第31話 最悪の結果

◆ 一年二組  一姫 剛志



「……まだ帰ってこないのか、あいつら」


 扉の近くで、久が焦燥した様子で時計を見上げる。

 現在の時刻は、五時五十五分。

 教室に、太陽と未来の姿はない。


「ねえ姫君。いい加減に太陽と未来が何処に行ったのかを教えてよ」

「いいや。こればっかりは久にも教えられない。誰にも、ね」


 隣にいる一姫は眼を瞑りながら答える。同じような質問を久以外にも何度もされているため、少し辟易しているのかもしれない。だがそれでも、久は訊かずにはいられなかった。


「犯人を捜しに行ったって言ってたよね? で、ここまで帰ってこないとなると……」

「……お前でもそう考えるのか」


 一姫は意外そうな表情で、人差し指をスピーカーに向ける。


「あいつらの無事は、これが証明しているだろう?」

「あ、そういえば、放送ないよね」


 二時の放送から今まで、一度も犯人側からの放送はない。


「それって、もうすぐ、脱落クラスの選別が始まるってことでもあるけどな」

「……誰も、動かなかったんだね」

「死ななかった、の方が正しいな。動いたけれど、ケガ人は出たかもしれない。現に太陽達は動いている」


 とにかく、と一姫は声を小さくする。


「俺達の推測が外れた時は……判っているな?」

「……うん」


 久は胸元を抑える。


「じゃあ、そろそろ私は離れるね」

「ああ。冷静にな」

「うん。そっちも、細心の注意を」


 頷き、久は扉の前から窓際へと足を運ぶ。


「さて、と」


 一姫は手に握られている、自動小銃型音声爆弾の操作スイッチを見る。だがそのボタンは、二時頃にあった一年四組の襲撃の際の一度しか押されていない。


「……かといって、平和だったわけではないんだけどな」


 思い出すように呟く。

 廊下を背負っていた彼は、背後に人の気配を感じるとすぐに、しかし誰にも気が付かれないように廊下に出て、クラスを襲撃させる前に手を打っていた。その回数は二桁を超え、あまりの多さのために、外出が久にバレてしまうなんて事態もあった。トイレに行き過ぎ、というのが露呈の要因だった訳だが、しかし一姫がトイレを言い訳にしたのは数回に過ぎず、しかも複数人に述べたため、普通は気が付かないはずなのだが。


「まあ、それは俺がしくじった、というよりも久の観察眼が優れていたというのが正しいな。もしくは、俺の監査役を命じられているのかもしれないけれど。……ま、どっちにしろ、久に見られるのはそんなに悪くない……なんてな」


