第32話 転生悪役令嬢の新たな出会い
次の日。
マナーの授業が本格的に始まる前に、座学として教本の中身を簡単にさらっておこうと、パートナー不在で短縮されだダンスレッスンの後の空いた時間に書庫にやって来ていた、私とアルリック。
ーそういえば、アレはどうなっているのかしら。
書庫の中央に設置されたテーブルの席についた私は、目の前に置かれた新しい教本「礼儀作法の基本」を見て唐突に思い出した。
「アルリック。あなたに任せたあの本はどうなったのかしら」
そのアルリックが先生となって、私の隣に腰かけようとして動きが止まった。
「あの本、ですか」
「そう。あなたに表紙を任せたあの本よ」
カタンと小さな音を立てて座ったアルリックは、こちらは指導用にと同じ本を手元において表紙を開いた。
「いくつか図案は出来ています。ですが、あくまでも案ですので、表紙にできるかどうかを専門の職人に判断してもらうために、現在は店主に預けています」
「あら。残念」
からかうように言えば、ちらりと冷ややかな眼差しを向けてくる。
「お嬢様には、出来上がりを見ていただく予定でしたが、途中でもよろしいのでしょうか」
「…そうだったわね。じゃあ、もう少し待つ事にするわ。………でも、あの店主には会いたいわね」
「では、呼びましょう」
「何言ってるの。嫌よ。店に行くわ」
お出かけしたいのよ。
目の前にいる私が主ではなかったら、ため息をついていたかもしれない、呆れたようなやれやれとしたような感情を一瞬瞳に浮かべたアルリックは、スッと目を閉じてそれを隠した。
「……畏まりました。予定を見直し、先触れを出します」
そして、開いた瞳は完璧と執事に戻っている。
「しかし、まずは、目の前の勉強をしましょう。お嬢様。本を開いて下さい」
あら、先生モードになっちゃった。相変わらず、切り替えは早いわね。
そんなアルリックに感心しつつ、久しぶりにお出かけする事と、あの店主に会える楽しみが沸いてきて、私は素直に本を開いたのだった。
「イラッシャイマセ。オキャクサマ」
再び訪れた本屋の扉が開かれ、そこから顔をのぞかせた女の姿に、前回と同じようにアルリックと連れだって扉の前に待っていた私の動きが止まってしまった。
白い髪に赤い瞳。10代前半くらいの、メイド服美少女がそこにいた。
彼女の髪と瞳の色彩は、それほど珍しいものではない。私が思わず目を奪われてしまったのは、さらさらとしたショートヘアーの上部から伸びる白い長い耳。
それは、兎人の特徴だった。
初めて、獣人を見たわ。
「…ム?コトバ、チガイマシタカ?…モシカシテ、オキャクサマデナイ?」
突然その場にしゃがんで、私と視線を合わせてそう言うと、何故かじっと見つめてくる少女。
アルリックと同じ無表情なのだけれど、彼女はどちらかといえば、顔がそう動かないといった感じに見えた。
なぜなら、それを補うように瞳がくるくる動いて、感情を出しているからだ。
そして今、その瞳は「ど、どうしたらいいんだろう」と言っている感じがする。
その可愛らしさにふっと笑みを浮かべてしまいながら、私は答えた。
「いいえ。違ってはいないわ。店主が出てくると思っていたから、少し驚いただけよ」
少女は目をパチパチさせた。
「…オドロカセタ?モウシワケナイ。アルジ、イマ、ベツノオキャクサマ、オハナシシテイマス。…ナカへドウゾ」
あからさまにほっとした感情を瞳に浮かべて、立ち上がった少女は、当然のように私に手を伸ばした。
それはおそらく、小さい子どもに対する自然な事だったのだろう。
だが、相手によっては最悪な対応だ。だから、私は首を振って、それを断る。
「……?」
「大変優しい心遣いだけれど、私には無用だわ。アルリックがいるしね」
不思議そうな目をした少女に私は理由を説明した。
そして、傍らのアルリックを見上げれば、心得たとばかりに手が差しのべられ、当然のように私はその手をとった。
「それに相手によっては無礼ととられるでしょう。その辺りは、店主に聞きなさい。…では、中へ入らせてもらうわ」
「……………」
少女は一瞬躊躇った後に頷いて、ようやく中へと入れてくれた。
「アルジ。オキャクサマガ、イラッシャイマシタ」
店内は前回来たときとそれほど変わってはいなかった。
先導されて店の奥に進めば、数冊の本をわきに抱えた青年と向き合って立っている店主の姿があった。
少女の声に、青年に一言つげて、視線を私に向けた店主は柔らかい笑みを浮かべた。
「ーいらっしゃいませ、お嬢様。アルリックさん」
「知らせより早く来てしまったわ。……他にお客人がいらっしゃっているのに、ごめんなさいね」
後半は、目の前の青年に向けて言えば、背中を向けていた彼はこちらを振り返った。
「いえ…。こちらはお願いしていた品を受け取りに来ただけですし、もうおいとましますので」
青年は、振り返った先の私とアルリックの姿に一瞬目を見張り、丁寧に頭を下げた。
青年の服装はどこかの侍従服のような簡素なもので、私やアルリックの装いに己より身分が上であると察したのだろう。
素早い判断と慎みある振る舞いに好感が持てた。
そんな彼をついつい見ていると、ある事に気づいた。
ーあら?この人、何だか見覚えがあるわ?
