第33話 生贄

◆ 一年二組  一姫 剛志



 他クラスの喧騒が、断片的に聞こえる。

 生贄について、誰が死ぬかで揉めている。

 教室の中にいるのに、はっきりと聞こえる。

 それ程、一年二組は静寂に包まれていた。

 息を呑む音さえ聞こえる空間。誰もが息をすることさえ躊躇する。

 原因は、先程の太陽の言葉。


 ――未来が、撃たれた。


 太陽についている血は、彼女の血。

 彼女は女子トイレにいる。

 ここまでは誰でも判る。

 判らないのは――


「なあ、太陽」

「何だ、姫?」

「五島は、生きているのか?」

「……」


 太陽は唇を結ぶ。が、すぐに重々しくゆっくりと口を開く。


「……生きている」


 安堵の息がそこら中から発せられる。

 しかし、一姫は難しい表情のまま、こう訊ねる。


「あと――どれくらいだ?」

「……相当、短いだろうと思う」

「そうか」


 一姫はただ一言だけそう頷くと、眼を瞑る。


「ど、どういうこと?」


 すぐさま、大半の人々の代理のように、武が説明を求める。


「そのままの意味だ」


 太陽がぶっきらぼうに答える。


「未来は生きている。だが――

「え……?」

「死ぬ、ってことだ」

「う、嘘だ……」

「本当だ。未来は死ぬ」


 周囲の空気が固まる中、淡々と、言葉を紡ぎ出す太陽。


「銃弾で腹部を撃たれた。出血が多すぎる。いつ死んでもおかしくはない」

「そんな……」


 武が、がっくりと膝を地に着ける。それを見て、太陽は頭を下げる。


「すまない。俺が至らないばっかりに……」

「そうだよ! どうして――」

「そこまでだ」


 詰め寄ろうとする武の肩を、一姫が掴む。


「止めんなよ。こいつは五島を!」

「お前なら守れていたというのか?」

「うるせえ! 守れるとか守れないとか以前に、五島をそんな危ない目に合わせねえよ!」

「五島を連れて行かせたのは俺だ。太陽を責めるのは門が違う。恨み事なら俺に言え」

「いや、いいんだ姫。オレの所為だ」


 太陽は悔しそうに左拳を握り締める。


「……っ」


 が、すぐに、何か触れてはいけないものに触れてしまったかのようにその拳を緩める。

 その反応を、一姫は見逃さなかった。


「太陽、左腕見せてみろ」

「何だよ、急に。……ほら」


 首を捻りながら左腕を挙げる太陽。その際に腕部から血が滴り、周りに撒き散らす。

 それだけで一姫は確信した。


「お前も治療を受けろ」

「は? 何を言っているんだよ?」


「左手の親指と人差し指の間」


 ぴくりと反応し、太陽は瞬時に左手を覆うように右手を被せて隠す。


「ほらやっぱりそうだ。五島が傷付いているのにお前が無傷なのはおかしいと思った。お前も怪我しているんだろう?」

「な……何だって……」


 武は思わず太陽の顔を見る。


「……」


 太陽は唇を結んで、一姫を睨み付ける。その睨みをいなし、一姫は肩を竦める。


「まあ、ギリギリまで隠せていることだから命に別状はないだろうが、相当痛いだろう? 救急セットは……久が持って行ったか。血を洗い流すなどで消毒するのは必要だが、今は水場に行きたくないだろうから、気休めながらも、何かを押し付けて止血しておけ」

「おいおい。何を治療する必要があるんだ?」


 太陽は笑みを表情に張り付ける。


「そもそも怪我とかしてねえし。……ああ、この血を見て思ったのか。これは全部未来の血だよ。抱えてここまで運んできたから、付きまくったんだよ」

「ならば、左手見せてみろ」

「やだよ。そんな気分じゃない」

「気分とかの問題ではない。ふざけていないで出せ」

「……。……やっぱ駄目か」


 観念したように、太陽はゆっくりと両手を掲げて開く。

 一姫の言った通り、左手の親指と人差し指の間の水かきのようになっている部分が欠損していた。その空洞部分からは赤い液体が零れ落ち続けている。


「いや、見た目より痛くねえんだぜ、これ」

「そんなことはないだろう。早く治療しろ。お、包帯は残っていたのか。ちょうどいい」


 話している間に一姫は、洋に手渡された包帯と、自分のポケットから取り出したハンカチを太陽に投げつける。太陽は右手で受け止めると傷口にハンカチを当て、手際よく一人でその上に包帯を巻きつける。白い包帯がみるみる赤く染まり液体が滴るが、使い切る頃には、ある程度の滴りは抑えられていた。太陽が包帯の端を口で結ぶと同時に、一姫は訊ねる。


