第16話 転生悪役令嬢の後始末

「ぐっ!」


地面に落ちた音と、聞き逃してしまいそうなくらい小さなうめき声。何故か私の耳には何よりもはっきりと届いた。

お陰で体が動く。

真っ先にお母様を、そしてうめき声の持ち主であろうアルリックの様子を見ようと階段まで駆けつけた。


「お母様っ!…………アルリック!」


その階段下にはアルリックがお母様を抱きこんで仰向けに倒れている。お母様はその腕の中で何故か目を閉じてぐったりとしていた。


「奥様っ!」


ほぼ同時にシェームスも老体とは思えぬ動きで階段下まで駆けつけてきた。その姿を目にしたアルリックは大きく息をつき、腕を解いてシェームスにお母様を委ねる。

その時になってようやくシーラが東屋に到着した。私達の悲鳴と落とした茶器の音で異変があったのはわかっていたらしい。「奥様っ!」と声をあげたものの、お母様を体の上に乗せて仰向けに倒れているアルリックとその傍らに座ってお母様の手をとるシェームスを見て、己がなすべき事を考えたようだった。


「サラ。何をしているのです。屋敷に戻ってバルクどのに説明をし、人を寄越して貰いなさい。奥様をお運びします。ー緊急事態です。走ってお行きなさい!」

「は、はいっ!」


体を固まらせていた侍女サラは、指示をされた事でどこか安堵し屋敷へと駆けていった。

その間にもシェームスはお母様の体を素早く確認していた。そして、大きく息をつく。


「ふう……。奥様には、特に問題は無さそうじゃ。君、良くやったのう!」

「……ありがとうございます。ですが、それが役目ですので」


最後の方はアルリックに向けた言葉だ。声をかけられたアルリックは横たわったまま顔だけシェームスに向けて、棒読みで返す。シェームスははそんな彼に苦笑いをした。


「そうか。ではすまんが、人が来るまでそのままでいてくれんかの。わしらでは動かせぬでのう」

「……お嬢様、シーラ、それでよろしいでしょうか」


ここまで、階段上に立ち尽くしているしかなかった私は、一瞬何を確認されているのかわからなかった。しかし、その答えはシーラによって明かされる。


「アルリック、大丈夫です。奥様を庇っての体勢であるのはここにいた皆がわかっている事です。不埒な噂など奥様の為にさせませんよ」


あ、なるほど。

今のお母様とアルリックの体勢を見れば、ただ二人が抱き合って倒れているだけだ。想像を働かせればこれが不貞の姿と捉えられかねない。

お母様の名誉の為に、そんな事は許されない。


「…誰にも何も言わせないわ。それに、お母様を動かせそうなのはアルリックだけだけど、その状態から上手くお母様を動かせて?」

「……かしこまりました」


それからまもなくしてバルクと共にサラと数人の侍女、そして板の担架をもった下男達が駆けつけてきた。こちらに何かいうこともなく、シェームスにお母様の容態を確認したバルクの指示がとび、お母様は担架に乗せられる。ようやく仰向けの体勢から解放されたアルリックが上半身を起こしたところで、近寄ってきたバルクにぽんと頭に手を乗せられた。


「よくやった……」


執事ではなく、父としての言葉。それはとても小さくて多分私とアルリックにしか聞こえなかっただろう。しかし、バルクにしては珍しい。現にアルリックは驚いた顔をして己の父を見上げている。

だが、バルクは直ぐに執事の顔に戻って私を見た。


「お嬢様。それでは、奥様を屋敷に運びます」

「ええ。頼んだわよ」

「シーラ、シェームス殿、一緒に」

「わかった」

「はい。…サラ、後の片付けを頼むわよ。お嬢様、失礼致します」


3人は一礼して屋敷へと戻っていく。

残された侍女達は指示された通り、お茶会の片付けを始めようと動き出した。私にはそれを止めるつもりも邪魔するつもりもないから、階段を降りて道をあけた。侍女達は私の意図を察し、一礼して階段を上がっていく。

私は身を起こしたものの、まだ足を投げ出して座り込んでいるアルリックに近寄った。


「いつまでそうしているの?」

「……申し訳ございません」


アルリックは私に促され立ち上がろうとした途端、うっと顔を歪めてまた倒れてしまった。


「アルリック!?……何!?」


その様子に私は慌てて側に座り、彼の顔を見れば苦痛の表情を浮かべていた。身をよじり、左足の付け根に手を伸ばしている。


「え?足?」


その伸ばされた手の方へ視線を向ければ、右足は膝をたてているのに、左足は突っ張るように伸ばされたまま震えていた。


「痛めたの!?」


有り得る事だった。階段から落下したお母様を守る為に結構無茶をしたに違いない。しかも、抱えたお母様は女性としては軽い方だとは思うけれど、身につけるドレスや装飾品はそれなりにある。重りをもった状態で地面に叩きつけられたのだ。うまく体勢をとったとしても強い衝撃だっただろう。


「どこが痛いの?」


少し太ももに触るだけでもぴくりとひくつかせた。痛がらせたい訳ではない。だが、確認しなければ。

細心の注意をはらって左足を見る。そういえば、倒れた直後は足が階段の最後の段にかかっていた。考えられるのはそこか。

すっかり汚れてしまったパンツの裾を足首からそっとめくってみる。すると、脛が青黒くなっている。


仰向けに倒れたのに、脛に負担が?

