第14話 足手惑い
◆一年二組 一姫 剛志
『『脱落クラスハ――一年六組。ソシテ他ニモ、一人欠ケタクラスガアル。ソレハ三年五組。コチラモリーチダ』
「あいつらじゃないのか……」
良かった、と思わず言いそうになって、一姫は口を押さえる。
人が死んでいるのだから、良くはないのだ。
一年六組。
ここから少し離れているとはいえ、同じ階下のクラス。知り合いも多くいた。一姫も太陽も所属している、サッカー部。そのチームメイトの一人も、確かそのクラスにいたはずである。
と、そこでポケットの中の携帯電話が震える。
「……メールか」
電話だった。しかも、ピンポイントな相手からであった。
一年六組に所属している、サッカー部員である。その偶然に感嘆したため、無視を決め込んでいた携帯電話の通話ボタンを押す。
『一姫! 助けてくれ!』
「どうした、修太郎?」
問うが、一姫には大体想像が付いた。一年六組に対し、誰かが殺戮を始めたことだろう。
『こ、殺される! た、助けてくれ!』
「そうか。一体、お前のクラスの誰がお前を襲ったんだ?」
『お、俺のクラスの奴じゃない!』
「……は?」
適当に耳を傾けていた一姫の眼が見開く。
「どういうことだ?」
『ウチの部のマネージャーだ!』
「……マネージャー?」
『そうなんだよ! 俺、三階まで逃げてきたんだよ! ウチの部のマネージャーが俺達のクラスにナイフで――』
ブツン、と修太郎の言葉が途切れた。つーつー、と無機質な音が流れる携帯の液晶を、一姫はじっと見る。
通話終了。
そして恐らく、修太郎の人生も終了した。
「……いい足を持っていたんだがな」
故人の個人情報を少しだけ口にし、一姫はすぐに携帯電話を操作する。
落ち着け。
出てくれ。
心の中で焦りと抑えの言葉がぐるぐると駆け廻る。
焦る気持ちが、汗となって具現化する。
一コール。二コール。三――
『何だ?』
電話口から、いつも聞いていた声が放たれた。
一姫は少しだけ安堵した後、すぐに指示を出す。
「太陽、今すぐ二人を連れて教室に戻れ」
『……何かあったのか?』
「お前らが何かが起こりそうだから言っているんだ」
『はあ? 意味分かんねえよ』
「さっき修太郎から電話が来たんだ。殺される、ってな」
『ああ、修太郎って六組だっけ? なら一年の教室に向かう方が危ねえんじゃねえか? 三年三組の時と同じでさ』
「違うんだ。今回はな」
犯人は、今、二階にはいない。そもそも、
「――犯人グループの一味であろう奴は、誰も殺していないんだ」
『は?』
「一年六組は犯人グループ以外の奴に全員殺された」
『どういうことだよ、おい!』
「修太郎が言うに、そいつはいきなり教室に入ってきて、無差別に人を殺していったらしい。で、修太郎はそいつの――」そこで雑音が入るが、一姫は構わず続ける。「――姿を見ている。犯人はサッカー部のマネージャーだ。だからそいつに気をつけろ」
『……』
返事がない。一姫はもう一度繰り返す。
「いいか? サッカー部のマネージャー、百乃葉良が、一年六組の人達を皆殺しにした犯人だ。今、三階にいるなら危ない。そこにマネージャーはいるらしいから」
『……』
またもや返事がない。というよりも、反応がない。
まさか既に手に掛かったのでは、と心配になってきた所で、
『……もしもし、姫君?』
「久か? 何で途中から変わったんだ?」
『あ、うーん、太陽か……あいつ、なんか外で会話している』
「会話? 誰と?」
『っとね……マネージャーだって』
「……マネージャー、だと」
一姫は動揺する。会話をしているということは、太陽は一姫の説明を途中――恐らくは雑音が入った辺りから、聞いていないだろう。
「久、声を潜めてどこかに隠れろ」
『え? 何で?』
「一年六組を殺害し尽くした犯人、それがそのマネージャーだからだ」
『――マネージャーだって!?』
一姫は、しまった、と思った。
『太陽! そいつから離れろ! そいつが一年六組全員を殺した――犯人だ!』
久の叫び声が聞こえたと同時に、電話先の場の雰囲気が変わったことを感じた。恐らく、葉良が太陽達に何らかの攻撃を仕掛けたのだと推察した一姫は、久に訊ねる。
「久。今の状況を説明してくれ」
『あ、い、今、多分太陽がそのマネージャーに何か……』
「多分ってことは、太陽からの距離は離れているのか?」
『そうじゃない。扉の外にあいつはいるんだけど……』
「扉? 教室の中にいるのか?」
『ううん。女子トイレの中。あたしらは個室の中にいるんだ』
