対談本で、そういって頷き合ったのは、七平と夏彦だったはず。
残念ながら今は多分入手不可能な書籍だろう。
七平のライブラリーなんか、日本教を把握するための必須書籍でさっさと電子版なりにして復刻させるべきだと思う。
ともかく、三月十一日に3.11の話しはしたくなかった。
一日ズラしたからもう、よろしかろう。
https://www.youtube.com/watch?v=xvJnC_Rvbcs この動画をみつけたのは昨年の夏過ぎだったんだけど、動画はあるいみ見慣れた津波被害の映像だと思う。
でも、この動画の凄いのは、投稿者の動画紹介欄だ。
是非、動画視聴のついででも良いので、動画下の灰色の、投稿者コメント欄の「もっと読む」をクリックして欲しい。
そこにはびっしりと書かれた、あの震災によって、店も、家も、先代の確かな技術も、何もかもを失った東北のお菓子店の再興への道のりが書かれている。
「成功するまであきらめなかった者こそが成功者だ」
と、自己啓発本は一行で書くが、成功をつかめなかった数多の挑戦者達は、あきらめたくてあきらめたわけではない。
個々に与えられた、境遇、事情、巡り合わせ、優先順位など、数多くの要素要因の中から「その時点での最適解」を選ぼうとして「諦める」道を選ばざるを得なかった人々だって沢山いる。
実際には違う。
もちろん本人の能力に帰するところが大半ではあり、それは努力によって底上げすることができる。
でも、トーマス・アルバ・エジソンもこういっている。
「天才とは1パーセントの閃きと、99パーセントの努力から成り立つ」
そう、100パーセントの努力では、絶対に辿り着けない境地こそ「成功者」の歩みなんだ。
もし、100パーセントの努力でなんとかなるなら、世界はとっくに電算機が社会を牽引する形になっているだろう。
人間が如何に努力しても辿り着けない計算速度と、人間が力を尽くしても及ばない情報集積能力、そしてその二つを過剰に掛け合わせることで導き出される、画像解析、音声認識、文章要約、適時検索、画像作成、音楽作成、自動応答、自動運転など、まずは計算能力に始まり、次ぎに情報集積を経て、現在は多要素認識に及ぶあらゆる分野で、人間の脳の能力を凌駕して補佐する機能が溢れている。
それでも、電算機と人間を隔てるのは、少数の成功者と数多の落伍者との決定的な差異は、それは「正しい努力を続けられる環境を得られるかどうか」にある。
そしてそれを得られるかどうかは99パーセント努力しても、100パーセント努力しても本人にも他人にもわからない。
ただ、間違った努力をする限り、1パーセントの閃きが舞い降りても成功はしない。
開拓者の前には道は無く、開拓者の足跡こそが道になる。
そして開拓者自身が、その努力が正しい道か正しくない道かなんて、ある程度進めてそして振り返ってみた時に初めてわかる。
だから成功したから素晴らしいとか、失敗しても素晴らしいとか、そんな賛辞は似合わない。
それでも、経済的な成功者の軌跡や、理論的な再現性の発見に至る軌跡は、
それはとても美しく、そして輝かしく見える。
もう、二年前の投稿だが、この菓子店の店主には「おめでとう」の言葉を捧げたい。
コヤマ菓子店
https://koyama-kashi.jp