第二十九話 お姉ちゃんを助けに行くと決めたこと

 かなでお姉ちゃんは、やっぱり戦うのが下手だった。銃さえ持てば誰でもすぐに強くなれるというわけじゃない。至近距離で敵と相対するときは、腕を伸ばして銃を突きつけるのではなく、胸元で構えないといけない。それで左腕で相手との距離を取るのだ。そうしなければ、あのように簡単に銃を奪われてしまう。そういうふうに咲さんに教わった。


 咲さんはぐったりしたままの私を引きずっていくと、独房の中に突き飛ばした。私は床に転がって這いつくばる。でも、意識が朦朧としているふりをしているだけで、実はもう頭ははっきりしていた。私の頭は冷静だった。お姉ちゃんが危ない。やるべきことが、頭のなかでパズルのピースのようにどんどん組み上がってゆく。私に何が出来て、何が出来ないのか。どんな道具を持っていて、足りない道具は何か。私が守りたいのは誰か。私にとって邪魔なのは、誰か。


 銃を持っているなら、私に渡してくれれば良かったのに。私なら、まずすぐに咲さんと桜さんを殺して、それからクロエ様を脅してあの場を制圧できていた。でもお姉ちゃんは、私にこれ以上人殺しをして欲しくなかったんだろう。ぎりぎりまでクロエ様と交渉して、誰も死ななくて済む方法を探したかったんだろう。だから自分でやろうとした。お姉ちゃんなりに私を守ろうとした。私はそれが嬉しかった。私はお姉ちゃんを助けるためにどんなことでもすると決めた。どんなことでも。


 かんぬきをかけ南京錠の掛け金を閉じた瞬間、咲さんがわずかに開いた口からすっと安堵の息を漏らしたのを、私は見逃さなかった。咲さんもまた、この地下牢を心のどこかで恐れている。だから、私を独房に入れた瞬間に、私を無力化したと思い込んで安心した。正面を切って戦ったら、私は咲さんにはかなわない。それはこれまでさんざん訓練してきたから知っている。だからじっと機会を伺い、策を練る。


「……咲さん、お姉ちゃんを助けて」


 咲さんは私のほうをちらりと見たが、何も言わなかった。


 咲さんは苛立いらだっていた。クロエ様は奏お姉ちゃんをやけに気に入っていたし、お姉ちゃんに変なことをするようなことを言っていたからだ。私が奏お姉ちゃんを好きなように、咲さんはクロエ様のことが好きらしい。でもクロエ様はいろんな子と仲良くするから、咲さんはそれが気に入らないみたいだ。私だってお姉ちゃんがクロエ様に変なことをされたら凄く嫌だけど、私は咲さんより冷静だ。


 咲さんや他のみんなには、本当に悪いなと思う。本当は先に謝っておきたいけど、そうするときっと警戒されてしまうだろう。だから、心の中でこっそり謝っておこう。ごめんなさい。よし、これできっと大丈夫。私はためらわない。


「……これを、いますぐにクロエ様に渡してくれないですか」


 私は鉄格子のそばに這いよって、エプロンに入っていた適当なメモ用紙を咲さんに差し出す。咲さんがいぶかしげな表情を浮かべ、メモ用紙を受け取ろうと鉄格子越しに右手を伸ばした。


 私は咲さんの袖口を両手で掴むと、素早く姿勢を変えて鉄格子に足を掛け、全体重をかけて思い切り後ろに引っ張った。咲さんはバランスを崩して、側頭部をごんと鉄格子に打ち付けた。眼鏡がどこかへ吹っ飛んでいく。


 鉄格子の横棒に咲さんの肘のあたりを乗せ、小指を捻って手のひらを上に向けさせる。咲さんが逆の腕で鉄格子を掴んで体勢を戻そうとするが、私は構わず手首を掴み、しゃがんで思い切り下に全体重をかける。ごきり、と不気味な音がして、咲さんの肘が背中の方向に折れ曲がった。咲さんが低い声で呻く。更に咲さんの折れた肘と襟首を掴んで力いっぱい手繰り寄せると、頭の後ろから右の眼球に中指をかけ引っ張った。ミニトマトを潰すようなぐちゃりという気持ちの悪い感触がして、耳が痛いほどの絶叫を咲さんが上げた。

