銃の持ち出しだ。拳銃を使って、何かをするつもりなのだ。そう考えると、久が直接行く理由も、久が選ばれた理由も合点が行く。


「……しかし問題は、何で必要があるかってことだよな」


 瞬時に最悪の想像が駆け巡るが、一姫は想像を振り払う。

 と、ちょうどそこで洋が駆け寄ってくる。


「どうした、洋?」

「あ、うん。寝る時間と割り当てを決め直したんだけど、これで大丈夫か訊こうと思って」

「見せて」


 一姫は洋から受け取ったノートの切れ端にざっと眼を通す。


「……睡眠時間は一時間ごとではなくて一時間半ごとにしてくれ。あとはメンバーも順番もそれでいい。三つに分けるのはいい考えだ。……ただ、Cチームの人数を減らしてAチームを増やしてくれ。そうだな……武をAに入れたらちょうどいいと思う」

「分かった。武君」

「おう。把握した」


 武は皆を集めてAチームのメンバーに声を掛けて行く。


「……やっぱり凄いね、一姫君は」


 洋が感心したように息を吐く。


「一瞬で良点と問題点を把握して、的確な指示を行えるんだから」

「的確かどうかは判らない。俺の判断だからな」

「いや、的確だよ」


 そうか、と眉を潜める一姫に、洋は声を少し大きくして語る。


「指摘されたことは納得だよ。睡眠時間を九十分の倍数にすると人はリラックス出来るって聞いたことがあるし、Aチームの人数を増やせば、休むことが出来る人間が増える。しかも女子の比率が多かったから、男子の武君をそこに入れたんだよね?」

「……一個一個説明されると恥ずかしいな」

「でも……そんな一姫君だから、どうして太陽君に五島さんを付けたのか判らないんだよね」


 人差し指で頬を押し上げながら、疑問をぶつける洋。


「五島さんはその……言っては悪いけれど、足手惑いになるんじゃないかな? 運動能力が高い訳じゃないから、いざとなったら危なくなるんじゃないの?」

「まあ、的確な指摘だな。で、結局言いたいことは何だ?」

「だから、付けるとしたら運動神経のいい八木さんの方が……あっ!」

「どうした? 何かに気が付いたのか?」

「……」


 一姫の問いに洋は答えない。代わりに、怪訝な眼差しを向けてくる。


「成程な」


 一姫はその眼差しの意味を悟る。


「お前、俺が太陽に付いて行かせたのが久じゃない理由を、久を危ない目に遭わせないようにするためって思っただろう?」

「……違うの?」

「もしそう考えたのなら、わざわざ五島じゃなくて他の男子を付ければいいことで、久じゃなくてもいいだろう? あいつの安全性を考慮したならな」

「あ、そうか」

「それに、久と太陽の二人を合わせたら、もっと危ない目に合うぞ」

「何で?」

「力がありすぎて、危険なことに首を突っ込みたがるから」


 あの二人は有り余った元気を暇があったら発散させようとするので、中学校まではいつも二人をセーブする役割を負っていた。高校になってからは負担はある程度軽減されたのだが。


「だけど、五島がいれば二人は絶対に無茶しないんだ。太陽は勿論、久もね」

「五島さんはか弱いから、か。そうなるよね」


 それもあるけれど、太陽は未来のことが好きなのである。好きな人を危ない目に遭わせようとはしないだろう。


「まあ、いざとなったら太陽は未来を担いででもその苦難を乗り越えるだろうさ」


 もっとも、担ぐことが一番の苦難になるだろうが。好きな女性に触れるという意味で。


「そっか……そうだよね」


 安心したように、洋は胸を撫で下ろした――その時だった。



『――イイペースダ、諸君』



 教室の空気が張りつめる。眠りに就くべく机に伏していたAチームも身体を起こす。


「どうにも、突然の放送には慣れないな」


 一姫が呟いた言葉は、教室の誰もが感じていたことだった。勿論、その言葉を受けて配慮をしようなんて殊勝な言葉が返ってくる訳がなく、『エゴイスト』は一方的な言葉を発信し続ける。



『一人、二人ト来テ、今度ハ――サラニ増エタトハ』



「えっ……?」


 予想外の言葉に、一姫は声を上げてスピーカーを注視してしまう。

 二人よりも増えた。

 三人以上。

 三人。

 瞬時に頭に浮かんだのは、あの三人。


 太陽、未来。

 そして――久。


『デハ、死ンダ人間ガ所属スルクラスヲ発表スル。今回ハ脱落クラスガ一ツ出タカラ、ヨク聞クヨウニ』


 一姫はごくりと喉を鳴らして、耳を澄ます。

そして『エゴイスト』は告げる。




『脱落クラスハ、一年――』

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