第4話 安全圏
◆ 校内廊下
「適当の意味が違ったな。適して、当たっていた」
太陽は膨らんだ鞄を抱えて小走りをしながら、同様の恰好で隣にいる一姫に語りかける。
「そう言うお前も、その意味で適当な対応だったぞ」
「その言い方だとオレはお前の操り人形みたいだが……まあ、似た様なものか」
購買組は、太陽と一姫を含めた十人。彼らの少し後ろを走る他の八人は全員女子で、謂わば、か弱い者達である。その者達の手にも、パンやおにぎりが溢れんばかりに盛られていた。
「しかし女子ばっかりとは、このエロエロプリンセスが」
「プリンセス言うな。仕方ないだろう。出来るだけ女子の配分は少なくしなくちゃいけなかったんだし、この人数くらいなら俺とお前で守れるだろ」
「まあな。いざという時はな。ってか、オレがオトリになってお前が女子を誘導して逃がす、ってなようにするんだよな、そん時は」
「その通りだ。俺はお前なら死なないと信じているからな」
「へえーへえー。親友冥利に尽きるよな」
軽口を叩きながら、二人は一年二組のドアを開く。
「おまっとさん」
「遅かったじゃない。あんた達のグループが最後よ」
久が手を挙げる。見ると、他の場所に割り当てた全員が戻ってきていた。購買組は足が遅い人を中心にメンバーを構成していたため、この事態はある程度予想していたことではあった。
全員が揃ったことを口頭で確認した後、一姫は扉に鍵を掛けて外界から遮断する。
「で、首尾は?」
「上々も上々。学食組も大量に確保成功」
ピースをする久の横で、未来も首を縦に振る。
「保健室組も、ほとんど全部持ち出せましたよ。薬品棚は空っぽです」
「か、家庭科室組も……後は余裕あったから、これも」
洋が指差した先には小さな冷蔵庫があった。しかも二つ。
「おお。良く持ってこられたな」
「うん。家庭科室は教室と同じ階で近かったし、男子の数もいたし、道具はこの中に入れたから運ぶのは楽だったし」
これも一姫の策だった。ちなみに保健室は一階への階段のすぐ近くで、学食も同様の場所、学食が混むので入れないことを配慮したために設置された購買は、四階の離れた場所にあった。
「でさ、みんな――誰にも遭わなかったか?」
そこで太陽は真剣な声で、クラス全員に訊ねる。
返事は、皆、首肯だった。
太陽と一姫の二人は、安堵の溜め息を放つ。
既にこの状況になった瞬間から、戦いは始まっていた。
唐突に学校に閉じ込められて殺される恐怖と戦い、それを防ぐためには誰かを殺さなくてはならない。しかも逃げられない。更に誰かを生贄にしなくてはいけないというおまけつき。
そんな状況になったら、どうなるか。
まず、クラス内で阿鼻叫喚となり、収束が付かなくなって混乱するだろう。逃げようとする人が出てきて、それを他の人が全力で抑える。そこで、最早普遍の交友関係は崩れる。泣き疲れた辺りが、ようやく正常な判断が出来る所だろう。
その場合、次に出てくる問題として、生贄が挙がる。誰を生贄にするかで、再び混乱が起きるのは必然だ。誰だって死にたくない。大抵は弱者が強制的に選ばれ、強者によって動きを封じられる。しかし弱者も死に物狂いで抵抗し、逃亡を図るだろう。どちらにしろ、食糧問題に辿り着くまでには、相当な時間を必要とする。
しかしながら、一年二組はすぐにそこまで辿り着いた。それは一姫の頭の回転の速さと、太陽の存在、そして担任教師の死があったから。このことによって、誰一人として逃げることが出来なくなった。それに加えて、信頼のある太陽をリーダーにすることでクラスを一つに纏め、反対意見が出難い環境にした。また、各自に役割を与えることでネガティブに考え込む暇を与えず、分担人数を三人以上にすることで、一人だけ逃げ出すことを防いだ。ここまですれば、この状況下で一人だけで助かると思う人はいないだろう。
だから彼らが取った方法は、最善と言えるであろう。
「うん。みんなよくやった」
しかし、喜々としているクラスに向かって、唐突に一姫は、はっきりとこう告げる。
