第5話 転生悪役令嬢の寝室で起きる嵐
……見慣れているが違和感のある天井だ。
大ケガをして3日目。
もちろん、私は自分の寝台の中。朝食後にシェームスの診察を受けたところだ。
「なるべく安静にして回復をまつ」という彼の指示に従って寝台の中央にちんまり納まり、隙間に風が入らぬよう上掛けを私の体に添ってトントンと叩きながら整えるメイドを受け入れながら、大人しく天井を見ているのである。
以前の私は、4歳の私より長い時を生きた。身近にあるのはこの部屋の天井なのに、馴染んでいるのは以前の私の部屋のものなのだ。
知らない天井って言ってみたかったな。
思わずくすりっと笑えば、その声が届いたのか寝台の診察道具を鞄に仕舞い終えたシェームスが振り返る。
「何か仰いましたか?お嬢様」
ううん、と首を振った。その時寝具を整え終ったタイミングで上掛けの下に隠されていた両腕を出してやったら、たちまち上掛けはまた乱れてしまい、メイドがぴくりと表情を変化させた。してやったとちょっと嬉しくなる。
そんな私の様子を見ていたシェームスは、何故か微笑んで寝台の傍らにある椅子に座った。
「もう少しお嬢様とお話ししたいので、私がついていますよ」
ちょいちょいと指で摘まんで上掛けを直し始めたシェームスの言葉に、腕を伸ばしかけたメイドは一瞬躊躇した後、一礼をして退室していく。
「…:お嬢様。退屈ですか」
「そうね」
そのまま無言。年を経てシワが寄り細くなったシェームスの手が調えていく様を見つめてしまう。
メイドのように完璧ではなく、粗方調えると上掛けの上に出ていた私の両手を重ねて、シェームスはその上から包むように己の手を重ねた。
宥めるように、ぽんぽんと手が動く。
「嬢ちゃん、驚いたじゃろう?」
シェームスの口調がおじいちゃんモードに変わる。
この部屋には私とシェームスしかいないと確信した上での事だ。これは、シェームスが私を雇われている公爵家の令嬢ではなく、私として見て話すよ、という合図でもある。
「驚いたって、どれの事?」
「それは……」
「アルリックの事?お父様の……アレ?」
ゆっくりとリズムを刻むように動いていたシェームスの手が手が止まる。
じんわりとシェームスの温もりと戸惑いが伝わってきた。
私は左手をひっくり返し、 右手をシェームスの手の下から脱出させ上に乗せて、逆にシェームスの手を包んだ。
そして、シェームスの問いに答える。
「驚いたのは、お父様の方よ」
そう、驚いた。
お父様の彼への信頼が、あれほど強かったとは思わなかった。そして、その信頼が損なわれた時、あれほど激しい気性を見せるとは。
アルリックの爆弾発言の後、部屋にいた者は全て凍ったように動けなかった。
さもありなん。
そもそもアルリックはダンゼルク家執事の一族の一人で、私に遣える前はお父様の執事だったらしい。
若くしてアルリックの父バルクから、【当主の専属執事】を受け継いでいた彼は、それほど完璧な男だったはずなのだ。
それでも私に遣える事になったのは、彼に落ち度があった訳ではなくて、私に【悪役令嬢】の芽が出始めたからだろう。
お父様は引退したバルクを呼び戻し、その芽を摘み取り正しく育つよう、期待と確信をもって彼に私を託したと思われる。
それなのに、アルリックはその信頼を裏切った。
あの発言の瞬間、私はちょっと怒っていた。
彼が何を考えて何をどうしたいのかは、私が直に聞きたかったのだ。聞いた上で、アルリックに直接何かをしたかったのだ。
こんなタイミングでぶちまけられたら、物事が私の手から離れてしまうだろう。
その事態を予想し、目覚めたばかりの体が動かぬ事にも段々腹立たしい気持ちが高まっていたのだが、次の瞬間、お父様の行動に頭が真っ白になった。
『き…さまぁっ!』
空気が揺らいで、大きな音が響いた。鈍い音に続いて、叩きつけられたような重い音。そして、何かが崩れて壊れる音。
『きゃああっ!』
『旦那さまっ!』
お母様の悲鳴が聞こえたと思ったら、側にいたはずのお父様がいない。
口を手で覆い青ざめた顔で見つめるお母様の視線を追えば、私が横たわる足の方向にお父様は移動していて背中を向けていた。
そして、足元にある何かに向かって激しく体を動かしている。
ドカッ!バシッ!