 誰にも聞こえないように軽口を口にするが、その表情は険しい。心境としては、冗談でも口にしないとやっていられない。


「……太陽が俺だったら、どうだろうな? ……愚問だったな」


 一姫は親友の名を口にするが、すぐに首を振る。そして一息ついて、時計を睨み付ける。


「さて――運命の六時だ」


『――グッドイブニング、諸君』


 犯人側からの放送が、時刻通り始まる。それまで談話や睡眠をしていたクラスの面々は一斉に顔を上げ、スピーカーに視線を向ける。


『タダイマノ時刻ハ六時。四時間ゴトノ判定ノ時間ダ。マア、結論カラ述ベルト、コノ四時間デ死者ハ、一人モ出ナカッタ』


「やはり、か」


 死者が出ていながらも放送していなかった、という根拠のない可能性はここで潰えた。


『ヨッテ、脱落クラスガ二クラス出ルコトニナッタ』


 息を呑む音が、あちらこちらから聞こえる。その大半が、今までそのことを忘れていた、という顔をしていた。


『我々トシテモ望マナイ事態ニナッテシマッタ。心苦シイヨ』


「白々しいぜ」


 武が顔を顰めながら吐き棄てると、傍にいた洋が「でも、そうだろうと思うよ」と口にする。


「あん? 何でだよ?」

「だって、犯人側の目的は、僕達に殺し合いをさせることでしょ? だから、自分達の手で殺すなんてことは望んでいないと思う」

「そうかもしれねえけど……じゃあ、何で俺ら同士で殺させようとするんだよ」

「し、知らないよ。僕は犯人じゃないんだから……」


『サテ、ソノ脱落クラスダガ』


「静かに」


 一姫が制止させる。ここからの話により対応を変えなくてはならないため、聞き逃す訳にはいかない。


『既ニソノクラスノ抽選ハ済ンデイル』


 その言葉で、一姫はほぼ確信していた。

 今回の脱落クラスに―― 一年二組は含まれていない、と。



『脱落クラスハ――三年一組、三年六組』



 あちらこちらで安堵の息が漏れる。そんな中、久が顔を輝かせて一姫の方へ向かってくる。


「予想通りだよ。三年生だって所も」

「不謹慎」

「あ、ごめん」


 慌てて手で口を塞ぐ久。


「でも……ということは、やっぱりこれは、犯人側の意図した、選別だったんだね?」

「三年生の二クラスって所まで的中するとなると、ほぼ間違いないと言えるだろうな」


『――コレラノクラスハ、残念ナガラ脱落トナル。ツマリ、全員ニ、死、ダ』


 スピーカーから聞こえてくるその続きの言葉に、ほっとした表情をしていたクラスの面々の表情が固まる。脱落=死という事実を突き付けられて喜びを表せる人間など、ここにはいない。


『残ッタ者達ハコウナラナイヨウニ、頑張ッテ殺シ合イヲシテクレタマエ』


 まだ、終わりではない。このまま膠着状態が続けば、また四時間後にクラスが二つ脱落する。


『――ア、ソウソウ』


 思い出したかのように、スピーカーは声を吐き出す。


『午後十時ハ、生贄ノ時間ダ。ソノタメ、四時間ノルールハ適用シナイ。コチラカラノ恩赦ダ』


 四時間ルールが適用されない。すなわち、人が死ななくても脱落クラスが出ないから、無理矢理殺さなくてもいい。このことは、意外に大きい。焦燥したクラスが一年二組を襲撃するのを、一時的にも心配しなくていいのだから。しかし、そのことに気が付いているのは一姫と久だけで、他の人々の意識は別の方向へと向いていた。


「生贄……」


 洋の声が震える。


「誰が……なるの……?」


 ついに、避けられない事態が起こった。

 この中の誰かが死ななくてはならず、その人物を選別しなくてはならない。

 ならば、方法はどうするか。


(――考えられる方法は、四つあるな)


 一つ目は、多数決による選別。しかしそれだと誰が誰を選んだという遺恨が発生し、疑心暗鬼に陥ってしまう可能性が非常に高くなる。なので選択肢から外す。


 二つ目は、くじ引きなど、完全にランダムで決めること。この方法を用いれば疑心暗鬼にはならない。だが恐怖心は倍増する、よって使えない。


 三つ目は、誰か一人のみの判断により、生贄になる順番を決めておく、ということ。そうすれば次は自分ではないかという恐怖心は無くなり、また、決めた人がはっきりとしているため、疑心暗鬼にはならない。但しその方法では、その一人が相当責められることとなり、加えて、その人の基準で選ぶため、批判も起こり易い。そのため最適であるとは言えない。