何で女子トイレに、と思ったが、今はその場合ではない。
「その個室にいるのは、久一人だけか?」
『ううん。未来と……あと、三年五組の人が一人。そっちは気絶しているけれど』
またしても意味が判らなかった。一姫は混乱しつつも続ける。
「トイレの個室はどの位置?」
『一番奥』
「何階のどこのトイレ?」
『三階の……図書室に近いトイレだよ』
「把握した」
場所的に、久と未来は個室から出ることが出来ない。故に太陽は、その個室を背に対応せざるを得ない状況に陥っているということ。
「久。個室からは絶対に出るなよ。五島にもそう言ってくれ」
『ああ。でも、太陽が……』
「あいつなら大丈夫。いや、むしろそこにいなくては、あいつの勝機が薄れるかもしれない」
『え?』
「ああ、別に久が足手惑いになるからってことじゃないよ」
一姫はそうフォローするが、これが、後に太陽を困らせる一因になるとは思っていなかった。
「とりあえず、パソコンは五島に渡しておいて、久は準備していて」
『判った。逃げる準備だよね?』
「加えて、太陽を助ける準備」
『……拳銃、だね』
「違う。それは絶対に使っては駄目だ」
一姫は強く制止する。
「拳銃ではなく、扉を蹴り飛ばすだけだ」
『扉を? 何で?』
「多分、犯人は君達を庇い続ける太陽の行動に着目するだろう。だけど、太陽の後ろは簡単には抜けられない。何を武器にしているかは判らないけれど、拳銃は使用していないようだね。そう考えると、犯人が、君達という存在を武器にしつつ太陽に攻撃する方法は一つしかない」
『判った。こっちに向かっての突進だね』
「そう。だからそれに合わせて、ドアを蹴破るんだ。本当はタイミング良くドアを開けて相手の勢いを利用して突っ込ませ、怯んでいる間に逃げるのがベターなんだけど、三人も中にいるからそれは狭すぎて使えない」
『分かった。太陽に何とかこちらを利用するように伝達するよ』
「犯人に気付かれないように気を付けて。それじゃあ、耳を澄ませて、そのタイミングを待ってくれ。邪魔になるから俺はもう電話切るよ」
『あ……ああ。分かった』
「それじゃあ。生きて戻ってこい」
『……うん』
強い決意が表れた声で、久側から電話が切れた。
切れたと同時に、一姫に大いなる焦燥感が襲いかかる。一年六組を全員殺害せしめた犯人である百乃葉良が、太陽達の前にいる。いくら太陽でも殺されてしまうのではないのか、という不安が心を過ぎる。本当は、今すぐにでも現場に向かいたかった。しかし、一姫は判っていた。行っても足手惑いになるだけ。さらにここを離れる訳にはいかない。
「……」
じっと、耐えるしかなかった。眼を瞑り、腕を組んで扉に寄り掛かる。
「い、一姫君……ちょっと、いい?」
そんな彼に、気まずそうに声を掛ける者が一人。
「ん、ああ、何だ、洋?」
「その……さっき、ひどく焦っていたけど、何かあったの?」
「……」
言うべきかどうか少し迷ったが、外に気軽に出ないように、また状況に対する注意を喚起するためにも、口にしておくべきだと判断し、一姫は告げる。
「……寝かけている奴を起こすのはまずいから、静かに聞いてくれ」
「う、うん」
「さっき一年六組が脱落したと言っていただろう。あれは、サッカー部のマネージャーの百乃葉良が、みんな殺したんだ」
「えっ? ということは……」
「犯人側の意図に沿った人物が、もう出てきたということだ」
一姫は一人目の生贄の辺りで徐々に現れるであろうと予想していたが、遥かに早く、そういった人物が出てきてしまった。
「……ちょっと待って。それって、相当まずいんじゃないの?」
「ああ。このまま彼女が暴れれば、ここが狙われる可能性が増える」
「え? それは何でなの? 逆に外に出回らなくて、安全になるんじゃないの?」
「安全? そんなわけあるか。お前は廊下を出回っている、俺達以外の誰かを見たことがあるか? さっき外に出た時も扉の鍵を開放してあるクラスを、お前は見掛けたか?」
「あ……集中はしてみていなかったけど、そんなの見ていない」
「なのに、一年六組は殲滅された。しかも外部からの侵入者によってだ。この意味が判るか?」
「それって……もう籠ることに意味はない、ということ?」
「意味がない訳ではないが、そう思う人もいるってことだ」
待っていても殺される。閉ざしていても、こじ開けられる。
それならば、どうすれば彼女は止められるのだろう。だが、止めようにも、相手は一クラスの人数を殺し尽くした相手。並大抵では止まらない上に、恐らくは躊躇もないため、物理的にも、精神的にも止めさせることは難しいと推察出来る。