……これって、まさか……っ!
寝台にある程度高さがあるため、お父様の足元は見えないが、体の動きや振り上げられる拳に、何が起きているかははっきりとわかる。
お父様がアルリックを暴行している……っ!
予想外の事態に血の気が引いた。
ルゼナに甘過ぎる所があるが、常に優しく品がありゆったりとした雰囲気を身に纏っているお父様の激変は、完全に想定外だった。
それにルゼナも私も、ここまで誰かの激しい怒りと暴力を目の当たりにしたことはなく、混乱している。正直、逃げ出したい。
『旦那さま、いけませんっ!お止めください!』
シェームスの焦った声が、事態の不味さを物語っている。彼は駆け寄ってお父様を止めようと体に触れるが、呆気なく振り払われた。再度止めようとするも、迷うようにシェームスの手はお父様に近づいたり離れたりする。
無理もない。彼は医者ですでに老体なのだ。男盛りのお父様を躓かせる小石にもなれない。
『失礼致しますっ!旦那さま!?』
寝室の外に控えていたらしい中年男性が飛び込んでくる。バルクだった。彼もまた男盛りを少し過ぎているけれど、少なくともシェームスよりは、お父様を止める事が出来るかも知れない。
私もお母様もシェームスも、この事態がこれで少しは好転すると思っていた。
だが、それはあっさりと覆される。
『旦那さまっ!いかがなされたのですっ!とりあえず、お止め…』
『バルク…っ!貴様っ!貴様の息子がっ……!』
それどころか悪化した。駆け寄ったバルクは、私の目の前で振り返ったお父様に殴られたのだ。
怒りが治まらぬお父様。再度響くお母様の悲鳴。助っ人を呼びに部屋を出ようとする老人医者に、床に倒れる執事父子。そして、その様子を強制的に見せつけられている私。
私の寝室の状況はカオスだ。
………待って。これはいけない。アルリックは許されないけれど、一方的なこの展開駄目だ。
『だ……めっ!おと……ま。やめ、てっ!』
ようやく混乱から少しおさまって、お父様に話しかけようとすることが出来た私の声に、シェームスとお母様がはっとする。
がばっとお母様が目の前の光景を遮る様に私に覆い被さって、そっと抱き締めてきた。
『旦那さまっ!お嬢様の前ですよっ!』
『あなた。これ以上、ルゼナの前でそんな様を見せるのですかっ!』
愛娘の存在は、協力な鎮静剤となったようだ。
お母様に視界を遮られていたが、周りがふっと緩んだ様な雰囲気になったのを感じた。
一拍おいて、私はお母様にささやく。
『おと…ま。大じょ、ぶ?…お顔、みたい』
『ルゼナ』
お母様は、戸惑うように私の名を呼んだ。そして、目の前から身を起こしてくれた。
再びひらかれる視界の先、アルリックらに暴行をしていた場所にお父様はいなかった。が、視線を上げれば、側にいてくれていた。
『おと……』
激情の名残か。お父様の髪や服は乱れ、息もまだ整わなかった。顔色は少し青ざめ、やってしまったと反省していると同時に私の気持ちを探るような目をしていた。
そんな様子に目を細めれば、お父様は悲しい顔になる。
嵐はおさまったが、問題は何一つ解決していなかった。
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