この時期、マスコミは3.11こと、東日本大震災の悲しいエピソードをわざわざ掘り起こしてきた上で「我々は忘れてはならない」というメッセージで啓蒙者を気取る。
おいおい待てよ、待て待てよ、と、その前にしっかりと振り返らなければならない日米間の黒歴史があるだろうと。
時は一九四五年、日時はまさに今この三月九日の夜間より襲来しつつあり、日付が変わった三月十日の午前〇時七分より東京は下町地区に焼夷弾の投下が始まった。
この大空襲(当時新聞は東京大焼殺と呼称したという)の被害はすさまじく、まず、数字だけ上げても
「当時の警視庁の調査での被害数は以下の通り。
死亡:83,793人[25]
負傷者:40,918人
被災者:1,008,005人
被災家屋:268,358戸[25]
人的被害の実数はこれよりも多く、死者約8万-10万、負傷4万-11万名ともいわれる。上記警視庁の被害数は、早期に遺体が引き取られた者を含んでおらず、またそれ以外にも行方不明者が数万人規模で存在する。(Wikipedia「東京大空襲」より)」
というものだ。
数の大小が事件の悲惨さや、首謀者の悪辣さを示す指標にはならないが十万人規模の死者数は、ヒロシマ原爆空襲にも匹敵する恐ろしい人数である。
原爆は放射線という毒をしばらく発生させるため、原爆投下後に入市した人員も含め、投下後もおよそ四ヶ月間の間、放射線障害で亡くなる人を続々と発症させた。
投下された焼夷弾は、こんな性質のものだった。
「六角形の金属製容器が建物の屋根を突き破ると、導火線が作動し5秒以内にTNT火薬が炸裂、その後に混入されたマグネシウム粒子によって、布袋に入ったナパーム剤を点火し、その推力で六角形の金属製容器を30m飛ばして半径27mもの火の輪を作り周囲を焼き尽くした。(Wikipedia「東京大空襲」より)」
これが
「焼夷弾は建造物等の目標を焼き払うための兵器だが、この空襲で使われた焼夷弾は小型の子弾が分離し大量に降り注ぐため、避難民でごった返す大通りに大量に降り注ぎ子供を背負った母親や、上空を見上げた人間の頭部・首筋・背中に突き刺さり即死させ、そのまま爆発的に燃え上がり周囲の人々を巻き添えにするという凄惨な状況が多数発生した。(Wikipedia「東京大空襲」より)」
わかるかな。
火の手が上がり、夜なのに町並みが照らされる中、必死で逃げ惑う群衆の頭や背中を貫いて即死させるだけでも悲惨なのに、肉体に突き刺さったままの場合、その被害者のご遺体を爆発霧散させ、そこから生まれた炎の池が、周囲の被災者、おそらくは、家族だったりご近所同士の仲間だったり、かけがえのない人達を巻き込んで死んでいくんだ。
こんな悲惨なことがあるか?
それも兵士ではない市民に対してだぞ。
非戦闘員への攻撃は、大東亜戦争開戦前より国際法上の禁止行為に当たる。
合衆国は当然、それを知ってて殺った。
折しも空っ風の強く吹く日で、焼夷弾の炎は米軍の予測を超えて広まった。
また、平坦な都市部での大火災にはつきものの
「至る所で巨大な火災旋風が発生し、あらゆる場所に竜の如く炎が流れ込んだ(Wikipedia「東京大空襲」より)」
「炎に酸素を奪われて窒息によって命を奪われた人々も多かった。(Wikipedia「東京大空襲」より)」
火災旋風はさながら竜巻の如く勢いを増し、低空を這い回るB-29の中には旋風に巻き込まれ、一回転してしまうものもあったという。
今の日本は、大きな意味でアメリカ文化圏の傘の下にいて、米軍の駐留も許している。
アメリカ人との個人的な交流を重ねるものも多く、度重なる国際的な舞台での、日本人の立ち居振る舞いから、特殊な尊崇を傾けられることすらある。
そう、今の日本にとって、アメリカはトモダチだ。
それでも、その当時のことに想いを馳せる人情があるなら、ヒロシマ、ナガサキ、阪神淡路、東日本大震災を気の毒に思う優しさがあなたの心にあるのならば、三月十一日と並んで、三月十日も絶対に忘れてはならない日だ。
東京大空襲。
一晩にして日本市民十数万人を焼き殺し、十数万人を負傷させ、実質数百万人ともいわれる被災者を出した、世界史上の大事件。
一八九九年に制定されたハーグ陸戦協定の第二十五条にはこうある。
第25条 防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
そして「第一次世界大戦後の1922年、ハーグ空戦規則が採択され、軍事目標以外の民間人の損傷を目的とした無差別空爆は禁止されていた。(Wikipedia「東京大空襲」より)」
米軍は、ドイツの諸都市と違い東京の下町は、高射砲の配置が微少で、その影響は無視できるとして、高度一万メートルという航空からの爆撃を改め、高度三千メートルほどの低空から攻撃をした。
そう、まさに「防守されていない都市」だから狙われたんだ。
でもそれは、狙われた方が悪かったのではない。
合衆国側は、上級指揮官も、指揮官も、兵士でさえも「正義ではない」事を理解した上で実行したんだ。
そう、「日本本土決戦が行われれば、数十万のアメリカ人の命が異国の地に散る。
それを未然に防ぐためには、日本に降伏を決意させるしかない。
それが、多くのアメリカ人、日本人の命を救う最善の方法なんだ」という正義を背負って実行したんだ。
例え今の僕たちが、如何にアメリカ由来の文化に親しみ、人生を寛がせようとも、人としての優しさがあるならば、絶対に忘れてはいけない。
戦時国際法に抵触する不法行為により歴史上類を見ない大虐殺を、合衆国が日本にしでかした、という事実を。