第20話 転生悪役令嬢の専属執事見習いは◯◯
「お嬢様。今日はここまでです」
貴族が交わす手紙の定型文を組み合わせて清書していた私は、アルリックの指示に従って手をとめる。
ペンを置いてテーブルから手を下ろせば、「失礼します」とその紙を取り上げられた。
「字は見られるようになりましたが……。組み合わせはまるでなっていませんね。ここなど、春の季節の挨拶で始まっているのに、終わりは雨季ですよ。こちらは愁傷の内容なのに、的外れな冒頭で始まり、終わりに控えるべき言葉が入った文を選んでいますね。相手を怒らせてしまいますよ」
アルリックは私が書いた例文を指し示しながら、やや口早に指摘していく。
「……指摘はわかるけど、言っていいかしら?」
「何です?」
「手紙って、回りくどいわっ!」
季節の挨拶に始まり、相手を気遣う様子を見せつつ用件を伝え、また会う日を楽しみにしていると名残惜しげに結ぶ。それを季節の花や気候に例えたり、色々言い回しや飾り立てた言葉で溢れさせ、かと思えば風が吹いたように綺麗に内容を納めて、読み手を気持ちよくさせよと言うのだ。
それは、先人達が長い間試行錯誤を重ね、ある意味批評しあって、優れた例文として数多く残されている。
アルリックは、そのごく一部を教材としてまとめてくれたわけだが、私にとってはそれでも多い。
「やあ。じゃあな。で良いじゃない。無駄よ」
「……それはお嬢様が使って良い言葉ではありません。………全く、どこで覚えてきたのでしょう……」
アルリックは呆れたようにため息をつき、言っているうちにむくれた私に冷ややかな眼差しを向けた。私は答えなかったが、彼も答えを求めた訳ではないようで言葉を続けた。
「確かに、身内や親しい間柄ではこのような手紙のやりとりはしませんが、目上の方や初対面どころか会った事もない方に差し上げる事もあるのです。無駄ではありません」
「……言ってみただけよ」
「必要性はわかっていらっしゃると。では、この程度は使えるようになりますね。お嬢様は聡明なのですから」
「わかったわよっ!もう一度やるわ。紙を持ってきなさい!」
アルリックの嫌みに、もう一度ペンをとって手をテーブルに置けば、アルリックは表情を変えず首を横に振った。
「今日はここまでと言いましたよ。…他の授業もございますし、休憩に致しましょう」
最近いたについてきた先生の顔から、執事への顔へと戻ったアルリックは私からペンを取り上げた。
不思議なもので、先生のアルリックは実に饒舌(私への厳しい指導や嫌みが主に)だが、専属執事の彼は途端に口数が少なくなる。
状況に応じてきっちりと役目を切り替えているのは流石というところだが、こうなると専属執事として頑と譲らないので、私ももう言わないようにするしかなかった。
ー生意気なのよね、アルリックの癖に。
心中はどうあれ素直に引き下がった私がじっと見ていたのを気づいたらしいアルリックは、一瞬手を止めたものの結局何も言わず整理整頓してしまう。
それから「お茶の用意をして参ります」と、最近使うのが一つになった松葉杖を手に取り立ち上がった時。
ーコン、コン。
立ち上がったアルリックが扉を開けにいく。そうして開けられた扉の向こうには、執事見習いが人懐っこい笑顔全開で立っている。
「そろそろ、お茶の時間かと思いまして、用意して参りました」
そして今日もまた、アルリックの授業が終わったちょうど良い時間にお茶の準備を整えてやって来たのであった。
彼が見習いとしてやって来て数日。
その人柄と能力であっという間に使用人達に溶け込んだ。
アルリックは周りに気を配る事は出来るが、個人的な話や接触となるとうまくかわされ、間に壁を建てられたように離れてしまうのだと聞く。
ウルリックはまだ使用人達の人間関係を把握できていないので兄のような気配りはまだまだなのだが、生来の人懐こい性格と聞き上手な事もあって、誰とでも会話を弾ませる事が出来るのだとか。それに加え、素直な反応と少し甘えたような素振りに、気難しい古参の使用人もほだされてしまう様子を何度か見かけたそうだ。
聞く、だとか、そうだ、というのは、全てシェームスからの伝聞だからである。
とにかく、使用人達の中ではクールでミステリアスなアルリックとフレンドリーで可愛がりたくなるウルリックとで人気が別れているらしい。
ーまあベタな表現をすれば、アルリックは黒猫、ウルリックはゴールデンレトリバーの子供って感じよね。
今はまだアルリックより背の低いウルリックだが、からだ全体の骨格は父のバルクに似ていて、いずれも体格も背も兄を越えるだろうと誰でも予想はつく。
記憶に残るスチルのウルリックの姿に今のアルリックを並べて、兄弟逆転している様を想像するとどこか可笑しかった。
「お嬢様。お持ちしてよろしいですか」
ーああ。話を戻そう。
アルリックの声に物思いから覚めれば、アルリックの肩越しに微笑むウルリックとの視線があっていることに気づいた。