 

 咲さんが反射的に左手で抜いて叩きつけたセラミックのナイフは、私の指先をかすめたあと鉄格子に当たって、ぱきんとあっけなく折れた。少し指先をずらさなければ、あやうく私の左手の指がぜんぶなくなってしまうところだった。咲さんのこの動きをかわしたのは初めてだ。練習の成果というやつだろう。咲さんの左手の小指を掴んで、手の甲のほうにひねると、ごきりという嫌な感触がした。床に崩れ落ちた咲さんのポケットを探ると、鍵の束が手に当たった。鍵をぜんぶ奪い取って急いで立ち上がり、鉄格子の裏から腕を伸ばして南京錠を開ける。


「咲さん、いままでいろんなことを教えてくれて、ありがとうございました」


 潰れた目を抑えてのたうち回っていては聞こえているかわからないけれど、咲さんにお礼を言っておこう。咲さんには、ナイフの使い方とか、格闘の仕方とか、いろいろ教えてもらったのに、恩をこんな形で返してしまうなんて、本当にごめんなさい。でも、私の大好きなお姉ちゃんが、危ないんです。奏お姉ちゃんがいなくなっちゃったら、私はきっとおかしくなってしまうんです。


 咲さんは腕が折れて目が潰れているのに、まだ立ち上がろうとしていた。その背中を私は膝でぐいと床に押さえつける。咲さんのワンピースのスカートをめくると、両の太ももに鞘が取り付けられていて、細いセラミックナイフが何本か収まっているのが見えた。ナイフを抜き取り、咲さんの首の後ろに突き立てる。そのまま体重をかけて床まで引き下ろした。筋がぶちぶちと千切れる感触があって、それからナイフの先端がほんの少しだけ首の骨を削った感覚がわかった。咲さんの首の右から三分の一くらいが胴体から離れ、そこからコップの水でもこぼしたみたいに血がばしゃばしゃとこぼれ落ちた。


 骨に当ててナイフの動きを止めたり、突き刺して抜けなくなったりしないように、咲さんに狙う箇所をしっかりと教えこまれた。手首や足首の腱を切り裂いて動きを止め、頸動脈あるいは太ももの動脈などを切って致命傷を与える。すべては咲さんに教えてもらったとおりに。素早く、確実に。静かに、効率よく。


 背後で地下牢の入り口の扉が軋む音がした。振り返ると、さっきの咲さんの悲鳴を聞きつけたのか、ゆかりさんが顔を覗かせているのが見えた。血の海に沈んでぴくぴくと痙攣する咲さんと、エプロンが赤く染まった私を、紫さんが驚いた顔で見比べている。私は走って素早く距離を詰めると、そのまま紫さんの胸の真ん中に浅めにナイフを刺し、体ごとぶつかってそのまま押し倒した。倒れるときに、左手で喉輪を作り、喉を押しつぶす。ぐえ、と蛙のような声をだして紫さんが倒れると、ナイフを素早く抜き、首筋に二撃目を与える。紫さんが頭を捻ったので、ナイフは首ではなく頬の肉を削ぎ落とす。でも、わたしは紫さんの頭を思い切り石畳に打ち付けて、それから反対側の首筋にもう一度ナイフを突き立てた。


 血まみれで重くなったエプロンを外し、返り血の飛んだ顔を拭いながら立ち上がる。クロエ様は菫さんの拳銃を持っていった。私にも武器が必要だ。私の脱走がばれるまで、時間はあまりない。お姉ちゃんにも危険が迫っている。私は地下から出る階段を駆け上がっていく。