 しかし――残る四つ目の方法。

 その方法ならば、人々の恐怖心を仰がないし、疑心暗鬼にもならない。批判も起こらない。

 前の三つと比べても、デメリットは少ない。


 故に一姫は、四つ目の方法を選択した。



「――俺が、生贄となる」



 クラス中の視線が、一姫に集まる。その全員が、信じられないという表情をする。


「じょ、冗談だよね、姫君?」

「こんな時に冗談を言える程、空気が読めない人間ではないよ、俺は」


 久の肩に手を置いて、一姫は壇上に上がる。


「十時の生贄は俺がなる。朝の十時までには太陽が解決しているだろうから、その時の生贄は考えなくていいからな。あらかじめ言っておく」

「ちょ、ちょっと待ってよ、姫君」

「なんだ、久? 意見あるのか?」

「大ありだよ! 多分だけど、あたしだけじゃなくてみんなあるよ!」


 久の言葉に、そうだそうだと賛同する声が続く。一姫は表情を動かさずに訊ねる。


「何だ? 言ってみろ」

「姫君は皆を引っ張っていく存在で……生き残るために必要な存在なんだから駄目だよ!」

「……太陽にも言われたな、それ」


 はあ、と深い溜息をこれ見よがしに吐く一姫。


「俺のやることはもう終わった。後はここを破られないように籠城していれば自然と助かるよ。懸念事項として、太陽を外に出さないようにすれば、完璧だな」

「そうじゃなくても、姫君がいなくちゃ……」

「甘えるなよ」


 穏やかな口調だが、冷たく一姫は突き放す。


「もう一度言う。甘えるな。俺がいなくちゃ生き残れない? ふざけるな。俺を過大評価するな。自分を――過小評価するな」

「過小……評価……」

「ただ待っているための人間であるな。考えろ。俺や太陽の指示を待つな。指示を出す側の人間になれ。ここにいる人間全員、そういう心構えでいろ」


 一姫の言葉は重く、皆の心に刺さる。

 九条太陽。

 一姫剛志。

 実質、一年二組は、この二人に守られていた。


「リーダーは確かに必要だが、リーダーだけに頼っていてはいけない。リーダーの周囲の人も考え、意見し、より良い方向へ模索する。これが理想的な姿だ。最初の時は強引さが必要だったから俺達中心で決めたが、考えることを停止しては駄目だ。俺が生贄になれば、みんなは考えることが必要となる。そうなった時、みんなは出来るか?」


 その言葉に、クラスの人々は戸惑う様子を見せる。


「……出来る。やってみせる!」


 口火を切ったのは武だった。それを皮切りに続々と首を縦に振る。

 その様子を見て、一姫は小さく息を吐く。


「……ま、そういう訳で、俺がここに残るべき最大の理由は、もう無くなったんだ。生贄になる人がいない以上、俺がやる分に文句はないだろ? なあ、久?」

「確かにそうだけど……いや、そういうことじゃなくて……その……」


 どう返したらいいか分からなくて、久は言葉を探る。


「姫君は、やっぱり必要な人間なんだよ」

「じゃあ訊くが、必要じゃない人間がこの中にいるか? いないだろう? 必要な人間なのはみんな同じだろう。俺に関わらず」

「そ……そ、それは……」


 矢継ぎ早にそう言う一姫に対し、久は口を真一文字に結んで下を向く。


「そんな言い方は……ずるい……」

「ずるくないだろう。事実なのだから。俺が特別って訳じゃないのだからさ」

「……」


 一転、久は顔を挙げてじっと一姫を睨み付ける。さすがに意地の悪い言い方をしたか、と一姫は少し反省し、話を戻す。


「さあ、俺が生贄になるということでいいだろう? それとも、他に立候補する人がいるのか?」


 その問いに、人々は口元を固く結ぶ。立候補すれば、すなわち死。いるはずがないのだ。


「あ、あたしがやるよ!」

「駄目だ」


 そんな中、一人手を挙げた久を、一姫は一蹴する。


「どうしてさ! あたしがやっちゃいけない理由でもあんの!」

「理由はない」

「だったら姫君じゃなくてもいいじゃない!」


「違う。俺は、お前が死ぬのは嫌だと思っている。つまり、俺の我儘ってことだ」


「なっ……」


 久の顔が、みるみる赤くなる。対して言い放った一姫は、涼しい顔をしながら続ける。


「まあ、それに俺も、ただ死にに行く訳じゃないしな」

「……どういうこと?」

「毒ガスで殺すって判っていたら、ある程度の対策は取れる。死なない方法なんて幾らでもあるんだ。まあ、人には言えないし、実際に口にしても信じられない方法だから言えないってのもあるけど、一つだけ、明確な理由がある」

「明確な理由?」

「毒ガスってのは同じ場所では二度は使えない。余程整った設備でなくてはな。だから、俺の後の生贄は体育館で毒ガスなんて方法ではないはずだから、伝える必要なんてないさ」


