第17話 転生悪役令嬢のご褒美
テーブルの上の支度を終えた侍女は扉の前で一礼する。
「それでは失礼致します、お嬢様」
パタンと部屋の扉が閉まり切る前に見えた侍女の目は、これでいいのかという気持ちが出ていた。
思うのだが。
この屋敷の使用人達は感情が豊かすぎるのではないだろうか。
やはり私相手だからか。気づかれてないと思っているなら、随分と下に見ていられていることになる。だがいちいち指摘してやるのも早計か、と思い直す。
ゲームでは、私達家族は使用人達に裏切られる。ならば、感情が見えている現状をそのままにしておけば、その動向は掴みやすいだろう。
ー見るたびに不愉快になるのは避けられないけれど、ね。
「お嬢様。それでは準備いたしましょう」
「はい、先生」
振り返れば、私を見つめる老婦人がゆったりとした椅子に座っている。
彼女はシェームスの妻。そして暫定的ではあるが、お母様が示唆した女性が身につけるべき技術の1つ、刺繍の先生であった。
また、大きな円形のテーブルを挟んで彼女の対面にはさらに椅子が2つ。
空いている1つは私の席だが、もう1つにはアルリックが座っていた。
その彼はいつもの執事服ではない。
足に負担の少ない普段着……いや、普段が執事服なのだから、休日服と言った方がよいか。とにかく、ぐっと動きやすい簡素な服装である。その左足は膝から下を板で両側からはさみぐるぐると布を巻いて固定されている。
私は彼の隣に座った。
何故、彼がそんな服装で、女子が学ぶ刺繍の時間に主の私の横で同席しているのか。
それは全て、私のワガママからである。
アルリックの怪我は思っていたよりは軽かった。
幸いにして骨折まではしていなかったし、太ももも神経を傷つけたり出血多量を起こすこともなく、適切に処置ができた。
しかし行動に制限がついて、私のお使いもバルクの手伝いも出来なくなった。もちろん、医師はなるべく安静にして養生するように言ったらしいが、私はそんな事をさせるつもりはない。
それを口にした途端、お父様とバルクを初めとした使用人達は様々な感情を顔に表した。
『どうしていけないの、お父様?動けなくても出来る事はあるでしょう?……それに、あなたもゆっくり寝ていられるとは思ってないわよね?』
その場はお茶会の事情を説明する場であったから、治療を終えたアルリックも当然いた。
そして、医師の言葉を受けてお父様が養生に専念する事を認めようとした際、アルリックはお父様に感謝を口にした。
けれど、お父様がそれをいうまで素直に養生する気はないのは明らかだったのだ。
なら、最初から働けと言って何が悪い?裏でこそこそ無茶されるより、やることを与えた方が彼を管理できるだろう。
『アルリックは今の自分の状態を一番わかっているはず。自己管理はできるわよね?アルリック』
『…もちろんでございます、お嬢様』
『ほら、問題はありませんわ』
そう。
だから、彼は今ここにいる。
お茶会で宣言した通り、アルリックも私と一緒に女として必須とされる様々なものを学ぶのだ。
「今日は続きから始めましょうね」
「「はい」」
テーブルの上には、針・糸・はさみのセットとともにハンカチ程度の大きさの布が張られた卓上刺繍枠が3人それぞれの席の前に置かれている。先程の侍女が支度をしていたのはこれらだ。
私とアルリックは針を持ち、布の下から突き刺して開始した。今は始めたばかり。基本ステッチの繰り返しだ。
すぐに部屋の中は沈黙で満たされる。私とアルリックは黙々とステッチを繰り返し、先生はそれを見守っている。不思議な事にそんな時間を私は居心地が悪いとは感じなかった。
「……っつ!」
ただその沈黙の中、時々呟かれる声はアルリックだ。私は手を止めて隣を見た。
アルリックはそんな私の目の前でまた指に針を刺して小さな声をあげている。
「……まだ、慣れないの?」
「っ!………申し訳ございません」
「アルリックの方が大人なんだから、すぐに出来るようになると思っていたわ」
「お嬢様。大人でも得手不得手はあるものですよ」
アルリックは私に応えたが手は止めていなかった。しかし、私は先生の前で勝手に手を止めてしまっている。しまったと先生を見たが、彼女は優しく微笑んでいた。
「アルリックさん。力が入っていますよ。1度手をおいて体を緩めなさい」