コテンと首を傾げてアルリックを見れば、私の言いたいことを察して、口を開いた。
「失礼ながら、もしや、あなたはガラン子爵家の方でしょうか」
ぴく、と肩を震わせてから、青年は頭を上げた。
「はい。私は、ガラン子爵邸に勤めます、キリルと申します」
あ。
思い出したわ。
あの事件の時に、セリーヌ嬢を抱えて馬車まで運んでいた人じゃないの。
「まあ。やっぱり、見たことがあると思ったら、ガラン子爵家の方なの」
私が、思わず声をあげると、不思議そうな顔をこちらに向けた。
「不勉強で申し訳ございません。お嬢様は、私をご存知でいらっしゃいましたか」
どこかで会っていただろうか。そもそも、このお嬢様は誰なんだろうか。そう言った目をしている。
「お嬢様」
名乗り会う前に口を開いた私を、アルリックが嗜めるように一瞥した後、キリルに向かって正体を明かした。
「キリル殿。こちらは、ダンゼルク公爵令嬢、ルゼナ様でございます。私は専属執事、アルリックと申します」
「それは…っ!大変失礼いたしました!お嬢様!……執事殿!」
キリル青年は目を丸くし、慌てたように再び頭を下げた。
「頭を上げてちょうだい。そもそも、先程から礼を欠いていたのはこちらの方だわ、許して下さる?」
「許すなど、とても……いえ、はい!」
根は素直なのだろう。おろおろとしたかと思えば、状況と立場を思いだしたかのように直立した。
もうちょっと話して見たいわね
「…先日、そちらの侍女が体調を崩したと聞いているわ。もう大丈夫なのかしら」
「え?あ……」
誰と口にしなくてもピンと来たのだろう。
口を開きかけて、私たちのやり取りを傍らで静かに見ていた店主の存在に気付き、口をつぐんでしまった。
「……お嬢様。こちらでお話の続きをどうぞ」
店主が気を効かせて、以前本を読みながら座っていたソファーを手で示す。そこで、うさ耳メイドがもう1つ、ソファーと対面するように椅子を置いていた。
「キリク殿。お時間はあるでしょうか。こちらの勝手で申し訳ございませんが、少し、お嬢様の話相手になって頂けませんでしょうか」
「え。あ、…時間はありますが…、お嬢様の用事に差し障りはございませんか」
「そうね。こちらから来たのに、あなたを待たせる事になってしまうわね」
一瞬迷ったが、店主はにっこり笑って答えてくれた。
「いえ。お客様同士がここで偶然ここで会われる事も、その際、少しお話される事もままある事でございます。このような店でよろしければ、どうぞお使い下さいませ」
「それは有難いのだけれど、あなたはその間の時間を無駄にさせてしまうわ」
話の場に店主はいて欲しくはないと、言外に含めた事に気付きながら、彼は小さく頭を下げた。
「…お優しいお嬢様。お気遣い感謝いたします。ですが、お気になさらず。私はその間失礼ながらやるべき作業をさせて頂きます」
「あら」
じゃあ、余計に話はやめてさっさと用事を済ませるべきなのかしら。
そう、言い出しかけたところで、店主は静かに人差し指を立てて己の唇に押し当てた。そして、愉快そうに瞳を瞬かせる。
「新しい品物の検品作業です。以前、お嬢様にはお話させて頂きましたね。……ですから、本当にお嬢様はお気になさらずに」
「まあ。………ふふふ」
その意味を知って、思わず笑ってしまう。
「そう…それは大事な作業でしたわね。では、場所をお借りします」
「はい。…お茶やお菓子をメイドに用意させます。キリルさまも、どうぞ、お召し上がり下さいませ」
「は…。有り難く頂戴いたします」
柔らかい笑顔のまま店主は下がり、私達とキリル、そしてうさ耳メイドだけが残った。
「……デハ、オキャクサマガタ。オカケクダサイ。オチャノヨウイヲ、シテマイリマス」
相変わらず無表情なままの彼女に促され、私達はソファーに座ったのだった。
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