そう考えると、彼女を止める方法は一つしかない。
「あと、この馬鹿げた状況を早く、この【ゲーム】に乗って、正式な方法で終わらせようとする者が現れるだろう。そうすると、俺達がピンチになるってことだ」
「そういうまずさもあるんだね。単に人を殺せる生徒が現れたのが問題だと思ったよ」
「まあ、それで彼女が止まるとは限らないけれどね。例えば私怨で暴走しているとか、犯人であるとかであったら」
もっとも、後者はないだろうと一姫は踏んでいたが、それを敢えて口にはしない。
「どっちにしろ、この教室に来た時の対策は立てておいた方がいいな」
「みんなに伝える?」
「いや、無駄に恐怖感を与える必要はない。――お前みたいにな」
「あっ」
一姫に指された足を見て、洋はバツが悪そうに顔を引きつかせる。顔だけではなく、足が引きつったように震えている。
「座ってもいいんだぞ」
「い、いやいいよ。ま、周りに気が付かれるから」
「まあ、立ちっ放しも辛いしな」
一姫が率先して座り込む。それを見て洋も続く。
「すまんな。お前にも伝えるべきではなかったのかもしれない」
「それは……僕がビビリの弱い人間、ってことを言っているの?」
「いいや。あいつらが強すぎて、普通の人間の反応を失念していた」
太陽。未来。久。
三人とも怖がる素振りを全く見せず、教室の外へも平然とした顔で出て行っている。この三人はきちんと、状況に対する恐怖を理解した上でこの態度を取っている。それはとても凄いことであり、普通ではない。恐怖を押し殺すのはとても難しいことであり、洋のように口では平静を装えても、身体が言うこと聞かないものである。
「お前が弱い人間であるとは決して思わない。現に最初と比べて泣き言を言わなくなったしな」
「さ、最初はちょっと混乱しちゃって……ごめんね」
「それが普通の反応だ。というよりも、今でも泣き言を垂らす人が多々存在するのが、本来の普通のクラスなんだけどな」
「うん。だけどみんな、比較的リラックスしているよね。共有出来る大きなテレビがあるから意識をそちらに向けているということが理由かもしれないけど、泣いている人はいないし、きちんと寝ている人も出てきているね」
「それはいいことだ」
それが、あの三人が恐怖を態度に表わさない理由でもあった。先頭に立って行動している三人は、自分の行動如何でクラスの人々に大きな影響を与えるということを理解していた。リーダーになった太陽は本能で理解し、ひょんなことから一姫を庇って目立ってしまった久と未来も、瞬時に状況からそう判断していたであろう。もっとも、それを理解したからといって実行出来るのは尋常ではないが。
「みんな一姫君達のおかげだよ。ありがとう」
「達?」
「うん。一姫君に太陽君、八木さんに五島さん。みんなが笑っていたから、僕達は心を大きく乱さずに、こうして落ち着いていられるんだよ」
「一人だけ違うな」
「え?」
「俺は笑っていない」
一姫は淡々とした表情で言葉を紡ぐ。
「俺はお前らを安心させるための表情は何一つしていないぞ」
「いやいや、一姫君の落ち着いている態度があるからこそ、僕達も落ち着いていられるんだよ。笑っていなくても、一姫君の存在は大きいよ」
「落ち着いているんじゃない。淡白なだけだ」
「一姫君は、自分を卑下するよね」
「卑下ではない。捻くれているだけだ。いわゆるツンデレってやつだよ」
「使い方間違っていると思うよ。……あ、これも場を和ますための冗談だね」
「いや、素だ」
首を振りながら、一姫は立ち上がる。
「それよりも、テレビ組からの情報はどうなっている?」
「あ、うんとね、新展開があったよ」
「新展開?」
「テレビじゃないけどね。ほら、窓際に行きなよ」
洋に連れられ、先程からずっといた廊下側から反対方向の窓側へと足を運ぶ。外は相変わらずマスコミが取り囲んでいたが侵入者は誰もおらず、校門の前で立ち止まっていた。
「これのどこに新展開があるんだ?」
「ほら。あの真ん中のとこ」
「真ん中?」
「耳を澄ませてみて」
他のクラスの阿鼻叫喚を耳にしないように窓は完全閉鎖していたため、音声もほとんど聞こえなかったのだが、窓に耳を付き当てる必要もなく、何事か外から聞こえてきた。
『君の目的はなんだ。教えてくれたまえ』
「あれは……交渉人か?」
視線の先、集団の真ん中には、拡声器を片手に持ってパトカーの上に乗った刑事であろう若い人物が何やら叫んでいた。
「いつからあいつ出てきた?」
「ついさっきだよ」
「ほう」