ぼんやりとしていたから私はその意識はないが、まるでウルリックを見つめていたかのようでな何となく気まずく、さりげなくアルリックに視線をずらす。
相変わらず冷ややかな眼差しに少し落ち着き、私は頷いた。
アルリックが道をあけ、ウルリックが菓子やお茶をのせたワゴンを押して入ってくる。普通はメイドがすることだが、私への給仕はアルリックの仕事なので、見習いとして彼は敢えてその役目を果たしているようだ。
アルリックの手によってワゴンからテーブルに並べられていくお菓子や茶器。お菓子は料理人に教えた砂糖控えめのクッキー。そして注がれたお茶を飲めば、適温で味も美味しい。
……全く、文句のつけようがないわ。
最初はアルリックから授業の大体の終了時間をきいて予想をたてているのかと思っていた。だが、私の理解度や集中力や気分によって授業は短縮されたり延長されたりしている。
だから予想は立てられても、美味しく入れられたお茶を適温で出せるようにするのは難しいはずだ。
つまり、そう。
ウルリックは兄に劣らず優秀なのだ。
優秀で、見目麗しく、人を心を解す会話が出来る彼に、文句のつけようがない。
それなのに、何故か気に入らない。
攻略対象者ではないが好感度は必須の相手なのに、どうしてかウルリックに近づきたくないと思ってしまうのだ。
「お嬢様。申し訳ございませんが、次の支度をする時間を頂けますか」
アルリックが手を止めて私を見る。
次の授業の支度など、それこそ見習いのウルリックにさせれば良いと思うのだが、アルリックが気づいていない訳がない。
これは、アルリック自身がやらなければならない事があるのだろう。
私も、攻略対象者の調査をウルリックに手伝わせる事は許していないしね。
「良いわよ」
「では、失礼致します。……ウルリック、戻って来るまで控えているんだ」
「はい」
アルリックは松葉杖をついて退室した。
パタン、と扉の閉まる音を始まりとして、私にはいささか居心地の悪い空間になる。
……自分の部屋なのに。
お茶を楽しむ風で、ちらりとウルリックの様子を伺えば、彼は優しそうな表情のまま黙って立っている。
彼には嫌われないようにしないといけないのだから、苦手意識で避けてはいけない。
……よし。
「ウルリック」
「……っ!はい」
今のようにアルリックが少し私の側から離れる際に、ウルリックが代わりにいるような事は何度もあったが、あくまでも兄の下につく見習いだからという理由をつけて、私からは話しかけていなかった。
初めて私から話しかけたといってもよく、ウルリックには予想外で少し驚いたようだった。
「こちらへ来なさい」
それでも命令にすぐに反応して、扉の前からそばに寄ってくる。
「失礼致します」
「あなたが来て数日経ったわね。きちんと勤められていて?」
伝聞ではなく、彼の人柄を知るにはやはり言葉を交わしていくしかないだろう。
先ずは普通の事から。
「はい。ここで勤める皆が良い人ばかりで、色々教えてくれます。私はまだまだ到りませんので、皆熱心に指導してくれます」
「そう。あなた自身はどうなの?」
「申し訳ありません。どう、とは?」
「………………楽しく働けているのかしら」
私の質問を飲み込むように一瞬真顔になると、ウルリックはにこりと笑った。
「はい。このお屋敷でお仕えすることをずっと願っていましたから」
「ずっと?」
「はい」
「……どうして?」
「物心つく頃には、すでに父はダンゼルク家にお仕えしており、普段は共に過ごす事はほとんどございませんでした」
「まあ」
「父が全く母や私達の元へ戻らなかった事はございません。少し寂しかった事も事実ですが、それよりもお屋敷へ向かう父の姿に憧れておりました」
「バルクに?」
「はい。お屋敷に行く父の姿は真っ直ぐな芯を持っているようで格好良く思えたのです」
「でも、寂しかったでしょう?」
「母も兄もいましたから」
やはり、逃げずにウルリックと会話を交わそうと思って正解だった。
ウルリックは今、初対面から振り撒いている何となく苦手な笑顔ではなく、普通に見られる優しい笑顔になっている。
会話も自然流れだし、良いのではないだろうか。
「兄、ねぇ。……私には兄弟がいないからわからないのだけれど、ウルリックにとってアルリックはどんな兄なのかしら」
さあ、ここから彼をよく知る為の材料を探していくことにしよう。
「兄はー」
……………………………ん?
「兄は、完璧な人間なのです!お嬢様っ!」
ウルリックはその優しい微笑みから一転、よくぞ聞いてくれましたとばかりに目を輝かせ本当に嬉しそうに私を見つめてきた。
早く聞いてくれと言わんばかりにじっと私の言葉を待っているようだ。
本当にウルリックがゴールデンレトリバーだとしたら、ばっさばっさとしっぽを大きく振って、じゃれたいのを我慢して命じられたお座りを頑張っている感じだろうか。
ーこれは。
ー案外厄介な性格かもしれない。
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