「……はい」
確かにアルリックはらしくなく、背中を丸めて必要以上に刺繍枠に顔を近づけて針を刺していた。先生の指示を受け、針を置いた彼はふうと息をついて背筋を伸ばした。
その隙に、ついっとアルリックの刺繍枠を引き寄せてみれば、大きさも力の入れ方もバラバラで不細工なステッチが横一線に入っていた。その一線もぐにゃぐにゃで、私は思わず笑ってしまう。
そんな私に先生は微笑みながら困ったような感情を浮かべた。
「お嬢様。アルリックさんは男性なのですし、そうなってしまうのも仕方ないですよ」
「先生。別に馬鹿にしている訳ではないのよ。アルリックにも不得手なものがあるのだと思っただけ」
「それは、アルリックさんも人ですからね」
「………人、ね」
ちらりとアルリックを見れば、自分の事が話題になっているのになんの表情も浮かべていない。
つまんないわ。
刺繍枠を戻し、私達はまた基本ステッチを黙々と繰り返した。
それからどれくらい経っただろう。ドアからノックされる音が聞こえた。
「私が出ましょう」
本来はアルリックの役目だが、足の事もあるため先生がさっと立ち上がった。正式に雇った講師ならプライド高くこんな融通は聞かなかったかもしれない。「初歩的なものでしたら、私の妻がお手伝いできましょう」と言ってくれたシェームスにも感謝だ。
「お嬢様。バルク殿です」
「失礼します、お嬢様。一刻経ちましたので、例のものをお持ちいたしました。入ってもよろしいですか」
「ええ。…ああ、先生。少し休憩の時間をとっても良いかしら」
「お二人とも熱心にされていましたもの。そうしましょうか」
「先生もよろしかったら、ご一緒して下さる?せっかくだから、味見をして欲しいの。……バルク。先生のも用意してあるわよね?」
「もちろんでございます」
バルクは後ろにお茶セットをもった侍女を連れて入ってきた。先生もそういうことならと自分の席に戻ってくる。
バルクはてきぱきと刺繍の道具を一旦片付けていく。己の父の前で動かないのは居心地が悪いのか、アルリックは椅子から腰を浮かせたが、ピシリと手を軽く叩いて座らせた。
そして今度は侍女がお茶の用意をしていく。私と先生はもちろんだが、アルリックの前まで茶器が置かれていくのを見て、流石に彼は不思議そうな視線を私に送ってきた。
「後は私がします。出なさい」
バルクは侍女を部屋から出すと、お茶受けのデザートが乗せられている皿のクロッシュを取り外した。ヒヤリとした空気が皿から溢れ、そこには銀でできたカクテルグラスのような器が3つ置かれていた。器の中には白い雪のようなものが盛られている。先程の空気からしてそれは冷たいもののようだった。
「先生。これは私が考えて作らせたお菓子です」
バルクが器を1つ1つ目の前に置いていく。先生は少し目を輝かせて、アルリックは少し困惑した表情でそれを見ていた。
「実はお母様が食べやすい菓子を、と考えたものな一つですの。味見をしていただきたいとはそう言うことなんです」
「まあ、これがお菓子ですか」
「ええ。ミルクの冷菓子です。どうぞ、お召し上がり下さい」
先生がスプーンを手にとったところを見て、私はアルリックの方に視線を移した。アルリックはじっと目の前のミルクアイスを見ている。
「アルリックも食べなさい。これはお父様にも一緒に食べて頂くつもりなのよ。あなた、実験台になりなさい」
「……はい、お嬢様」
許可を出すと、アルリックはスプーンを手にとりアイスをすくって口に入れる。その瞬間、驚くように目を開いて、アイスに目線をやった。
私はその様子にしてやったりとなり、高揚した気分で先生の方へ視線を戻せば、バルクも揃って暖かな視線で私を見ていた。
「……先生。お口に合いまして?」
「ええ。ひんやりとして、するりと喉に入っていきます。ミルクの味もとっても濃くて……。こんな食べ方もあるんですね」
「冷やすのが少し手間がかかるんですけれどね」
ダンゼルク家には大きな冷凍室があった。
その冷凍室は魔石と言われるものを核として部屋全体を冷やす仕組みらしい。その魔石は所謂バッテリーで、ある一定期間ごとに魔石に補充しなくてはいけないという。
その為に、冷凍室の作成者でもある魔術研究所の職員が度々この屋敷に出入りしていたらしい。