ーもしかして、骨折?


「……お嬢様。大した事はありません。お離し下さい」

「え?」


いつの間にか涼しい顔に戻して見せたアルリックは、また上半身を起こしてこちらを見ていた。


「思っていた以上に痛めていたようです。無様な姿を見せてしまい申し訳ございません。……自分で立ちます」


アルリックはそっと腰の左側を浮かせた。立ち上がれるのかとつい見守ってしまったら、アルリックは左太ももの裏側に手を伸ばした。

そこには小石が太ももに食い込んでいた。その石の周りにはじんわりと滲んだ血のあとも。

アルリックは靴の中に入った小石を取り除くように、その食い込んでいる石を抜こうとしている。

私は咄嗟にその手を叩いた。


「お嬢様?」

「この……愚か者っ!」


私の大声が響き、侍女達の視線が集まる。何をいっているのかわからない、と言った表情のアルリックの頭をパシンっと叩いた。侍女達がきゃあと悲鳴をあげたがしるものか。


「医者でもないのに、余計な事はしないことね。そのまま無様な姿をさらしていなさい」


アルリックの反論を許さず、さて彼を運ばなくてはと顔をあげるとバルクがまた担架をもった下男を連れて戻って来ていた。


「……お嬢様。やはり、アルリックも負傷していましたか」

「流石、バルクね。よく気がついたわ」

「お嬢様が戻ってきませんし、アルリックの様子も変でしたから。では、担架に乗せますよ」

「いえ、私は……」

「なあに?貴方はバルクの心遣いを蹴るの?」


アルリックが己でまた立ち上がろうとするのを視線で止める。


「その状態で、自分で歩かれても逆に迷惑だわ。素直に担架に乗って、怪我を負うような己の情けなさを反省なさい」

「…アルリック、乗せるぞ」


バルクは下男達に指示してアルリックを担架に乗せる。私は手を止めてこちらを見ていた侍女達へと振り返ってにらんだ。


「何をしているの?」


侍女達ははっとし、慌てて片付けに戻る。また視線をアルリックの方へ戻すと、担架に乗せられたアルリックの側でバルクがこちらを見ていた。


「よろしければ、お嬢様も屋敷へお戻り下さい」

「ええ」


アルリックを先に行かせ、私とバルクは後についていくように歩き出した。

少し東屋から離れたところでバルクは私に囁いた。


「…ありがとうございます、お嬢様」

「何の事だかわからないわ。アルリックが愚かなのよ。バルクの気遣いを無にするような振る舞いをして」

「…そうですね」


バルクはふふふ、と小さく笑った。


「お母様はどうかしら」

「すでにお気づきになられて、シェームス殿に改めて診て頂いております。特に問題はないようです」

「それは良かったわ。……でも、このお茶会は失敗ね」

「お嬢様?」

「お母様にも申し訳ないことをしたわ。こんなつもりはなかったの」

「……お嬢様。私はお茶会がどのようであったか詳しく存じませんが、お気づきになった奥様はお嬢様を心配なされていましたよ。それこそ、このような事態になり気落ちをしていないかと」

「そうなの?」

「はい。それはお二人でまた話された方がよろしいでしょう。落ち着きましたなら、またお顔をお見せに行かれては?」

「…そうね」


屋敷に入った。アルリックを運ぶ下男たちは、私とバルクが追い付くのを待っていた。アルリックは担架の上で目を閉じてぐったりしている。

バルクは改めてアルリックを使用人棟の医務室へつれていくように命じ、私へ向き直った。


「お嬢様、部屋へお送り致します」

「いいわ。一人で戻れる」

「ですが」

「アルリックが負傷したのなら、また貴方が大変でしょう。そちらを早く処理して頂戴。……ああ、後でアルリックの様子だけ知らせて」

「……かしこまりました」


バルクは私を暖かな視線で見つめながら、一礼した。そんな彼に何となくむず痒くて私は踵を返して部屋へと足を向けた。



こうして、お茶会は誰もが予想していなかった形で幕を閉じたのである。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る