第一話 殺しなさいと言われたこと
私と
ここで目が覚めたとき最初に気がついたのは、確かおしりの下のひやりとした感覚だったような気がする。目を開けると、最初に目に入ったのは、たくさんの黒っぽい棒がおなじ間隔で並んでいる光景だった。そういうのを『鉄格子』っていうのは、後になって
私は石の冷たい床にぺたりと座り込んだ姿勢で、両腕はバンザイしているみたいに持ち上がったままになっていた。手首にも冷たくて硬い感触があったので、背を反らせて手首のほうを見上げてみた。すると、天井から大きな輪の鎖がぶら下がっていて、その先端に取り付けられた重そうな鉄の輪が私の手首にはまっているのが見えた。試しに鎖をぐいと引っ張ってみたが、鉄棒の懸垂みたいに体が持ち上がるばかりで、手首が鎖から外れそうな様子はまるでなかった。
その部屋は床も壁も石でできていて、大きさは私の部屋より少し広いくらいだと思う。部屋の中には明かりがなくて薄暗かったけど、鉄格子の向こうの壁には黄色っぽい光のランプがかかっていて、光がゆらゆらと揺れていた。それで部屋中に伸びた鉄格子の影も動くので、まるで部屋全体が揺れているみたいだった。すべてがしんと静まり返っていて、耳を澄ましてみたけど聞こえるのは自分の呼吸の音、それと手首を動かした時に鎖の輪が小擦れ合ってわずかにたてるガリガリという音くらいだ。
誰かいませんか、と呼びかけてみたけど、蚊の鳴くような声しか出なかった。そういえば、私は大きな声を出すことが苦手だった。コンビニで肉まんを買う時も、店員さんが聞き取れなくて聞き返されることがよくあった。いったいどこなのかもわからないところ、誰が聞いているのかもわからないところで、大きな声をだすのはちょっと気が進まなかった。
そうしているうちに、鉄格子の向こう、廊下の奥のほうでガチャリという音がして、コツコツという足音が近づいてくる。現れたのは、金髪の女の人だった。女の人は暗い赤い色をした丈の長いドレスを着ていて、
「目が覚めたのね。何も怖がらなくていいわ」
私が声も出せずにいると、女の人が優しい口調でそう言った。外国の人かと思ったけど、言葉はごく自然な日本語だった。背が高くて、顔はとても白く、目鼻立ちもはっきりしていて、でも何歳くらいなのかはぜんぜん私にはわからなかった。新任の高木先生と同じくらいの歳にも見えるし、お母さんよりも年上のようにも見える。
「……ここは、どこですか」
私は声をどうにか絞りだして聞いてみた。あまりに小さな声だったから、ちゃんと女の人に聞こえているといいんだけど。
「それはいずれわかるわ。何も心配いらない」
女の人はそう答えたが、何一つ聞こえていないかのようにずっと私の顔を眺め回している。私の顔を眺め終わると、髪をすくいあげて撫でたり、私の指に自分の指を絡ませたりしてきた。
「……助けてください」
「ここは危険ではないわ。あなたを傷つけようとするものは誰もいない。それも心配いらないわ」
この女の人は、心配いらない、と繰り返すばかりだ。優しい声や、ドラマや映画でしか聞かないような女の人らしい言葉遣いは好きだと思った。でも、この人は私の言葉をよく聞いてくれるけど、決して聞き入れてはくれないという気もした。
私はもう家に帰りたかった。何がなんだかわからなくて怖かったし、昨日の夜に録画した魔法使い学校の映画を、家に帰ったら見る予定だった。それから、明日学校で友達の
「……帰りたいです」
「そう。帰りたいのね」
そう言って静かに微笑んだまま、女の人はじっと私を見つめる。この女の人は私を助けてくれないのだろうか。
「あの、これ外してくれませんか」
これ、とは手首に繋がった鎖のことだ。ずっと繋がれたままの同じ姿勢なので、鉄の輪が食い込んだ手首も、持ち上がったままの肩も痛い。
「あなたにはやらなければならないことがあるの。鎖を外してあげるから、私についてきなさい」
そう言うと、女の人はどこからか小さな鍵を取り出した。女の人が私の手首のあたりをいじると、かちゃりと小さな音がして、急に私の両腕がふらっと落ちてきた。あまりに急だったので、バランスを崩して私は横にべしゃっと倒れてしまった。女の人が私を抱きかかえて起こしてくれて、それから立ち上がるのにも手を貸してくれた。
私は女の人のあとについて小部屋を出た。行き先はすぐ近く、隣の部屋だった。そこには、女の子がひとり、私と同じように鎖に繋がれていた。まだ目を覚ましていないようで、鎖で繋がれた両腕を上に伸ばしたまま、頭をたれてぶら下がっている。隣の部屋で、私もきっとこんな格好で繋がれていたんだろう。俯いていて顔はよく見えなかったけど、服装や背格好で私には誰なのかすぐにわかった。
そのとき、私はここで目を覚ます前にどこにいたのかを思い出した。慈ちゃんと私は学校からの帰りだった。もうすぐ卒業だね、そうしたら別々の学校になるね。そういう話をして、なんとなく寂しくなって、どちらから言い出したかは忘れてしまったけど、たぶん三年ぶりくらいに手を繋いで一緒に帰ったんだった。
確か大きな黒っぽいワゴン車のそばを通ったときだった。クルマのドアが急に開いて、私たちはふたりともものすごく強い力であっというまにクルマに引きずり込まれた。口を塞がれて、シートに押し倒されると左腕にチクリとした痛みが走って、それからは何も覚えていない。
金髪の女の人は、キラリと光る棒状のものをどこからか取り出した。最初は包丁かと思ったけれど、包丁とは少し形が違っていた。包丁よりは少し小さいけど代わりに厚みがあって、刃が両側についていている。刃は鏡みたいにつるりと磨き上げられていて、黒っぽい色の木の持ち手が付いている。女の人はそれを私に握らせた。ずしり、とびっくりするほどの重みがあった。
「あなたの友達を殺しなさい。そうすればここから出ることができるし、食べるものもあげるわ」
金髪の女の人はさっきと変わらない優しい口調で、私にそう言った。
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