第五話 地下牢
目を開けるとそこには重々しい鉄格子があって、それだけでもひと目でここが普通の部屋ではないことがすぐにわかった。床はすべて石畳、壁も天井も石で出来ている。空気は湿っぽく、頬には
私の両手首には分厚い鉄の
ドラマで見たことのある警察署の留置場にも似ていたが、留置場はこんなごつごつした石造りでもなければ、鎖で拘束されるということもなかったはずだ。そのうち、こういう部屋を何と言うか思い出した。地下牢だ。あまりに現実感のない光景に、まるでファンタジーの世界に迷い込んだみたいな気がした。
とてもこの世のものとは思えないほどの静けさだった。耳を澄ましても、道路を自動車が走る音や、鳥の鳴き声、そういった耳慣れた音は一切聞こえない。あまりに超然とした雰囲気に、ここはひょっとしたら死後の世界なのではないかと思ったくらいだ。でも、膝に見覚えのない大きな絆創膏が貼られているのを見て、死んだわけではなさそうだと判断した。死んだのなら、たぶん治療は必要ないだろうから。
いつ治療されたのかはまったく覚えがないが、なぜ膝を擦りむいたのかはすぐに思い出した。たしか、学校から下校するときだ。自転車に乗っていて、とつぜん後ろから激しい衝撃を感じて、私の体は宙を舞い、それから黒い車体の上をぐるりと転がった。自動車に跳ねられたんだとわかったのは、そこからアスファルトの硬い地面に打ち付けられて、目の前でカチカチと回る自分の自転車の後輪に気付いたからだ。それで、転んだ時に膝を擦りむいて痛かったこと、そのときその自動車のヘッドライトがとてもまぶしくて、他には周囲が何も見えなかったことまでは覚えている。
あのとき、自宅で練習しようとトランペットを背負っていたことも思い出した。もしかして転んだ時に壊れていなかっただろうか。あれを壊してしまったら、先輩たちや顧問の稲垣先生になんて説明をすればいいのだろうか。でも、後ろからはねた自動車がすべて弁償してくれるんだろうか。鎖にぶら下がったまま、私はあたりを見回したが、トランペットのケースはおろか、通学カバンも何もかも、私の荷物はどこにも見当たらなかった。
衣装は下校時に来ていた学校指定の制服のままだった。特に乱れもなさそうで、それだけはひとまず安心した。最近、近所に変質者が出るという話を聞かされていたので、もし私がそのような人間に誘拐されたのだとしたら恐ろしかったからだ。そうでないとしても、私が誰かに誘拐されてここに来たことは間違いなさそうだが、それにしては場所も小道具も手が混みすぎている。それより、むしろテレビのバラエティ番組で、古城に囚われたお姫様の役を急にやらされたとか言われたほうが、よほど納得しそうなくらいだ。
手首が外れないかどうか、鎖をがちゃがちゃ鳴らして手枷を動かしていると、奥のほうで扉が
廊下の奥から姿を現したのは、長い金髪の女だった。ひとまず男でないことにだけは安心した。暗い紺色の丈の長いドレスを着ていて、黒いハイヒールはもともとの大柄な体格を更に大きく見せていた。彫りの深い欧米人のような整った顔つきで、それが地下牢の雰囲気に妙に似合っている。——恐怖が、一瞬にして息もつけないような嘆息へ変わる。その陶器のように白く滑らかな肌や、意志の強そうな大きな目は、思わず息を呑むほどに美しかった。
「気分はどうかしら」
フランス語か何かで話しかけられたらどうしようかと思ったが、女の口から出てきたのは
「……この鎖を外してもらえませんか」
私が望んでいることなど見ればすぐにわかるとは思うが、一応口に出してお願いをしてみた。しかし女は何も言わず、私の頬に手を当てて顔を覗きこんでくる。見知らぬ女に、しかも白人の女にそんなことをされたのは初めてで、驚きのあまり私は固まってしまっていた。それから私の髪をすくったり、手指をさすったり、私を値踏みするかのよう。スーパーで客に品定めされるキャベツにでもなった気分だ。
「ここは……どこですか」
やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。自分はもう少し気の強い人間だと思っていた。痴漢に触られると、誰でも怖くて声もあげられなくなるという。きっと今はそんな感じだ。
「もしかして……死後の世界とか……」
冗談というわけでもないが、なんとなく最初に思ったことを訊いてみた。私がそう言うと、金髪の女はくすりと笑った。
「あら、あなたはこうして生きているじゃない。こんなに顔色もいいのに」
そう言った途端、女の顔が近づいてきて、唇に柔らかい何かが押し付けられる感触がした。同時に女は私の太腿に手を這わせてきた。ひやりとした感触に、思わず足を引きつけて体が縮こまる。
私はわけがわからなくて思わず足をばたつかせたが、それに構わず女の手は制服のスカートの中にまでするりと入ってきた。赤の他人の手にまさぐられる、今まで感じたことのない感覚のあまりの気持ち悪さに、私は思わず体をくねらせて逃げようとした。でも鎖に拘束された私に、抵抗する余地は残されていなかった。その手つきはとても優しくて、痛みなどはなかったが、それでも私の体は本能のままにびくびくと悶える。女の手は、私の体のあらゆるところを触っていき、時には衣服や下着の下にまで滑り込んできて、それが唐突に終わった時には、私の全身はどこにも力が入らないほどぐったりと疲れ果てていた。
「こういうことをされたのは、初めてかしら」
女が何事もなかったかのように尋ねる。当たり前だ。誰にもこんなふうに体を触らせたことはなかった。初めて見た時はずいぶん美しい人だと思ったが、とんでもない変態だった。小汚い男になぶられるよりはマシかもしれないが、それでも肌に残る変な感触に吐きそうだ。睨みつける私の眼にも気づかない振りなのか、女は淡々と言葉を続ける。
「あなたにはやらなければならないことがあるわ。もうすぐここに
絶句した。私にこんな非道いことをしたうえに、さらにそんないやらしいことを命令するとは。この女、どう見てもまともじゃない。女は小さな鍵を取り出して、私の手首のあたりをいじった。かちゃりと小さな金属音がして、私の手首の拘束が解かれた。全身に残る気持ちの悪い感覚に、手枷の角で擦りむいた手首の痛みも忘れて、自分の肩を抱いて身を縮めた。もう触られたくない。ひたすら気持ち悪い。
鍵を持っていることからみても、私を監禁しているのはこの女で間違いないらしい。女はさっと
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