「これで俺達は――直接、手を汚さずに済むことになった」
「……えっ!」
教室の空気は一変し、しんと静まる。笑顔だった者もその表情を固め、口を結んで一姫に視線を向ける。そんな中、一姫は「当然だろう」と肩を竦める。
「誰かが死ななければ、俺達は解放されない。結局、あいつの出した条件を呑むしかないんだ」
「だけどさ!」
即座に複数人が、全く偶然に同様の反論の言を唱える。
「――
即座に、一姫は反論した人物の名前を静かに口にして、鋭く次のように訊ねる。
「【だけど】――何なんだ? お前ら、生きたいんじゃないのか?」
「い、生きたいけど……」
「だから、【けど】って何だって言っているんだよ、武。他の人が死ぬのは良しとしないのは当然の考えだが、状況を考えろ。たった八クラスしか生き残れないんだぞ」
「でも……」
「……そこまで食い下がるならば」
一姫は一つ息を吐き、つい先刻、太陽に訊ねた質問と同じものを問う。
「お前ら、自分の手で、直接人を殺せるか?」
「そ、それは……」
「殺せないだろ。俺だってそうだ。みんなもそうだろ?」
「……」
反論した人達は、揃って口を紡ぐ。
「殺せないけど相手を死なせる。その方法が、食糧を全部奪うってことだ。自分達だけが生き残り、相手を死なせる確実な方法だ」
「でも、それは……」
「残酷な方法だってのは俺も重々承知している。だけどこれが、みんなが生き残る、一番有効で、確実な方法なんだよ」
一姫は首を横に振って続ける。
「相手に殺されない一番の対策は、教室に籠ることだ。だから俺達は、教室に何日も籠ることが出来るように設備を整えた。これ以上に安全で、生き残る八クラスに入る方法があるか?」
一姫の言葉に、クラスの誰もが黙り込む。
誰も殺さず、誰かを殺す。罪悪感はあるが、直接手を下すよりはマシ。
ただ生きればいい。生きれば、他が死ぬ。自分は生きる。生きていればいいだけ。生きていれば、他人が死んで、生き残れる。
(……だけど、それを敢えてここで言う必要はなかっただろうがよ)
太陽は眉を潜める。しかし何も考えずに口にする程、一姫は馬鹿ではないことも理解していた。恐らくは、誰かが気がついて後の火種になることを懸念したのだろう。
そして、そのことを言うことで、必然的にもう一つの問題も浮き上ってくることも、きちんと理解した上で発言したのであろう。
自分を悪者にして。
「――ったく、馬鹿が」
太陽は頭を掻きながら一姫に向かって吐き捨てる。
「せっかく隠していたことを言いやがって。全てが台無しだ。もう全部言うしかねえじゃねえか。みんなにこの策の重さを知らせないようにっていう、十分前のオレの心の中の葛藤を返せ」
「……太陽、だが何人かは既に」
「そんなの判っているって。っていうかお前さ」
太陽は一瞬で悟り、一姫に鋭く言葉を刺す。
「あのことを隠すために、敢えて口にしたろ、このこと」
「……」
沈黙の一姫に、太陽はやれやれと首を横に振って皆に声を投げる。
「おい、みんな。姫はな。本気でこのままずっと待機してようとは思ってねえよ」
「太陽」
余計なことを言うなという表情の一姫。だが、太陽は黙らない。
「ってか、お前らさ、姫の方法で本当に死なないと思っているのか?」
「……それはどういうこと?」
久が眉をしかめる。
「言った通りにしていれば、じっとしているだけで誰も直接傷つけず、みんなで確実に生き残れる。……他人から見ればひどい話だけど、私達にとってはベストな方法じゃない」
「それは違う」
首を横に振って、太陽は久に問い掛ける。
「なあ、久。ってかみんなにも言うけどさ、一つ、忘れていないか?」
「何をさ?」
「生贄のことさ」
その言葉を告げた時、皆の表情が固まった。
「どうやら忘れていたようだな」
太陽は呆れを見せる。
「いいか。このまま引き籠って相手が死ぬのを待つとすれば、二、三日は掛かる。これは餓死だけの話ではなく、我慢出来なくなった生徒達がお互いに殺し合いを始めるということも考えての話だ。ま、オレの適当な予想だけどな。で、もしそうなると、生贄は何人出る?」
