「恋、ねえ……」


 桜先生は苦笑いをした。


「そういえばこの間、私と大学時代のサークルが一緒だった男子と、今病院で一緒に研修受けている同期の女の子の初デートのお膳立てをさせられたわ……告白するだのしないだの、大変だったんだから。しかもその二人、幼馴染みだったらしくてさ。……なんだよ!幼馴染みの恋を今頃成就させてんのかよ!あいつらもうそろそろアラサーだろ!ああもう、幸せかよ」

「何荒れてるんですか」

「私ももう、26歳なんだなあ……人の恋愛ばっか応援している場合じゃないよ……」

「そろそろアラサー」

「うるさい」

「まあまあ、今日は飲みましょう」


 人のことアラサーって言っておいて、自分が言われたら怒るんですか!と雅は心の中で突っ込んだ。


「仕事が楽しくて、まだ良かったよ」


 口を尖らせながら先生はそう言った。


「そんなに、楽しいんですか」


 雅には、想像がつかない。――正直、勉強が少しだけ、つらいから。


「まあ、そりゃあ大変だけど、小さな頃からの夢が叶ったようなもんだからね……そういう意味では、あいつらと私、同じくらいの幸せを掴んでるかもね」


 同じくらい。一番じゃないかもしれない、だけど確かに桜先生は今、幸せみたい。



「学生時代ね、きっと私、本当は楽しかったんだわ」


 桜先生が唐突に言った。――少し、酔ってるのかな。


「ずっと、未来の事しか考えないようにしてた――将来の自分は、自分の力で手にいれたものを武器にして、誰よりも強くなってるんだろうって。でも、今になって思うの。いつも満足することのなかった学生時代、もう戻れないけど、あの時だって私は普通に幸せだった」

「先生は、ずっと正しく生きようとしていたから幸せになれたんですよ、きっと」


 ありきたりな言葉だ、と自分でも思った。しかし人に意地悪をされても、本当は少々ゲスいことを考えたりしてしまっても、人を貶めたりせず、自分の幸せだけを願って生きる強さをもった先生が、充実した人生を送ることが出来なかったら、この世の中はなんなんだろう、そう思ったのだ。自分にはそんな強さはきっとない。


「間違っても、大丈夫なんだよきっと」


 なのに、先生は意外なことを言った。


「さっき雅さんが話してくれた化粧品カウンターのお姉さん、人の彼氏を取るのが趣味だったなんて、明らかに間違っているでしょう。でも今、本気の恋を見つけて幸せになろうとしている」


 確かに、そうだ。


「私だっていつも正しかった訳では無かったし。アラサーのくせに初恋を叶えた同期の女の子もさ、大学時代にほんの一時の気の迷いでサークル活動をメチャクチャにしてしまって、サークルをやめなきゃいけなくなった事があるんだって。今は、仕事場では本当に有能で、プライベートも充実してて、キラキラしている。――だから、大丈夫だよ」


 桜先生は雅を見て微笑んだ。


「雅さんだって、ちょっとくらい間違っちゃったって、大丈夫だよ。――この世の中は必ずしも勧善懲悪にはなっていない。ちょっとアンフェアだって思うかもしれないけど、それはそれで気楽でしょ?」


                 




 隣にいるこの子より私は幸せ?私はクラスで何番目に人気があるの?いつも余裕のあの子は、私のことなんてライバルだとも思っていないんだろうな――少なからず、そんなことを考えてしまう自分のスケールの小ささに絶望する。


 だから時々、女の子は間違える。


 それだけに、学校生活で起きるほんの小さなことで幸せを感じられるのだ。身近な人に「勝った」と確信できた時。誰か一人でも良い、自分が一番だと言ってもらえた時。頑張ってきたことで、誰かに認められたとき。自分に心を開いてくれる人が現れたとき。


 女の子にとって、全ての瞬間が醜くも、いとおしい。


                『私の二十歳を、あなたに見せたい』 fin

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