一瞥して、一姫は廊下の方へと戻っていく。
「え? それだけ?」
「それだけだ。何を期待していた?」
「だって、交渉人の人が現れたんだよ。新しい展開に……」
「なるわけがない。外で吠えているだけだからな」
一姫は冷たく言い放つ。
「どれだけ訊ねても、犯人側が答えるわけがない。答えるのは、窓からキャンキャン吠える被害者だけだ。それも受け答えなどせずに、助けを求める声だけだろうしな」
「そうかなあ……交渉人っていうんだから、何か切り開いてくれると思うよ。プロだし」
「プロでも猫を説得出来ないだろ」
「え? それはそうだけど……どういうこと?」
「相手から言葉が返ってこないと成立しない、ってことだ」
犯人側からのアクションはないだろう。何故なら、交渉することなど何もないのだから。
加えて犯人は、メインは生徒である、と述べている。
つまりは、外部の人間を入れるつもりは全くないということ。
「洋。この状況は俺達の手でなんとかしなくちゃいけないんだよ。外部からの情報は入れるが、外部の助けは期待するな」
「う、うん……」
頷くが、不満そうに不安そうな顔をする洋。一姫はその姿に背を向け、再び廊下側の扉の近くまで戻る。そして壁に寄り掛かりながら短く息を一つ吐く。
太陽達ならこんな簡単なこと分かってくれるのに――と、言葉を零しそうになって口を急いで閉じる。あまりにも自分勝手なことであり、そもそも、太陽達なら判ってもらえるなどと考えること自体が、自分が相当太陽達に依存しているということであった。
「……そういえば、遅いな、あいつら」
誰にも聞こえないような小さな声で一姫は呟き、時計を確認する。久との電話が切れてから結構な時間が経っている気がしたが、数分も経っていなかった。その間に彼女達から連絡がないのは心配ごとではあるが、新しく放送も掛かっていないという薄い根拠から死んでいないだろうと一姫は考えている。それよりも、太陽と久が二人いて、あっけなくやられるわけがないと思っていることの方が要因としては大きかった。
「……そうだよ。あいつら二人揃って外にいるんだった……」
安心要素ではなく、懸念事項。太陽と久の二人が合わさると何をするか判らない。その緩衝材として一姫がいたのだが、今はそこに彼はいない。
(まさか、もう暴れて手がつけられなくなっていて、殺人犯も逆に殺して……なんて、な)
さすがにそんな台詞は、事実と内容が全く合っていないうえに不謹慎極まりないことなので実際には口にはしなかったが。しかしそういう冗談を頭に浮かべていないと落ち着けないほど、一姫の心中は穏やかではなかった。実際、彼らは殺人犯と向かい合っているのだ。いくら大丈夫だと思っていても、やはり不安になる。ちゃんと逃げているだろうか、と。
(それはないな。……いや、あるか)
否定してから、その否定に自ら異を唱える。
一姫はいないが、二人の傍には彼女がいる。
五島未来。
彼女は、悪い言い方ではあるが二人の足を引っ張る存在である。だからこそ、二人を抑制する役割を自然と担ってくれている。彼女がいる限り、二人は無茶出来ず、行動を制限される。
だから今、一番困ることは――
「―― 一姫君、開けてください!」
一姫は現実を疑った。困ることを想定した瞬間に、それが本当になったのだ。自分は想像を現実にする能力を持っているのか、などという冗談を頭に浮かべる。それは冗談でなくては困る。
もっとも、既に困っている状況に遭遇しているのだが。
一姫が解錠すると、目の前にノートパソコンを抱いている少女が、肩で息をしていた。先程の声に視線を向けていた人々も、安心してテレビへと視線を戻す。
「つ、疲れました……」
「……やっぱり一人だよね?」
「はい?」
その少女――五島未来が、眼を丸くする。
「一人って、一体何のことでしょう?」
「太陽と久は?」
「久ちゃんは、マネージャーさんを足止めしていて、太陽君は、私を教室の前まで引っ張ってくれた後、久ちゃんの方へ」
「……想像通りか」
溜め息をつきつつ、一姫は後ろ手で鍵を施錠する。そんな一姫の様子に首を傾げる未来。
「何か、まずいことでもあったのですか?」
「あったというか、ある。しかも、現在進行形で進んでいる」
一姫は額に右手を当て、溜め息を吐くと同時に言葉を落とすという妙技を披露する。
「五島だけがいれば、太陽と久は無茶をしないだろう。君を危ない目に合わせないようにね。現に太陽は、ここまで君と共に逃げているし」
「そう、ですか……」