「……少なくとも三人は出るわね」
「そういうこと。つまりこのクラス内で三人も死ぬ。だから、みんなが生き残れる訳じゃない」
「……三人じゃなくて、多分二人だな」
そう口を挟んだのは、一姫。
「そっちは俺の見立てだ。身近な人間が一人死に、次は自分だという恐怖感に駆られ、動き出す可能性が高い。多分、二人目の生贄が死ぬか否かのタイミングで決着はつくと思う」
「お前の見立ての方が正しそうだから、そっちを信じるか。まあ、どっちにしろ、生贄は必ず発生してしまうものだと考えている訳だな」
「ああ。四時間ごとの死亡確認で殺し合いが始まる可能性があるが、千田が死んだことで八時間の余裕ができたしな。それまでは本当の意味での危機感を持たないだろうし、それから四時間で決着が付くとは思えないからな」
「成程な。で、その生贄だけどさ」
太陽は眉を顰め、一姫に人差し指を突き付ける。
「お前、自分がなろうとしただろ」
教室中の視線が、一姫に集まる。その中心人物は皆の視線を避けるように長めに眼を閉じ、ふうと肩の力を明らかに抜いて、非難するような口ぶりで答えた。
「……俺を英雄扱いするな。当然のことだろうが。言いだしっぺが犠牲になるのは」
「お前……」
「それにな、俺には策があるんだよ。生贄になりながらも死なない、な。ただ今はその方法に対して確証が持てないから敢えて言わない。確度は高いからほぼ実行できると思うが。だから死にに行くわけじゃないし、妙に不安を煽る必要はないと判断しただけだ」
ふんと鼻を鳴らす一姫。具体的な方法を述べていないのにも関わらず、自信ありげなその態度に、クラスの雰囲気は少しだけ良くなる。
「そういうことで、その策ができるか確かめるために、俺と太陽はこれから校舎の状況把握に行ってくる」
突如、一姫は扉を指差しながら告げる。
「みんなは、ここに食料があることや装備が充実していることを悟られないように、他クラスの奴と連絡を取らないように……いや、これらの情報を決して漏らさないように意識して、自然な返しをしてくれ。そして、俺達以外の人物を扉から通すなよ。死ぬからな」
「じゃあ合言葉でも決めておくか」
太陽は少しだけ悩むと、久に向かって言う。
「じゃあ、姫が『アイラービュー』って言うから、お前は『アイニージュー』って返せ。オレ一人の時は『もしもし』って言うから『合言葉がちゃう』と答えてくれ」
「分かったよ。馬鹿」
一つ頷くと久は「……馬鹿なのに鋭いとか、マジで馬鹿だな」と小さな声で悪態をつく。そんなことに全く気が付いていない様子で、一姫は「じゃあ」とクラスに声を掛ける。
「トイレは、男子は窓から外に向かって、女子は悪いけど端の掃除用具入れの中でバケツの中で我慢してくれ。……と言いたいが、まあ、無理だろうね。俺の言う通りにさっきしてきたのなら、しばらくは必要ないと思うけど、したくなっても出来るだけ外に出るな」
皆が首を縦に振る。そんな中、未来が二人の顔を見ながら心配そうに眉を寄せる。
「あの……太陽君、一姫君。気を付けてくださいね」
「了解。必ず姫と共に帰ってくるよ」
「そうそう。君の大切な人は低調に扱うから」
「ん? 誤字かな。これからの展開を示唆するような言い方だけど?」
「低い調子だ」
「なんだ。いつもの姫じゃん。あれ? 未来、具合悪いの?」
「え?」
「ほら。焦点が少しだけずれて、ちょっと熱がありそうだよ」
「あ、いえいえ。大丈夫です。元気ですよ」
ほら、と笑って未来は細い腕を回す。
「ならいいけどさ。みんなも、具合が悪くなったらすぐに言いなよ」
「あとは寝ておくのも得策かもしれない。俺達が帰ってくるまで、特にやることはないから、ゆっくりと緊張を解いておくのがベストだよ」
クラス全員が頷いたのを見ると「鍵閉めろよ」と念を押して、二人は素早く教室から出た。
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