 ということで、と一姫は二度手を叩く。


「俺が生贄、ってことで異論はないな?」

「……あたしは」


 久は首を横に振る。一姫は呆れたように深く息を吐く。


「まだ言うか? 死なないって、言っているだろう?」

「でも……それでも……」


 久は必死で言葉を探す。だが、一姫を止められるだけの説得力のある言葉が見つからなく、ついに押し黙り、針の落とした音が聞こえるような、静寂が生まれる。


「……やっと、納得してくれたか」


 一姫は安心したように、少し表情を緩めた。


 ――その時だった。



「……開けてくれ」



 思わず一姫は耳を疑った。

 その声はあまりに暗く低く、普段の彼からは決して聞くことのない声だった。

扉の近くにいる久が、眉を潜ませながら口の動きだけで「どうする?」と訊いてくる。


「……とりあえず、本人だとは思うが事情がどうなのかを確認してくれ」

「分かった。――どうした、太陽?」

「……いいから早く開けてくれ。頼む」

「怪しいな。お前、本当に太陽か?」

「声を聞いて判らないか?」

「声だけじゃ信用できないね」

「……それなら、出てきて確認してくれ、久。できれば一人で頼む」

「一人、でか?」

「あまり人数がいると困る。というよりも……お前と少し話したいことがある」

「話したいこと、ねえ」


 久は一姫に視線を向ける。一姫は再び首を縦に動かす。


「……分かった。今から行く」


 胸元に手を入れながら、久は廊下の扉をゆっくりと開ける。

 その際にちらと見えた太陽の顔を見て、一姫は、今度は眼を疑った。

 太陽のその表情は誰かが死んだかのようにとても暗く。


 そしてべっとりと――紅いモノが付着していた。

 

 それをきちんと確認する間もなく、扉が急激に閉められる。クラスの人々は、視線を久が出て行った扉に集め、固唾を飲んで見守る。


「――バッカじゃねえのか! この野郎!」


 唐突に久の怒声が、壁に叩きつけられたような鈍い音と共に響いてくる。


「お前がいながら……何で……こんなことに……」

「ど、どうしたの、八木さん?」


 近くにいた洋が尋ねるが、久からの返答はない。と、そう思っていた所。


「っ!」


 突然、扉が開かれ、久が戻って来た。その表情は般若の如く怒りに満ちており、声を掛けることすら躊躇われた。呆気に取られる周囲を気にしない様子で、彼女は一直線に救急箱のある方へ向かい、それを手に持つと、あっという間に、再び教室の外に出て行ってしまった。

 直後、再び聞こえる、怒鳴り声。


「そこにいつまでもいないで、中に行って説明してこい!」

「……すまん」

「謝るのはあたしに対してじゃないだろ! ふざけんな!」

「……すまん」

「もう知らん! 何処だ! 何処にいる!」

「……女子トイレだ。この階の」


 何処にいる? 女子トイレ?

 クラスの人々はその言葉の意味が判らず首を捻る。その言葉からある程度察知したのは、一姫くらいであった。

 だから入室してくるであろう彼に説明を求ようと、皆は身構える。


「……っ」


 扉が開いたと同時に、人々は言葉を失った。

 先程、一姫は彼の顔に紅いモノが多数付着しているのを見ていた。

 だが、それはただの一部であった。

 彼の制服の前面は、どす黒く染まっていた。まるで、元の制服の色がそうであるかのように。

 しかし、それ以上に――彼の表情の暗さは、想像を絶するものだった。


 反省。

 後悔。

 絶望。


 全てを併せ持ったその表情は、見ている者の不安を煽った。


「……よう」


 太陽は、覇気のない声で片手を挙げる。

 誰もが見たことのない太陽が、そこにいた。

 そんな彼に、一姫は声を掛ける。


「何があったかは大体俺には判るが……話せるか?」

「いや、大丈夫だ。自分で話す」


 太陽は無理矢理笑むと、首を数回振って大きく息を吐く。


「まあ、見て判ると思うが……ヘマをした」

「ヘマ?」

「ああ、武。お前は疑問に思わなかったのか?」


 ひどく穏やかな声で、太陽は問う。


「どうして―― 一人で帰って来たのか、と」

「あ……」


 いない。


 太陽と共にいた女子――五島未来の姿が、どこにもなかった。


 加えて、血だらけ。

 この表情。

 ここまでの条件が揃えば、誰でも察することが出来るだろう。


「まさか……」

「そうだ」


 太陽は下唇を噛み締める。





「……

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