「だからお願いだ、五島。――もう一度、危ない目にあってきてくれないか?」
「え?」
「ごめん。言い方が悪かった。だが、太陽達を逃がすために、もう一度その現場に行ってくれないか? そして、二人を連れてここに逃げ――」
「嫌です」
はっきりと彼女は断った。
「……まあ、確かに、マネージャーのいる場所に再び戻れというのは酷だな」
「違います。私は、行くのが怖いから嫌と言っている訳ではありません」
これまた、彼女は否定する。
「なら、どうしてだ?」
「二人の足手惑いになるのが、嫌だからです」
未来は悲しそうに眼を伏せる。
「私、以前から思っていたのです。何も力も持たないサブキャラが、主人公の元に駆け付けると、主人公がその対象を守る力で、敵を圧倒するというお話……あれは、おかしいことではないでしょうか?」
唐突に彼女はそう訊ねる。
「……どうして?」
「要するに、主人公は本気を出した、ということでしょう。そのサブキャラ……ヒロインが多いですが、その人物が瀕死になる、もしくは声を掛けるだけでパワーアップしますよね? そうなると、一番最初から本気ならば、ヒロインは無駄なことをしなくて済むと思いませんか?」
「……まあ、空想の世界だからな」
「空想です。だから、それと現実を混同してはいけないです」
未来は完全に座り込んで、その場を動くつもりはないという意思を見せる。
「戦いの場に役に立たない人物がいれば、足を引っ張るだけです。パワーアップするなんてことはありません。私は自分をヒロインだとは思っていませんが、役に立たない人物だと自覚しています」
「いや、悪い言い方だけど……それだからこそ、君が傍にいると二人は力を発揮出来るんだよ」
「足手惑いは、逃げる時もそうです。現に久ちゃんはその場に残りました。私を逃がすために」
「……」
「そもそもですが、私が行くことで二人は逃亡を選んでくれる、と一姫君は思っていますよね?」
「……ああ。その通りだ」
「それは有り得ません」
ゆっくりと首を振る未来。
「一姫君も判っているでしょう。太陽君と久ちゃんの性格を」
「知っているからこそ、逃げはしないと思っている。君がいなければ」
「私がいても、どちらかは逃げませんよ。先程のように」
事実からの論拠。
「二人はマネージャーを許しません。だから拘束しようとするでしょう。他の人に被害を与えないために」
「そう言われれば……首を縦に動かすしかないな」
「そんな二人の頭に『逃亡』の二文字はないでしょう。ならば、私が行く意味はありますか?」
「……」
「私が行くことでメリットがありますか? パワーアップしますか? 隠された力が覚醒しますか? 二人の……」
そこで言葉が詰まらせる。
「二人の……助けに、なりますか?」
「ならないな」
一姫は、至極あっさりと。
「俺が間違っていた。君が行く意味はない」
自分の非を認めた。
同時に、それは残酷な言葉であった。
面と向かって、役に立たないと言っている。
先程、未来がした話。あれで言いたかったことは、次のこと。
思い上がるな。お前のおかげじゃない。お前の所為で、弱くなる。
来るな。弱点が来るな。余計な手間を増やすな。余計なことを考えさせるな。
本当にその人のことを思っているなら、何もするな。
応援は耳障り。
実行は目障り。
そんな、嫌なことをするお前なんか――嫌うぞ。
「ですよね。だから私は行きたくない……足手惑いになりたくないのです」
嫌われたくない。
未来の眼からは、そんな気持ちがひしひしと一姫に伝わってきた。
彼女は賢い。自分の立場を意識し、自分の出来ることを把握し、自分の無能さを理解している。だからこそ彼女は、下唇を噛み締めているのだ。
「……私にも二人みたいに力があれば、同じことをします。したいです。一緒にいるだけでいいなんて言葉はただの戯言で、二人の優しさです。それに付け上がってはいけないです。私に、二人の手伝いは出来ない。出来るのは……邪魔をしないだけ。ただ、それだけです」
「それは……俺も同じだ」
一姫は眉を顰める。
「一姫君は違いますよ。一姫君には頭脳があります。だからその場に行っても、自分の力で切り抜けるでしょう。二人も、一姫君なら庇わなくても大丈夫だと考えると思います」
「それは買い被りすぎじゃないか?」
「一姫君がそう思っていても、みんなはそうは思いません。……いえ、私の中だけの考えなので断定するのは間違っており申し訳ありませんが、でも少なくとも私は、一姫君ならば一人で何とか出来る、してしまうと思っています」
「俺は五島も出来ると思うけどな。頭いいし」