「何があった? どうしてお前らがこうなった?」

「……二人だ」


 悔しそうに太陽は言う。


「未来を隠れさせて捜索に向かおうとした時、二人に銃を向けられた。一人は速攻で倒せたけど、残る一人が……」

「一人が、とんでもなく強敵だったのか?」

「いいや。とんでもなく、下手くそだった」

「下手くそ?」

「ああ。最初の奴と同様にそいつもオレを狙ってきたんだが、狙いが極端に外れていて、オレが動かなくても当たらなかったんだ。だけど……」


 太陽が歯を鳴らす。


「窓枠の淵に跳ね返って未来の隠れている所に当たるなんて、誰が思うよ……」


 跳弾。

 太陽のことだから万が一にも見つからず、直線的には絶対に当たらない位置に五島を隠れさせたのであろう、と一姫は理解していた。だからこそ、太陽の悔しさも理解出来る。

 太陽は包帯を巻いた左手を見つめる。


「……この傷は、その後にできたものだ。あいつは、倒れ込んで姿を現してしまった未来に瞬時に銃口を向けてな。もうそこから頭真っ白だった」


 太陽の行動原理と傷から鑑みるに、恐らくは真正面から銃口を掴み、無理矢理軌道をずらしたのだろう。


「言うが、殺していないぞ。未来に止められたからな」

「五島に?」

「苦しいのに、他人の心配をしてたな。本当に、気を失うまで、みんなのことを……」


 そこで太陽は言葉を詰まらせると、大きく息を吐き出し、下を向く。

 そして、二、三度首を振ると、


「……みんな、聞いてくれ」


 顔を上げ、決意に満ちた顔で、太陽は次のように告げる。



「生贄は――未来にしよう」



「ふざけんなよてめえ!」


 一番に反応したのは武。一姫が制止する間もなく、驚くべき速度で太陽の胸倉を掴み上げる。


「五島を生贄にするだと? 何を考えてんだ!」

「さっき言っただろ。未来はもうすぐ死にそうなんだ。死んだらオレ達は脱落。全員死亡だ」


 だが、と抑揚の無い声で太陽は続ける。


「未来が生贄となれば話は別だ。その時まで生きていてくれれば、オレ達は死なずに済む。誰が生贄になるかなんて不毛な言い争いをする必要はなくなる。一番、合理的な考えじゃないか」

「だ、だからと言って、お前……」

「じゃあ何だ? 他に方法はあるのか? 万が一、未来が死んでしまっても、オレ達が脱落しない、かつ、生贄を誰にするか揉めない方法が」

「そ、それは……」


 武は押し黙る。太陽は緩んだ彼の手をゆっくりと外し、冷たい視線を向ける。


「批判だけなら誰でも出来るんだよ。文句言うなら、代替案を上げろ。オレが納得するだけのな。そうでなくちゃ、オレは未来を生贄にするという案を撤回しない。さあ、どうだ?」


 太陽は皆に問い掛ける。だが、返ってくる声は一つだけだった。


「……反論は出来ないな。それ以上の対策を、俺は提示できない」


 一姫が首を横に振った。

 それだけでクラスの皆は考えるのを止めた。一姫に思いつかないものは、自分達でも無理である、と。それに皆、少なからずこう思っているはずである。未来を犠牲にすれば、とりあえず十時には、自分は死ななくて済む。反対する理由は、感情論でしかないのである。


「それじゃあ、生贄は未来ということで」


 変わらず冷たい声で、太陽は決定を告げる。内容が内容だけに、肯定する人は誰もいない。

 そこで、ガタン、と外れそうな勢いで扉が開かれる。鍵は締められていなかったため、簡単に外から開かれたのである。

 一瞬だけ、襲撃か、と身構えた一姫だが、すぐにその姿を見て警戒を解く。

 そこいたのは、救急箱を持った、硬い表情の久だった。


「どうだ、久? 五島の状態は?」

「……」


 一姫の問い掛けに、久はすぐには応答しない。それだけで未来の容体が良くないことが判る。

 やがて意を決したかのように口を開く。


「……意識はあるよ」

「本当か?」

「だけど……未来はこう言っていた」


 久の表情が歪む。


「『私はもう、無理でしょう。だから、私が生贄になります。せめて皆のために、最後の命を使わせて下さい』って」

「五島が自分で言ったのか?」

「うん。あと、こうも言っていた。『太陽君にも言いましたが、太陽君は優しいから、私がそう言っていたなんて言わないでしょう。自分に責任が行くようにして……ずるいです。私のカッコいい場面なのですよ』」