冷凍庫があることもそうだけど、花形職業でもある魔術研究所の関係者にそんなことをさせているなんて……お父様ってやっぱり色々凄い。
今日は、その研究所職員が魔力補充にくる日であった。アイスを作ろうと思ったのも冷凍室があってこそ。だから、彼らにもアイスをふるまうよう言っておいた。
彼らも美味しいと思ってくれたらうれしいのだけどね……。
「……ご馳走様でした、お嬢様。大変美味しいお菓子でした。旦那さまもお喜びになるでしょう」
アルリックはカチャンとスプーンを置いて私に礼を述べた。器には微かに残ったミルクがあるだけで、綺麗に完食してくれたらしい。
「味にはもちろん自信があるわ。でも、アルリックはお母様を守ってくれたのだから、特別に味見をさせてあげただけよ」
「…ありがとうございます」
私とアルリックのそんなやり取りに、先生とバルクが意味深に視線を交わし、微笑んでいた事に気がつかなかった。
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お嬢様の【味見】と言う愚息へのご褒美の時間が終わり、侍女達に茶器を下げさせて、私自身は玄関へ向かっていた。
今日はあのアイスとやらを作るのに必要な冷凍室の魔石への魔力補充の日で、魔術研究所の方々が来るのはいつも通りだが、今回は特別なのだ。
お嬢様は、今回来られた方々を知ってらっしゃったから、アイスをふるまえと命じられたのだろうか?
一瞬、そんな考えが過ったが、冷凍室の存在も知ったばかりだ。そんな事はあるまいと思い直す。
では、ただの感謝なのだろうか。
お嬢様は事故の時から随分と変わってしまったが、全ての言動に前よりずっと心が感じられるようになった。
そして最近は、そんなお嬢様を見ていると心が暖かくなり、仕事中であれども笑ってしまいそうになる。
しかもあれから個人的に関心を持ってらっしゃる相手が我が愚息だった。我が息子は優秀ではあるが、何か危ういと私も感じていた。お嬢様もその部分を感じられて、色々となされているようだ。
今のお嬢様ならと息子も何か変わるのではないかと自然と思ってしまい、また笑ってしまいそうになった。
「バルク殿」
玄関ホールに着くと、客人の方が先に来ていて私を見つけてしまった。
揃いの深緑色のローブを纏った長身の男性とその傍らの子供。彼らが客人の魔術研究所の方々である。
無論、我が主の方が身分が上だが、今日の彼らへのもてなしは必須だ。
「申し訳ございません。お客様にお待たせさせてしまいました」
「いいえ、いいえ。我が研究所の作品を大切に使用して頂いていらっしゃるようで光栄です。それに、息子の同行をお許し頂いた上に、大変珍しく美味しいお菓子も頂きました。こちらの方が申し訳ないくらいです」
眼鏡をかけた、人の良さそうな笑顔を浮かべる男はハイマン・ロイエンタール。我が国の魔術長官の長男だ。つまり、その傍らにいる子供が。
「ハキム・ロイエンタールです。本日は同行許して頂きありがとうございました。お菓子もありがとうございました」
「……いえ。ハキムさまのご同行は主人が許可された事でございます。僭越ながら、お二方のお心は私から主人に伝えましょう。お菓子の事はお嬢様に。ですが、冷凍室のお陰であのお菓子が作れるとおっしゃっておりましたから、そのお気持ちとお思い下さい」
ハキム・ロイエンタール。お嬢様が調査せよと命じられた子供だ。
榛色の目と髪をもつこの子供を何故調べようと思ったのか不思議ではあるが、ロイエンタール家はダンゼルク家にとっても無視出来ない存在であるのは間違いない。
じっと、ハキム・ロイエンタールを見つめてしまったようで、彼は不思議そうに首を傾げた。
「あの……?」
「申し訳ございません。お嬢様と同じくらいのお年かと思いまして」
「そうですね」
代わりに父のハイマンが答える。すっとハキムの肩に手を回し引き寄せた。警戒させたか。
「時が進めば、お嬢様と会うこともございましょう。ハキムさま。その際はお嬢様をよろしくお願い致します」
結婚相手候補になるかもしれない相手に余計な事を言うなっ!と頭の中で旦那さまがいったような気がするが、私はにっこりと微笑んで見せた。
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