第二話 逃げる場所が見つからなかったこと

 金髪の女の人が部屋から出て行ったあと、私はナイフを握ったまま呆然とその場に立ち尽くしていた。めぐみちゃんを、殺す。意味がよくわからない。なぜそんなことをしなくちゃならないんだろう。それに、殺すって、どうやって殺せばいいんだろう。

 

 そうしているうちに、急に慈ちゃんがコホッっと小さく咳をして、それから頭を上げた。良かった、目が覚めたみたいだ。私はナイフを床において、慈ちゃんのそばに駆け寄った。膝を突き合わせるように座って、顔を覗き込む。


「慈ちゃん、大丈夫?」


 私が声をかけると、慈ちゃんは私をしばらくぼんやりと見つめたあと、急にはっと目を見開いて、私の名前を呼んだ。


「ここはどこ?」


「私にもわからないよ」


 窓もひとつもないし、何の音も聞こえない。空気がひんやりとしていたけど、それはこの季節にしては少し暖かいと言えるくらいなのが不思議だなと思ったくらいで、ここがどこなのかは本当に見当がつかなかった。


「ねえ、この手首のやつ、外してくれない?」


 私は立ち上がって慈ちゃんの手首にはめられた鉄の輪を調べてみた。冷たくて黒っぽい鉄で出来ていて、大きな南京錠かぎがついている。試しに掛け金を引っ張ってみたけど、びくともしなかった。あの女の人なら鍵を持っているだろうと思ったけれど、頼んでも貸してくれそうな気はしない。


「だめ、外れそうにない」


「じゃあ、誰か助けを呼びに行って」

 

 鉄格子の隅には小さな潜り戸があったけど、そこにも南京錠かぎが掛かっていた。そういえば、さっきあの女の人が出て行った時にがちゃりという重い音がした。鉄格子を両手で掴んで、足をかけて思い切り引っ張ってみたが、わずかにガタガタと動くだけで、とても戸が開く様子はない。鉄格子の間隔は狭くて、頭だけでも通ることはできなかった。


 ナイフを拾い上げて扉の隙間に差し込み、ぐいと引っ張ってみたら、ぱきんと乾いた音がしてナイフの先が欠けてしまった。ナイフを壊してしまって、なんだかあの女の人に怒られてしまうかもと思ったけど、うまい言い訳は思いつかなかった。


 他にどこからか出られないかと思ったが、鉄格子の潜り戸のほかには、隅の方の床にはかすかに嫌な匂いが沸き上がってくる深い穴が開いているくらいだ。そこにも太い鉄格子がついていて、蹴ったり叩いたりしてもびくともしない。


「慈ちゃん、だめみたい」


「……じゃあどうするの?」


 慈ちゃんがそう訊いたけど、そんなこと私にもわからない。大きな声で助けを呼ぶこともできたかもしれないけど、ここが一体どこなのか全然わからないし、それにもしあの金髪の女の人に見つかったらなんだか怖いなと思った。


「金髪の女の人が来るかもしれないから、静かにしていたほうがいいと思う」


「誰? それ」


「その人に、慈ちゃんを殺せって言われた。そうすれば助けてくれるって」


 私が床に転がったままの欠けたナイフを指差すと、慈ちゃんはそれを見てから、わけがわからないというように私を見つめた。あの女の人のことを話してしまったのは失敗だったかもしれない。慈ちゃんを怖がらせるだけだと気づいたから。


「ねえ、それ……。ナイフ……捨てちゃおうよ」


 慈ちゃんは震えた声でそう言った。これを持っていたらまるで私が慈ちゃんを殺そうとしているみたいだし、私もこんなナイフは要らないと思った。それで、私は部屋の隅の穴にナイフを持っていって、そこに落として捨てた。穴の底のほうでかちんという音がしたが、覗きこんでも暗くて何も見えなかった。そうしたら、慈ちゃんは少し安心したように大きく息をついた。


「誰かが助けに来てくれるのを待とう」


 慈ちゃんはそう言って、私もそれがいいと賛成した。それから、私たちは肩を寄せあって座って、ずっと映画の話をしていた。慈ちゃんはこのあいだテレビでやっていた映画の話をして、オチをばらさないように慎重に映画のストーリーや出演している俳優のことを話してくれて、それに私は相槌を打ちながら聞き入っていた。騙されて牢屋に入れられた主人公、そしてその刑務所の中で必死に生きること。でも、その映画のラストだけは、慈ちゃんは教えてくれなかった。


 慈ちゃんは時々、肩や手首が痛そうに動かしていたり、顔をしかめたりしていたけど、それについては何も言わなかった。それを私に訴えても仕方ないし、心配をかけるだけだと思ったんだろう。私もこのあいだ新任の高木先生と担任の松山先生がとても仲良さそうに話しているのを見かけた話をした。いつ助けがくるのかという話はしなかった。それを話すと、すごく怖くなってしまう気がしたから。


 それから、卒業したあとには別々の学校に行くことになるけど、休みの日は一緒に遊びに行ったりしようと約束をした。そうして、私たちの声が他の誰にも聞こえないように、ささやくように話を続けた。でもここはとても静かで、それでいてとても声が響くので、なんだか誰かにすべて聞かれているような気がしていた。


 もう、何時間経ったのかもよくわからない。いつの間にか私たちは疲れて眠ってしまったみたいだった。私が次に目が覚めたとき、目の前の鉄格子のそばの床に、何かキラリと光るものが置かれているのに気付いた。それは——私が部屋の隅の穴に捨てたのと、まったく同じ形のナイフだった。

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