「嘘をつかないで下さい。先程、助けにならないと言っていたじゃないですか」
「……そうだったな」
未来は笑んで。
一姫は笑まなかった。
「だが、五島なら一人で何とか出来るだろうと思っていることは事実だ」
「どうしてそう思えるのですか?」
「口頭だけで状況を推察しているんだけど……五島。トイレの中で何をしていた?」
「何をって言われましても、何もしませんでしたよ」
「そう。何もしなかった。何も出来なかったではなく、何もしなかった」
「……それのどこに違いがあるのですか?」
「それこそが、君が賢いと証明している」
なあ、と一姫は問う。
「どうして、飛び出さなかったんだ?」
「それは、太陽君の邪魔になるからです」
「太陽が、【殺人者(マネージャー)】と対峙しているのに?」
「……」
未来は口を閉ざして、否定の言葉を口にしない。思考するように視線を少し逸らしているが、一姫は構わず続ける。
「五島は賢い。だから、声を押し殺して扉の中で待機した。あの場面では久の行動が間違っている。実際にその場にいた訳ではないから判らないけれど、恐らく、相手はきっと綺麗な服ではなくて、特殊な匂いでも纏っていたと思う」
一クラスを殲滅させているのだから。
「確かに、結構鼻に付きました。私の嗅覚が犬のように鋭かっただけかもしれませんが」
「面白い冗談だな」
「……一姫君」
未来は思いつめた表情で、一姫の眼をじっと見る。
「何だ?」
「一姫君が考えていること、それは……」
そこで一つ言葉が詰まったように間を開け、まっすぐな眼で彼女はこう告げる。
「真逆、ですよ」
「そうか」
一姫は短く息を吐いて首を横に振る。
「ならば、君は太陽のことを嫌いだということになるぞ」
「えっ?」
「……まあ、予測で物を言っているけどな」
小さくそう言葉を落として、一姫は周囲を確認し、こちらに耳を傾けている者がいないことを再度確認すると、未来にしか聞こえないような声で話す。
「五島。君が懸念していることは、少し前の――あの銃の時の俺との言い合いの話だな?」
「ええ」
難しい顔で未来は答える。
「それと、先程の一姫君の指摘を合わせると……ある結論に至りますよね?」
銃の際のやり取り。
『君は太陽のためなら、誰だって撃つことが出来る。……いや、表現が駄目だな。誰であろうとためらいなく撃つからな』
この質問に対し彼女は肯定し、こうも言った。
『そうですね。太陽君が撃たれるということになれば、周りを考えずに銃を撃つでしょうね。もしかすると……それ以上の行動をするかもしれません』
その言葉に反し、彼女は考えた。考えて、静止していた。
「あの時の君の言葉は嘘だったということだ」
「……はい。その通りです」
「それで?」
「え?」
「だから、それがどうした?」
一姫の言葉に、未来は眼を見開く。
「どうしたのって……私の言葉が嘘だった訳ですよ。太陽君がピンチになっても、周りを考えずになんてことはしないってことですよ」
「それがどうした? 周りのことを考える方が正しいのだから、別に責め立てることはない」
「でも……」
「そもそも、だ」
一度言葉を区切り、一姫は首を小さく振る。
「君が嘘を付いていないと、俺が思っていなかったと思うのか?」
一姫は自信たっぷりではなく、いつも通りの淡々とした調子で告げる。
「俺は君がそこまで恋愛馬鹿だとは思っていない。いや、その程度の恋愛馬鹿だとは思っていない、と言った方が言葉は悪いが正しいな」
「確かに言葉は悪いですね。それに意味もよく判りません」
困惑を顔に貼り付けながら、未来は訊ねる。
「今までの要素のどこに、私が太陽君に本気で好意を抱いているとお思いなのですか?」
「太陽のことを考えているからに決まっている」
そこから、一姫は語り始める。。
「普通の人ならば、好きという行為は、自分のためというのが多くなるだろう。その人のため、と言いつつもね。要するに自己満足の世界。私が助けてあげるから、相手は助かる。押し付けがましい、勝手な行動。それがいい人もいるが、時として相手の負担になることがある。いや、なっていることの方が多いだろうな」
例を出すと、と一姫は続ける。
