⑥
「……ごめん、こんなくだらない話で20分も経ってしまった」
私はアホなのでは、と桜は頭を抱えた。――話せと言ったのは雅さんだけど、こんなに話し込む予定ではなかった。しかもこんなに醜くて、希望もなにもない話なんて、家庭教師の私がすべきではなかった。なのに、少し話そうとするうちにこんなことになってしまった――もう、クビだけでは詫びきれない。
「本当にごめんなさい。今の話、忘れて」
「忘れなきゃ、いけない?」
「忘れた方が多分、身のため。こんだけ話しておいて何だけど」
「でも、それが本当にあったことなんでしょ」
それはそうだけど。
「こんなことになったのは、私がトロかっただけの話だし、雅さんならきっと、もっと楽しい中学、高校生活を送れるはず」
可愛くて、物をはっきりと言える雅さんなら、きっとこんな事にならない。こんな話して、本当にごめん。お願いだから、学校生活を怖いと思わないでほしい。
「雅ならって、先生別に雅のこと知らないでしょ」
少し、強い口調で雅さんが言った。――確かに、桜は雅さんを知らない。桜が知っているのは、英語は割と得意で、数学は嫌いで苦手だと思っているんだけど、本当はただケアレスミスが多いだけ、そして集中力があまり無い。そんな事ばかり。でもそれは別に「雅さん」のほんの一部に過ぎない。
「誰かに私のこと、知ってほしいってずっと思ってた。ママもパパも仕事で忙しいし、私、ワガママだから、友達もそんなに多くない。――だけど家庭教師の先生なら、って思ってたの。だけど今まで、どの先生も私がどんな人なのかってことに全く興味はなかった」
一気に捲し立てる雅さんを見て、桜はただただ呆気にとられていた。
「でも山本先生、先生ははっきり言って隙だらけだった。――初日からまさかゲームにまで付き合ってくれるとは思わなかった」
……えらいすんません。考えてみれば、ノルマが甘いことを理由に、かなり遊んでいる。
「……逆に、この人ならいつか、私のことを見てくれるかもしれない、そう思った。だから山本先生が考えていること、聞いてみようと思ったの。昔、ママに言われたことがあるの。相手に理解してもらいたかったら、まずは相手を理解しようと努めること、って」
それで考え事の内容を話せと言ったのか。
「汚い所も全部包み隠さず話してしまったのは想定外だったみたいだけど、別に私はそれでいい。言葉に嘘がある方が、嫌」
嘘なんて当たり前だ。この世の中、真実だけを話していてはやっていけないことを、桜はもうわかっている。自分の汚い内面を上手く隠せるかどうかで、世渡りの上手さが決まってくる。
それでもこの子――雅さんは、桜が本当の自分の内面を話すことを望んだ。
「先生のこと、私、もっと知りたいなって思った。先生、私のこと、すぐにじゃなくていいから、だから、いつか私の話をきいてね」
……なんかよくわからないけど、クビを回避したようだ。桜は心の中で少し笑った。雅さんもきっと、雅さんなりに、何かを抱えているのだろう。拙い言葉の必死さからそんなことを考えた。
わかったよ。毎週のノルマをクリアできる範囲内ならね。もしかすると授業延長になるかもよ。そう言いながら桜は願った。これから先、雅さん――この小さくて、ワガママで、だけど人一倍寂しがり屋で嘘が大嫌いなこの中学生の女の子が、これから先ずっと正直な自分で居られますように。誰かより自分が幸せか、なんてくだらない事を考えずに、自分が好きなように生きていけますように。勉強を教えてあげるのは当たり前だけど、その為だったらちょっとくらい時間を割いてあげよう。――まだ、桜が大学生でいられる時間は、たっぷりある。
『プライベート・ティーチャー』 fin
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