第二十話 嫉妬
ベッドの上で私は激昂して荒く息をする凛を胸に抱きしめ、どうにか落ち着かせようと背中をさする。
「……私はもう三人殺してるんです。あとひとり殺すくらい、なんでもありません。私は強いですから、クロエ様なんて簡単に殺せます」
凛は自分に言い聞かせるように呟く。地下牢で茶髪の少女を殺した時の、凛の淀みない手際を思い出した。凛は私とは違う。凛がもし思い切った行動に出たら、子どもの癇癪で済まされない事態になってしまうだろう。
「本当に何もされてないよ。お茶を飲んで、それで隣で寝ていただけ。キスとかはしてないし」
「キっ……」
言い訳が過ぎて墓穴を掘ったような気もしたが、キスというあからさまな単語を耳にして凛も動揺したようだった。まあ私も身体を見せたりクロエの胸を揉んでみたりしたから、添い寝しただけとは言い難いが、あやういところで踏みとどまった感じだからいいだろう。何でもいいから、落ち着かせなければ。
「凛とも一緒に寝ているでしょう。クロエ様とも同じようにしただけだよ。クロエ様も寂しいときがあるんだと思うし、凛とばかり一緒に寝るのも不公平なんじゃないかな」
不公平だから、などという実にくだらない理屈で言いくるめようという自分の浅はかさに嫌気が差す。凛が感じた不安や怒りは、そんな陳腐な理屈で納得し乗り越えられるようなものではないだろう。でも私にはそんな言い訳しか思いつかない。私はとにかく言葉を重ねる。
「何も言わずに勝手に抜け出してごめんね。部屋を空けるときは、今度からは凛にもちゃんと話してからにするね。本当に何もなかったから大丈夫だよ。ハーブティーを淹れてもらったの。この城の子はみんな誘ったことあるってクロエ様は言ってたから、凜も呼ばれたことあるんでしょう?」
「……クロエ様のハーブティー、私も飲みました。すごく不味かったです」
不味かった、という言葉の言い方は、吐き捨てるかのようだった。ハーブティーは口に合わなかったか。普段の凛はクロエととても親しくしている。私がクロエを嫌いだというと、凛はクロエをかばうくらいだ。クロエのことをここまではっきり否定的に言ったのも初めてだという気がする。そのくらい怒っているのだろう。でも自分が行ったのと同じただのお茶会だとわかって、クロエに何もされていないことは納得したらしい。凛の身体から少し力が抜けた。
「……クロエ様はお姉ちゃんのことをよく変な目で見ています。クロエ様は、大人で、その……えっちだから、お姉ちゃんにも何かしたと思ったのです」
もし自分の姉が主人に強引に身体を弄ばれたなどといったら、それは凛は妹として怒りを覚えて当然だろう。それにしても、凛の発想がそこまでだったとは意外だった。
「それなら私もでしょう。地下で凛に無理やり変なことしちゃったから」
あのときのことを思い出したのか、凛の顔がみるみる赤くなっていく。
「……それは、もういいです。奏お姉ちゃんはえっちではありません。お姉ちゃんはしてもいいんです」
怒りや混乱が羞恥心で紛れたのか、凛の怒りはひとまず落ち着いてきたように見える。凛がクロエへの殺意を口にしたことが誰かに知られたら、間違いなく凛は拘束されるだろう。私ならともかく、凛の場合は冗談では済まない。
「クロエ様を殺すとか言っちゃ駄目だよ。そんなことをしたら今度は凛の身も危ないし、もしそれで凛が怪我をしたりしたら、お姉ちゃん悲しいよ」
私がそう諭すように言うと、凛はこくんと頷いた。我ながら下手な説教だと思ったが、凛は素直に受け止めてくれたようだ。
「……本当は殺すつもりなんてありませんでした。お姉ちゃんがびっくりすればいいと思って、わざと怖いことを言いました。ごめんなさい」
さっきの凛の声には、本気でやりかねないと思わせるだけの凄みがあった。それにそんな器用な演技ができる子だとも思えない。おそらく本当に殺意を抱いていたのだろうが、私を安心させるためにそう言って謝ったのだ。凛が凶行に走ったら、それこそ私は凛を守りきれない。この子は一見落ち着いていて冷静なようで、まだとても不安定な子供なのだ。
クロエを殺せば、この城での私と凛の生活はきっとお終いになるだろう。私にはできない幕の引きかただけど、凛にはきっとそれが出来てしまう。でもそれはおそらくほとんど最悪の結末だ。たとえクロエの殺害に成功しても、その後で私たちはあっという間に他の使用人たちに捕まって殺されてしまう。ましてや、失敗なんてしたら私たちはどんな恐ろしい目にあるのか、想像もつかない。
