第30話 転生悪役令嬢の執事と恋騒動
この場にアルリックではなく、ウルリックがいる。
つまり、アルリックには他の用事を言い付けているのだ。
「兄は、到着されたお客様と打ち合わせ中です」
「今回も、彼女よね」
「はい」
客人は、セリーヌ。
ウルリックの報告通りなら、彼女は子爵令息の侍女としてダンゼルク家を訪れており、公爵令嬢の専属執事と打ち合わせ中のはずだった。
「彼女は先触れの通りの時間に到着したのかしら」
「はい」
「じゃあ、そろそろ終わる頃かしらね。…会いに行きましょう」
「畏まりました」
私が椅子から立ち上がると、ウルリックが扉を開く。
私に続いて廊下に出たウルリックは、外に待機していたメイド達に応接室の片付けを指示する。
それを待っているときにちょっと思いつき、私は口を開いた。
「ウルリック。彼女に今日は新作の菓子も持って帰って貰いましょう。手配をお願い」
側に執事がいるなら、あくまでも要件は執事に。
ウルリックは「はい」と応えて、目の前のメイドに私の指示を伝える。メイドの一人が一礼をして、その指示に従うべくその場を去っていった。
それから私はウルリックを従えて、セリーヌとアルリックが打ち合わせをしている応接室へと歩きだした。
この屋敷には、応接室がいくつの棟にそれぞれ複数ある。公爵家を訪れる者は多いし、身分や客人同士の事情を考慮すれば、必要になってくからだ。
そう言う理由で、ハイマンと話した部屋と、アルリックが打ち合わせしている部屋は違う場所にあるので、私は移動する。
アルリック達の打ち合わせというのは、勿論レッスンの事。
表向きは、子爵令息の体調がまだ万全とは言えず、合同レッスンの日を定例化出来ない為、打ち合わせをしなければならない、となっている。
その実は、殿下が目立たず頻繁に外出するのが難しいからだ。
殿下が複雑な立ち位置にいるとはいえ、王族で王の第一子。王子としてやらなければならない務めがある。
レッスン日を定例化出来ないのは事実で、本当の理由はそこだった。
だから、表向きの理由を口実にセリーヌがダンゼルク家に通う事になったのだが、殿下の方はそれだけではないんじゃないかと最近は思ってしまう。
なぜなら、顔合わせの際に、子爵と殿下らにお土産としてプリンをいくつか渡したのだが、いたく気に入られたらしいのだ。
更に。合同レッスン後の先生とのお茶の席では、出された菓子を実に楽しそうに召し上がっていたし、その都度、帰りに渡しているお土産を嬉しそうな表情をしていた。
あんな様子を見ていると、セリーヌが訪れる度に渡している菓子が、実は本当の目的なのではないかと思ってしまうのだ。
……意外と、殿下は甘いもの好きなのかしらね。
ハイマン副所長と同じように、攻略対象者に近い彼とは一線を引かなければならないと思う。
だが、お菓子を目の前にした殿下の笑顔を思い出すと、ついついセリーヌに土産を持たせてしまうのだ。
このままではいけないわよね。
いくつかのレシピを献上する事も考えておこうと決めて廊下を進めば、目的の部屋へ一つ角を曲がるまでというところで、逆にアルリックが向かい側から角を曲がって姿を現した。
私とほぼ同時にあちらも気づいて、互いに歩みを止める。
「お嬢様」
「あら。もう、彼女は帰ってしまったの?」
打ち合わせは終わってしまったのかしら。
主の為の側仕え同士の話し合いに、その都度、主たる私に挨拶する必要はない。
先触れを寄越すが、話し合いが終われば速やかに去り、話し合いの報告が主である私にあげられている。
だから、セリーヌに会いに来たのは私の気まぐれの行動だった。
無論、そうなると、私が足を運んで彼女に会いに行くのは変なのだが、お菓子作り等を通じて、令嬢が普通ならば行かない調理室に顔を出していたりしたので、使用人達は見ない振りをしてくれている。
不満を持っていても、言える訳ないけれどね。
「はい。先ほどお帰りになりました」
あら、残念。
別に、どうしてもというわけではなかったのだから、良いのだけど。
「…新しいお菓子は間に合わなかったかしら」
「いえ。ご用意したものと合わせてお渡しする事ができました」
「そう、良かったわ。それで?客人を玄関までお見送りしてきたの?」
この場で、彼女が本当は子爵令嬢であるのを知っているのはアルリックと私だけ。だから、言葉を選んで確認をする。
「…お客様からのお申し出により、私は部屋でお見送りさせて頂きました。ですが、菓子を持ってきた者が案内しています」