「……」


 太陽は眼を瞑ったまま黒板に寄り掛かり、その言葉に反応を示さない。


「『だから皆さん。太陽君を責めるのは間違いです。私が……私の意思で太陽君に付いて行った結果が、たまたまこうなっただけです。太陽君は何事にも優先的に私を守ってくれました。だから感謝こそすれど、恨みなどはしません。なので皆さん、どうか、お願いします』……一言一句、違えてない。未来の言葉だ」

「……強いね、五島さん」


 洋がぼそりと言葉を落とす。


「……何やってんだが、俺は……」


 武も髪を掻き回し、苦悶の表情になる。

 しんみりとした空気になり、涙する女子もいた。

 久は言葉の直後、睨み付けるように床に視線を向ける。

 太陽は眼を開けずに、腰を落とす。


「大丈夫か?」


 一姫の訊ねに、太陽は右手を軽く挙げる。


「ああ、ちょっと疲れただけだ」

「そうか。怪我もあるしな」

「情けなさ過ぎて、疲れた。……寝る。九時に起こしてくれ」


 ふう、と一息ついて、太陽は言葉を落とす。


「……ああ、痛いな。滅茶苦茶痛い」


 数秒後、太陽の呼吸が整って、静かになる。

 周囲の人物は騒がず、声を殺して彼の睡眠を促進する。

 クラスにいる者は皆、未来を生贄にするという選択肢を一番選びたくなかったのは太陽である、と分かっていた。

 だが、彼は皆のために、最も言いたくない、やりたくないことを口にした。その心労は計り知れない。だから、急に眠ろうとするのも、ある意味当然のことである。


「……洋。何か掛けるものないか?」


 一姫は近くにいる洋に声を掛ける。


「か、書けるモノ? 鉛筆とかなら筆箱にあるよ」

「そうじゃねえって。そこでボケるなよ」


 そう言って武は上着を脱ぎ、太陽に掛ける。


「あ、ご、ごめんね」

「済まんな」

「気にすんなよ」


 一姫は相変わらず無表情で武から受け取った上着を掛ける。だが、その声は優しかった。


「今は少しでも休め。お前は頑張った。肉体的にも――精神的にも」


 答えはないが、代わりに寝息が戻って来た。


 その後、一姫は太陽を起こさないよう紙に要件を書くという伝達手段によって、これからの行動を指示した。それから皆は会話を行わず、全て筆談によって情報の伝達をするようになり、紙が複数枚あちらこちらへ行ったり来たりした。

 その間に一姫は未来の様子を見ようとしたのだが、「女子トイレに男子が入る訳にはいかないでしょう? だから女子でやる」という久の意見を呑み、彼女に全てを任せることにした。それから久は何度か、女子生徒を何人か引き連れて、未来の看病を忙しく行った。度々「様子はどうだ?」と一姫は訊ねるが、久は首を小さく振るだけで何も言わなかった。

 また、洋、武との相談により、食事を行う時間が、予定していた八時半から九時に変更になった。理由としては、太陽が起きるのを待つためである。以前の食事の際に準備を粗方済ませていたため、その作業自体には大して手間は掛からない。そのため、太陽が起き次第対応する、ということも出来るのだが、指針を与えるとある程度は空腹感に耐えられるという理由のため、九時、と明確に時刻を定めた。


 そして、その時刻――午後九時になった所で。


「……ん」


 太陽は正確無比な体内時計で起きる。


「起きたか太陽」

「おお、姫か。……今、どうなっている?」

「特に動きはない。放送もないし、五島も死んでいない」

「……そうか」


 何も感情を含まず、太陽は立ち上がりながら問う。


「それで……未来はどうしている?」

「判らない」


 一姫は正直に口にする。久はおろか、久に付いて行った女生徒達もあまりにも衝撃的だったのか全くそのことについて口にしようとはしないため、実際、あちらがどのようになっているかは、一姫には判らなかった。そのような返答にも、太陽は「そうか」と無機質な言葉を零すだけで言及しようとはしない。明らかに無気力感が漂っていた。


「ところで、さっきから鼻に付くこの匂いの元は何だ?」

「ああ、カレーだけど」

「やっぱりそうか。そういや腹減ったな」

「ほらよ」


 武が太陽に皿を差し出す。


「……ありがとう」


 太陽は少し驚いた表情をしながら受け取る。それに対し武は、


「ごめん」

「何でお前が謝るんだよ? このカレーを作る手伝いをしなかったから、むしろ謝るのはオレの方だろうが」

「言わすなよ、俺に。理由をな」


 武はそれだけ笑って言うとその場を去る。太陽はその後ろ姿を見ながら、カレーを口にする。


「……美味いな」


 その口元が少し緩んだように、一姫は見えた。

 だが、そんな平穏とも言えるやり取りが出来るのも今だけで、時間は無情にも過ぎる。



 そして間もなく。

 運命を左右する時刻――十時がやってくる。

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