第二十五話 手段
あのあとすぐに菫さんが地下にやってきて、ふらふらになった私たちを介抱してくれた。以前のようにスポーツドリンクのようなものを飲ませてもらい、抱えられるようにしてシャワー室に連れて行ってもらう。体を洗ってからふらふらと自分の部屋に戻ると、菫さんが食事まで持ってきてくれた。
「以前、ちょっと反抗的な態度をとっただけであっさり殺された使用人の子もいたわ。あなたたちは随分気に入られているけど、きっと次はないわ」
スープを喉に流し込む私たちを見ながら、私たちを諌めるように菫さんはそう言った。それから菫さんは部屋を出て行こうとして、ふと足を止める。
「
菫さんは振り返らずに言った。黒百合と聞いて、はっとする。普通に聞けば、水を忘れずにねということだろうが、おそらくこのあいだ洗濯室で話したことを忘れないようにという意味なのだろう。菫さんの真意は相変わらず掴めなかった。
食事を済ませると、急に強烈な眠気が襲ってきた。見ると、凛もあくびをしている。地下の床は硬かったし、空腹もあって、あまり満足に眠れたとは言いがたい。黒のワンピースのまま凛と一緒にベッドに潜り込んだら、私たちはあっという間に眠りに落ちた。
夕方になって目が覚めると、だいぶ体力が戻ってきていた。菫さんの言葉を思い出して、簡単に支度を済ませて部屋を出る。凛がついてこようとしたが、私はそれを止めた。凛は不満そうだったが、頬に軽くキスをしてすぐに戻るから待っているように言うと、凛はおとなしく部屋に戻った。
私がいなくなったら、と言っていたが、菫さんの言ったところに何があるのかだけでも確かめておいたほうがいいだろう。クロエは近いうちに私にまた何かを迫るだろうという気がした。そのとき、凛がどんな行動に出るのかも予想がつかない。選択肢は多いほうがいい。軍手をつけて、
花壇へ着くと、振り返って通ってきた小径を伺う。周囲に人の気配はない。ここへ来る道はひとつしかないから、誰かが近づいてきたらすぐにわかるだろう。城の建物からはかなり離れているし、手元は茂みで隠れているから、万が一城の窓から見られていても大丈夫だ。もし誰かがやってきたら、花壇の
黒百合の花壇を見ると、周囲を囲む煉瓦のひとつだけが青っぽい色合いをしていた。他に目立つ煉瓦はないから、菫さんの言っていたのはこれだろう。私は青い煉瓦をずらして、そこにスコップを突き立てた。花壇の周囲の土は比較的柔らかくて、掘れないということはない。しばらく土を掻き出し続けると、スコップの先が何かにあたってカチンと音を立てた。手で土を掻き分けると、そこに埋まっていたのは厚手のビニール袋に入れられたクッキーか何かの四角い大きな缶だった。
周囲をもう一度伺ってから、ビニール袋を引っ張り上げる。ただのお菓子の箱とは思えないほど重い。傾けると、何か重い塊が缶の中で滑って動くのを感じた。私は袋を破らないように慎重に結び目を解き、缶を取り出すと、蓋を開ける。中には、手のひらより少しはみ出すくらいの大きさの鈍い銀色の塊が、更にビニール袋に包まれて入っていた。金属でできた筒状の部品に、片手で握るための黒い樹脂の持ち手がついている——拳銃だ。
こんなもの初めて見た。しかし、菫さんはこれをどうしろというのだろうか。おもちゃかもしれないが、この城の様子を考えれば本物の拳銃が持ち込まれていても不思議ではない。触るのも気が進まないが、本物かどうか一応調べておかなくてはならない。
フレームについた小さなつまみをずらすと、太い筒状のシリンダーがフレームから音もなく横にせり出してきた。蓮根のように五つの穴が空いていて、ここに銃弾を入れるらしい。シリンダーをそのまま戻す。撃鉄を親指で起こすと、同時にシリンダーがガチャリと音を立てて少しだけ回った。私では少々指の長さが足りないようだったが、なんとかなる。トリガーを人差し指で引くと瞬時に撃鉄が下りて、がちん、という意外に大きな音がなった。銃がその衝撃で震える。撃鉄の打撃音が誰かに聞かれたかと思って焦り、思わず周囲を見回したが、周囲には相変わらず人の気配はない。
原理は難しくなさそうだ。周囲を伺って誰も居ないことをもう一度確かめると、両腕を目の前にまっすぐ伸ばして拳銃を構える。銃身の先にある突起で狙いをつける。撃鉄を起こし、それから引き金を引く。また、がちんと音がなって、撃鉄が勢い良く下りた。この撃鉄がシリンダーに装填された銃弾の尻を叩き、点火された弾丸が発射されるようだ。
便箋にしたがって、撃鉄を起こさずにそのまま引き金を引いてみる方法もやってみた。撃鉄を起こしているときよりもずっと引き金は重かったが、シリンダーが回ってなんとか引き金を絞り切れた。銃弾は室内で使っても跳弾の危険はない種類のもので、硬いものに当たると粉々に砕けるらしい。細かいところまでやけに気が利いている。
私はあのとき、ナイフではあの少女を殺せなかった。ナイフが肌にかすって、皮膚がちょっとだけ裂けてタンクトップに真っ赤な血が滲んで、それだけで私は恐怖で動けなくなってしまった。あれは、理屈ではない。人間として生理的に刻み込まれた倫理や恐怖から、私は逃れられなかったのだ。
思い切りナイフに力を込めて筋肉を押し切り、その奥の太い血管まで刃を潜り込ませない限り、刃物で誰かを殺すことなんてできないだろう。血管の位置もよくわからない私では、殺すにはきっと相手の体中をめった刺しにすることになる。でも拳銃はナイフとは違う。撃鉄を起こして、引き金を絞る。それだけだ。
クロエはいずれ私にも誰かを殺すように迫るだろう。その時にこれを持っていけば、一瞬だ。撃鉄を起こし、銃口を相手の頭に押し付ける。目を背けてまぶたを閉じ、引き金を引く。轟音がして、衝撃で腕が跳ね上がり、私の腕や頬に
そうだ。これならクロエを殺すことだってできる。この城で最も戦いに手慣れた様子である咲さんだって、背後から不意打ちを狙えば倒せるかもしれない。そこまで考えて、拳銃を手にした途端に私はこれで誰を殺すかということばかり考えていたことに気付く。この小さな道具は、僅かな切り傷で怯えてしまったような私の矮小な思考を、あっという間に殺人鬼同然に変えてしまっていた。
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