「そう」
セリーヌの方から言ったのならば、致し方ない。
主の身分が違えば側仕えの身分も差ができて当たり前という考えも残念ながらあるので、たかが子爵家侍女に公爵家執事がそこまで配慮する必要はないと言われる可能性もあるのだ。
知ったことではない。身分云々ではなく礼儀として配慮するのだ、と公言して行動しても、周囲が納得したり、考えが消える訳ではない。
その場合、身分の低い方が良からぬ目に合うのだ。
彼女は、その点をも知っていたのでしょうね。
…ああ。王宮務めならば、むしろあちらの方が露骨に現れる機会があるのかもしれないわね。
「お嬢様は、お客様に会うおつもりでこちへ?」
「ええ。少し話があって」
「…お客様は先ほど部屋を出られたばかりです。今からですと、馬車の乗り入り口で会うことが可能かも知れませんが、どうなさいますか。お部屋にお戻りになりますか?」
私はちょっと考えて、頷いた。
「行く事にするわ」
ーこの判断が、騒動の目撃者となり、アルリックの内を垣間見る事になるなんて。
「おかしいですね」
私達は、セリーヌに追い付くべく馬車の乗り入れ口へ向かっていた。
ただ、私の4歳の足に合わせていては追い付けるものも追い付けないので、アルリックは私に戻りつき、ウルリックに先に行ってもらった。
そのウルリックが戻ってきたのである。
「お嬢様。お客様は、まだあちらにはお越しではありません。部屋の係の者に確認しましたが、二人は来ておらず、何の連絡も受けていないとの事でした」
「どういう事?」
側にいるアルリックを見上げると、すっと目を細めた。
「案内を任せた者は女です。…個人的に親しくなり、どこかの部屋へお誘いしたのかも知れません」
セリーヌが何度もこのダンゼルク邸に通う内に、同性の側仕えとして仲良くなる。それはあり得るし、一概に悪い事だとは言えない。
が、セリーヌはその者の友人として訪れたのではなく、子爵家の使者として訪れている。
こちらが客人として迎えいれた以上、乗り入れ口で待つ彼女の同行者の元へお連れし、無事に発って貰わなければならない。
例え親しかろうと、誰にも告げずにどこかへ連れていくなど、言語道断だ。
アルリックは冷ややかな眼差しのまま、言葉を続ける。
「ウルリック。もちろん、他の者にも居場所を確認するように伝えたな?」
「はい」
「では、お前も引き続き、お客様の居場所を確認に向かえ。…だが、他にも客人がいらっしゃる。わかっているな」
「はい」
アルリックは、くるりと視線を巡らせて私を見る。
「お嬢様。部屋へ戻りましょう。報告はそちらで」
「わかったわ」
私も一緒になって探し回る訳にはいかない。
ウルリックからバルクへ状況は伝わるだろうし、この屋敷は広いけれどそれほど手間がかかる訳ではないだろう。
アルリックの言うとおり、私は部屋で待つことにしよう。
ウルリックが一礼をして、その場を去ったのをみてから、私とアルリックは戻り始めた。
隣を歩くアルリックの足が止まった。
「…アルリック?」
「お嬢様。今暫し、お静かに」
そう私に言ったものの、視線は前へ向けたまま、何かを探るように目を細めている。
ハイマン副所長と話した部屋を含めた応接室がある棟に戻ってきたのだが、人は少ない。
この棟での面会予定は彼だけだったので、人が少ないのは当然のはずなのだけれど、アルリックは足を止めた。
一体、何だっていうの?
アルリックに倣って、私も周辺を探る。静かにしていろというから、耳をそばだてて。
すると、私にも何かが引っ掛かった。
人が言い争う微かな気配。
この棟の応接室は、主にお父様、お母様、私がお相手する為のものだ。
お父様は仕事。お母様は休息。私はここにいる。来客の予定もこれ以上はない、はず。
まさか?
「ーお嬢様。失礼致します」
アルリックはそう言って私を置いて、早足で声の方に進んでいった。
私はそれを止めない。むしろ、早く行ってと思う。
これでも懸命に動かしているのに、ぽてぽてとしかならない足で、アルリックを追いかける。
私の目の前で、アルリックは応接室の一つに入っていった。
と、同時に、何かが倒れる音。そして、悲鳴。
ーちょっと、待ちなさいよっ!
ようやく部屋にたどり着いて、息を整えつつ中を覗きこもうとした私の耳に叫び声が届いた。
「離れなさいよ!彼は私のものよ!」
最悪の事態だった。
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