「よくある学園物の弁当。好意を持っているから作ってくるのだけれど主人公は全く気がつかない、なんてことは現実ではありえないことだよな。だけどあれは、主人公は地味に回避しているんだ。弁当を作成する人間の重さを。鈍感ってのは主人公にとって基本スキルらしいけど、それは意味が違う。相手から弁当を受け取るのは社交辞令。そこで鈍感の振りをするのがスキル。鈍感がスキルではない。そこで自分のことが好きなのかと訊ねれば恋人などに発展するだろうが、その人物が好きでも嫌いでもない人物であった場合は聞くわけにはいかない。だから、鈍感の振り。嫌いな人物ならば弁当自体を断ればいい。たかが昼食。抜いても問題ないし、我慢出来ないのならば自分で何とかすればいい。そして相手のために弁当を作るような人は、相手に与えることを想像して犬にでも与えて満足していればいい」
「……ひどいことを言いますね」
「ああ、最後のは確かに犬に失礼……いや、話が逸れたね」
小さく頷いて、一姫はまとめる。
「要するに、相手が必要としていないのに、必要とするものにしようとする。これが、相手のことを考えているような、自己満足のための好き、だ。当然、さっき例のアレのことで俺がした話も同じだ。あれも太陽のためと言いつつ、太陽の意思に反している」
「……久ちゃんにも、そう説教されましたね」
「だが、五島がその程度、把握していないで発言しているとは思っていない。俺達がいない間に教室のみんなを、適切な説明と判断によって纏めてくれた程に賢いからな。恋は盲目なんて言葉があるが、周りが見えないことの言い訳として恋を用いているだけの話だ」
「突飛した考えですね」
「言っただろ。恋は盲目って考えも、自己満足のための好きなんだよ。というよりも、好きということを自己正当化の理由にする言葉だな。――まあ、色々言ったけど、結局言いたいことは、君はそういう人じゃない、ってことだ」
「そんなことは……」
「トイレでの出来事」
相変わらずの小さい声だが、はっきりと一姫は応えた。
「あの場面で太陽が一番生き残る確率が高い行動は、何もしないこと。つまり、君達の存在を悟られないことだ」
その点で、久の行動は失格であった。
「まあ、別の視点から物を言うと、自分が生き残るための方法であるとでも言えるのだけどな。そうなると、久を焚きつけて太陽と共に対峙させ、中には一人しかいなかったと錯覚させて、負けた時には逃げ出すのがベストなのだが、君はそれをしていないだろう?」
「それは……」
「ここで否定するメリットはないぞ。どうせ後で太陽と久に聞くからな。というよりも、君が生きて、かつ一人でここにいること自体が、その行動を起こしていない証拠なんだからな」
太陽と久が勝っていれば、一人で戻る必要はない。そして、息を切らせるように走ってくる必要はない。負けていれば、教室に戻ってくる必要はない。二人が死んでいるのならば、クラス全体が死亡する運命であるので、一人で逃げる方が得策である。もし二人が死んでおらず負傷しているだけなのならば、携帯電話で救援を呼ぶだろう。その方が一人でここまで戻ってくるよりも、負傷した二人を含めた全員が生存する可能性が高い。
「……その通りです」
全く悪いことではないのに、未来は降参だというように両手を挙げる。
「全て一姫君の言う通りです。そこまで言い当てられると、私の考えていることが全部、一姫君の脳内に伝わっているような気がしてきます。もしかすると一姫君、サイコメトラーですか?」
「そんな二次設定はないよ。俺はただ、推察しているだけ」
「その推察が恐ろしいほど一致しているのですから、驚いているのです。……いいえ、逆ですね。驚くべきほどに一致しているのですから、恐ろしいのです」
「俺に言わせると、五島の状況察知能力も恐ろしいよ。久にアレを渡した時の言動とか」
「……一姫君も引っ掛かってくれたと思っていたのですけれどね。私にアレを持たせない理由を述べたことから」
「むしろ、それを述べさせることが、君の目的だったのだろう?」
「ええ。認識しておくべきでしたから」
「久が、な」
一姫の言葉に未来は頷く。
「ちょうど困っていたんだよな、俺も」
息を吐いて間を置いてから一姫は語る。
「実は、五島に言ったこと全てが、久に対して言いたかったことだった。久は絶対に使うなと言っても、知り合いが負傷でもしたら頭から全部吹き飛ぶ可能性が大きかったからな」
「動揺して、ですよね」
「だが、あいつは時々俺の話を聞かないんだよ。ぼーっとして」
「あー、えっと……」
未来が曖昧な言葉を発する。実は、それは一姫限定の態度なのだが、当の本人は気が付いていないような態度を取っているので、彼女はどういう反応を返せばよいか戸惑っていた。それに拍車を掛けたのが、先程の主人公の話。鈍感の振りをしているのか、本当に鈍感なのか判断が付かなくなっていた。そのどちらかによって、返す言葉は百八十度違う。というよりも、一姫の言葉の意味が五百四十度――一周回ってさらに逆になってしまうので、尚更返しにくい。