それに、クロエを殺すことは凛の心に更なる負担をかけることになる。クロエはもはや凛にとって知らない他人ではない。凛は親友の死にあれだけ悩まされているのだ。クロエを手に掛けることは、あの子の一生に癒えることのない傷を残すかもしれない。第一、私はこれ以上凛に手を汚すようなことをして欲しくはない。たとえそれが、クロエの支配から逃れる唯一方法だとしても。だから、もしクロエを殺さなければならない時が来たら——それを遂げるのは、今度こそ私の役目だ。
————————
扉をノックする音で目が覚めた。凛が眠ったまま私の手をしっかり握っていて、私は起こさないように注意深く凛の指を引き剥がした。カーテンからは太陽の光が射し込んでいて、とうに日は高く登っている。私が扉を開けると、廊下で咲さんが少し不機嫌そうな顔をして待っていた。
「凛は?」
「まだ眠ってます。ごめんなさい、すぐ起こします」
「今日は朝から訓練の予定だったけど、まあいいわ。寝かせておきなさい」
深夜に目が覚めた凛は、寝不足だったらしい。あのあと私のベッドで一緒に寝ると、凛はすぐに眠りに落ちた。ただし私の手は逃がさないようにしっかりと握って。
「それで、朝食のあとでいいから、
ここに来てからしばらくは、ときどき頼まれて誰かの手伝いをするくらいだったが、私にも何か仕事が割り振られるらしい。それから、と咲さんが私に顔を近づけて言う。どちらかというとクールな雰囲気の人だが、いつにも増して冷たい表情をしている。
「……クロエ様に気に入られたからといって、あまり調子に乗らないで」
私を鋭い目で睨むと、咲さんがぼそりと言った。これと同じような言い方を、以前にもされたことがあるのを思い出して、私にはすぐピンときた。そうか、この人。
「クロエ様のこと……。昨日の夜は何もなかったですから、気にしないでください」
「……クロエ様のことは、別に普通よ。主を敬うのは当たり前のこと。ここではあなたもただの使用人なんだから、身の程をわきまえなさいってこと」
咲さんはわずかに頬を赤らめると、また不機嫌そうに鼻を鳴らして去っていった。クロエが昨日のことを咲さんに話したようだ。クロエのことだから、どうせ話を大げさに膨らませて、咲さんの反応を面白がっていたに違いない。ややこしくなってきた。
しばらくすると凛も自然に目を覚ました。ベッドに腰掛けて凛の顔を眺めていた私を見つけると、照れくさそうに目を伏せて、おはようございます、と小さな声で言った。のんびりと起き上がると、窓の外に日が高く登っているのに気づいて、それから時計を見て、ぱくぱくと口を動かして冷や汗を流し始めた。
「もうこんな時間……たいへん……怒られる……」
咲さんは見た目通りに時間に厳しいのだろう。確かに怒ると凄く怖そうな印象がある。まあ、昨日の凛もじゅうぶん怖かったが。
「さっき咲さんが来て、凛は寝てていいって言ってたよ」
凛はそれを聞いてほっとため息をつく。でも目元に少し涙が溜まっていて、そそくさと着替えを始めた。よほど怖いのだろう。咲さんはさっき凛を叩き起こすようなことをしなかった。きっと、表面上は厳しく見えるが、実は優しいというタイプの人なんだろう。
「朝ごはんを食べたら、ふたりで咲さんのところへ行こう。一緒に謝ってあげるから」
凛はこくんと頷いた。もしあまりに凛を厳しくしかるようだったら、私がクロエの話を出してしまおう。そうすればたぶん咲さんはそう厳しく怒れなくなるはずだ。私はまた睨まれるかもしれないが。
私と凛は冷蔵庫の残り物を貰って朝食を済ませた。咲さんのところへ行くと、咲さんは涙目の凛を見て溜め息をつき、別に怒ってないから、と言った。凛がごめんなさいと言って咲さんの腰にしがみついたので、咲さんは少し鬱陶しそうに凛を引き剥がした。でもちょっと顔が赤くなっていて、厳しいが凛を教え子として可愛がっている様子は伺えた。一部始終を伺っていた私も睨まれて、そこで退散することにした。
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