第四話 新しい服と名前をもらったこと

 私がめぐみちゃんの胸にナイフを突き刺してから、三十分くらい経っただろうか。座り込んだままぼうっとしていると、遠くでキイと扉がきしむ音がして、金髪の女の人が早足にこの鉄格子の部屋に入ってきた。あれだけずっと姿を見せなかったのに、言われたようにした途端に現れたのは、少し不思議な気がした。


 よくやったわ、と金髪の女の人は言って、それから私のことを優しく抱きしめた。この石畳と鉄格子の部屋は血や汚物の匂いが入り混じってとても臭かったし、私の体もぐちゃぐちゃに汚れていたけど、それでも金髪の女の人はぜんぜん気にしない様子で、私の髪をなでたり手を握ったりした。


 それから、もう一人別の女の人が入ってきた。この人は別に外国人っぽい顔立ちというわけではなく、黒っぽい服に白いエプロン、それから黒いタイツを履いている。ふちのない眼鏡を掛けていて、どこか真面目そうな感じがした。その人は金髪の女の人のそばに来ると、金髪の人にストローの刺さったボトルを差し出した。


 金髪の女の人はボトルを受け取ると、私の口元にストローを向ける。私がこの数日で口にしたものといえば、壁に結露でくっついたわずかな水滴だけだ。ストローをくわえて吸い込むと、まるで洪水のように水が流れてきて、私の乾いた喉を潤した。


 中身はあんまり甘くないスポーツ飲料のような味がして、別に美味しいわけではなかったけど、でも久しぶりにたっぷりと水を口にして、余計に喉が渇いてきた気がした。もう少し飲ませて欲しいと言ったけど、金髪の女の人は、二口くらいしか飲ませてくれず、ボトルはすぐに下げられてしまった。ドリンクを飲ませてあげたいと思って慈ちゃんの方を見たけど、慈ちゃんはもう死んでいることを思い出した。慈ちゃんは相変わらず石で出来ているかのように、頭を垂れたままぴくりとも動かなかった。


「まずは、体を洗って着替えましょう」


 金髪の女の人がそう言って立ち上がったので、私も立ち上がろうとしたけど、ぜんぜん足に力が入らない。金髪の女の人と眼鏡の女の人のふたりに抱きかかえられるようにして、私は立ち上がった。鉄格子の扉をくぐるとき、これでもう血塗れになった慈ちゃんのことは見なくて済むと思って、それだけはなんだか少し安心した。


 金髪の女の人に抱えられて、石造りの廊下を歩いてゆく。その廊下のわきに少し新しい木の扉があって、それを押し開けると、さっきの鉄格子の部屋とは少し雰囲気の違った板張りの小部屋になっていた。奥にはもうひとつ小部屋があって、その部屋には一面に薄桃色のタイルが貼られている。小さなシャワー室のようだ。


 金髪の女の人と黒い服の女の人とであっというまに汚れた服を脱がされて、白いタイルが貼られた明るいシャワー室に通された。この建物は全体的にとても古そうだと思っていたけど、このシャワー室はなんだか場違いなくらいに新しかった。すぐに金髪の女の人も服を脱いで一緒に入ってきて、一緒に熱いシャワーを浴びた。金髪の女の人は、血なまぐさい匂いがとれるまで何度も何度も私の髪を洗ってくれた。それから、服を着る前に身体にほんのすこしだけ香水をつけてもらったら、さっきまでとは別人のようになった気がした。


 シャワー室を出て体を拭くと、真新しい服や真っ白の下着を渡された。さっき飲み物のボトルを持ってきた人と同じような、黒のワンピースと白いエプロンの組み合わせの衣装だ。こういう大人っぽい衣装を着るのは、入学式のとき以来かもしれない。不思議なことに、試着もしていないのに衣装のサイズはぴったりだった。


 服を着ると、私は大きな鏡の前に連れて来られた。私は今まで着たことのないような服だったし、自分の顔を見るのも何日か振りだったから、鏡の中のそれが自分だということがわかるまでちょっとだけ時間がかかった。金髪の女の人は、私の肩に手を置いて言った。


「あなたは友達に酷いことをしてしまったわね。でも、これから罪の償いかたを教えてあげるから大丈夫よ。あなたの新しい名前は『りん』よ。それ以外の名前を名乗っては駄目。それ以外の名前で呼ばれても返事をしては駄目よ。わかったかしら、凛」


 よく意味が飲み込めずに私が押し黙っていると、女の人はずっと私のことを見ていた。どうも返事をするのを待っているらしい。それで私は、はい、とだけ答えた。


 鉄格子の部屋からは出られたけど、どうも私は『罪』を償うまではここにいなくてはならないらしい。確かに、私は慈ちゃんを殺してしまった。それはとても悪いことだ。私だけすぐに帰るのは、慈ちゃんにずるいと言われてしまいそうな気がした。


「それじゃあ、食事にしましょうか」


 金髪の女の人はそう言って、私をシャワー室から出るように手招いた。食事、と聞いた途端、頭の中は私の好きなピザとかプリンとかでいっぱいになった。もうお腹が空いていることすらよくわからなくなっていたけど、目の前に用意されたらきっと凄い勢いで食べてしまうだろう。これでようやく、この重苦しい部屋から出られる。慈ちゃんから離れられる。ここであったことを忘れられる。私はそう思った。

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