そんな未来の困惑に構わず、一姫は語る。
「だから、俺はきちんとあいつが話を聞いて、かつ、認識するような機会がほしかったんだ。で、五島がきっかけを作ってくれた」
「きっかけなんて、一姫君ならいくらでも作り出せたと思うのですが?」
「実際、何も思いついていなかった。というよりも、考えたことは全部誰かの手を借りなくてはならないものだったから、実質可能なものではなかったんだ」
「どうしてですか?」
「例のアレのことは久の他に太陽と五島の二人しか知らない。で、太陽は頭では判るが理屈で判らない奴だし、かといって五島にだけ密かに話そうとして、太陽にあらぬ誤解を受けたら五島に大きく迷惑が掛かる。だから使えなかった」
「その時は太陽君に素直に話せばいいじゃないですか」
「……素直に話せないのが、俺の能力だ」
「え?」
「なんてな。すまない。子供っぽいことを言ったな。冗談のつもりだったのだが、恥ずかしいから忘れてくれ」
「は、はい……」
顔色一つ変えずに答える一姫。故に、どの言葉が真実か判らず、未来は混乱した。
「……恥ずかしい、冗談、ってのが本当の言葉だよ」
未来のことを見透かしたような言葉をぽつりと口にして、一姫は頭を小さく振る。
「とにかく、話を戻そうか。俺は最初から五島のことは見抜いていた」
「戻し過ぎのような気がしますが……そうですね。私の小さな企みなど、一姫君の掌の上にある要素の一つに過ぎなかったのですからね」
「俺が悪者みたいだな。まあ、利用したし、悪者で違いはないが……そうだ。せっかくだからもっと悪者らしいことを言おうか?」
肩を竦めて、答えを待たずに一姫は唇を動かす。
「俺達の中で、体力面で一番弱いのは五島。精神面で一番弱いのは――久だ」
「……概ね、というよりも全て、同意いたします」
その発言を受けた未来は、首を縦に動かした。
「ただ弁明はさせてください。久ちゃんが弱い、というわけではないのですよ、久ちゃんの精神は常人よりも強いです。だけど……人間らしすぎます」
「それだと、俺らが人間じゃないみたいな言い方だな」
「普通の人間ではないでしょう? 精神は」
未来は平然と、笑顔でそう述べる。
「私と一姫君は冷静に考え過ぎで、太陽君は真っ当過ぎて、どちらも常人の域を脱しています」
「その通り過ぎて、返す言葉もないな」
「あ、そういえば知っていますか、一姫君。私って、とある天才なんですよ」
「いきなり何だ?」
ふふふ、と含み笑いをして、未来は形の良い唇を動かす。
「私は誤魔化しの達人なんです」
「ほう、それはそれは。どの辺がそうなんだ?」
「そうですね。例えば……」
彼女はきょろきょろと見渡すと、廊下の扉を指差す。
「太陽君と久ちゃんが帰ってこないかもしれない、という恐怖を誤魔化しています」
「それは……」
誤魔化しではない。――そう一姫が言おうとした時だった。
コンコンコン、と扉の外から音。
同時に声。
「あー、何だ? あたしも合言葉を言わなきゃならないのか? しっかし、設定したあれは言うのもなんだし……」
聞き覚えのある声に、一姫は安心感を胸に未来に軽口を向ける。
「ねえ、五島には別な能力があるんじゃないか? 不安を非現実にする能力」
「能力者バトルなんてものがあったら、最強の能力ですね」
「最弱であり最強の能力、ってな所だな」
「ちょっとちょっと。未来に姫君の声が聞こえるけど! 二人は抱き合ってないよね!」
「寝ている人がいるから静かにしてくれないか」
「ね、寝ているだってっ?」
外の声に大きな動揺が現れる。
「……一姫君、本当に判っていないのですか?」
「何が?」
「いえ……何でもないです」
呆れ顔で一姫を見ながら、未来は扉に手を掛ける。
その向こうには、頬を膨らませた久が、腕を組んで仁王立ちしていた。
「一姫君には指一本触れていませんから大丈夫ですよ、久ちゃん」
「本当か?」
「ええ。私にメリットがありませんから。久ちゃんならともかく」
「な、何で私が!」
「ないんですか?」
「う、それは……」
困惑しながら、久は後ろ手で扉を閉めた。
「え?」
「どうしたの?」
眼を丸くする久に、思わず声を上げた未来に代わって、一姫が訊ねる。
「なあ、久」
「ん?」
「太陽はどうした?」
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