 一階の廊下に人気はなかった。私は音を立てないように廊下を走りぬけ、奥の小部屋に到達する。鍵の束から素早くひとつを選び出し、扉の鍵を開けると部屋の中に滑り込んだ。壁際のガンロッカーを開ける。使い慣れた散弾銃ショットガンが、そこに立てかけてあった。これで——私の勝ちだ。


 ヘッドホンのような形をしたイヤーマフもあったので、これも装着しておく。銃声から耳を守るが、会話くらいの音量ならマイクで拾ってくれる便利なものだ。ここからはひとりで戦うことになるから、周囲の気配を探るために耳が必要になる。ポーチ。予備の銃弾。私は他にも次々と装備を取り出しては身につけていく。


 私がこんなものを持っているのをお姉ちゃんが見たら、どう思うだろうか。ナイフなら果物の皮を剥くためだって言い訳できるかもしれないけど、銃の目的はひとつしかない。私のことを怖いと思うだろうか。私が人殺しがとても上手になってしまったことを知って悲しむだろうか。でも、私は良かったと思ってる。お姉ちゃんを助けることができるんだから。


「凛ちゃん、何やっているの?」


 振り返ると、桜さんが戸口で不思議そう首を傾げて私を見ていた。とぼけた表情をしているけれど、右手は体の後ろにしっかり隠しているのがわかった。ナイフを構えているのだ。私が戸口に散弾銃の狙いをつけると同時に、桜さんは素早く壁の向こうに姿を隠した。


「悪いことはやめたほうがいいよ、凛ちゃん」


 壁の向こうから桜さんの声が聞こえてくる。私が部屋から出てくるのを待っているようだ。私にはあまり時間がないから、桜さんは私が部屋から出る瞬間を狙うつもりだろう。体格でも、ナイフの扱いも、桜さんのほうがずっと上だ。だけど、私には銃がある。逃げてくれれば殺さなくてすむけど、たぶんこの家の使用人はみんなこういうとき逃げたりはしないと思う。こうなってしまったら、もうどちらかが死ぬまでは終わりはない。


「……ごめんなさい」


 桜さんにもたくさん可愛がってもらったし、先に謝っておこう。死んじゃってからじゃ、聞こえないだろうから。私はストラップで散弾銃を背負うと、代わりにナイフを取り出して構える。


 戸棚から塗装用の黒いスプレー缶を拾い、勢いをつけて廊下に転がすように投げ入れる。桜さんがそれを手榴弾か何かと見間違えて一瞬の隙ができれば十分だ。缶が絨毯に転がるごとっという音と同時に、私はできるだけ姿勢を低くして、戸口から飛び出した。


 桜さんのナイフが背中をかすめる。がちっと音がして、刃が背中の散弾銃に当たったのがわかった。私は低い姿勢のまま桜さんのかかとを切り裂いて、そのまま床に転がって距離を取る。足の腱を切られた桜さんは、その場に片膝をついた。私はおもむろに散弾銃を肩から下ろすと、ハンドグリップを引いて弾丸を送り、銃口をぽかんと覗きこむ桜さんの頭に狙いをつけて、引き金を引いた。


 耳をつんざく爆音がして、銃口から飛び出した小さなたくさんの金属球が、桜さんの顎から上をぐちゃぐちゃにして吹き飛ばした。赤黒い脳漿と頭蓋骨の破片が、シチューでもこぼしたみたいに廊下の絨毯に飛び散る。ワンテンポ遅れて、脳神経を失った桜さんの残りの体が、糸の切れた人形のようにどさりと床に倒れた。


 ガンロッカーのある小部屋に鍵をかけ、玄関のほうに向かって廊下を駆け出す。城じゅうの人たちが今の銃声に気付いただろうから、たぶんここにみんな集まってきてしまうけど、弾薬は十分にあるから問題はないと思う。かなでお姉ちゃん、今助けに行く。邪魔をする人は、みんな殺そう。


 お姉ちゃん。


 お姉ちゃん。お姉ちゃん。お姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃんお姉ちゃん——。

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