十二年前のこの日は

 十二年前の三月十一日は、金曜日だった。

 突然の地震、それもビルのフロアが、波打つ海に浮かぶ小舟ほど揺れて、真っ直ぐに歩けないような、生涯遭ったことの無いような大きな揺れ。

 通路の先にある喫煙室には、天井から一メートルほどのケーブルでつるされた、ボール状のシェードが二列六組に並んでいたが、まるでオモチャかなにかのように、左右に開いて中央で激しくぶつかって、パン、パン、パン、パン、とオモチャのようにはじけていく。

 そうして、政府の不手際も重要な一因として混乱の日々が始まった。



 でも、三月は僕にはもう一つの厄災日の思い出がある。

 春分の日は神道には大事な日で、しかしそれは確か、「その二十四時間以内に、地球上のどこかで昼と夜の長さが一致する地帯が存在する」日の事を「春分の日」という。

 だから毎年春分の日は違う。

 そもそもその二十四時間以内に太陽が春分点を迎える事が条件であるため、祝日を強引に月曜日にずらす、いわゆる「ハッピーマンデー」制度の対象にはならず、天文学の上で定められた春分日を春分の日としている。

 当たり前だ、神道の由緒ある儀式の日だから、グレゴリオ暦の都合で勝手に月曜日にズラしていいはずがない。

 三月二十二日が春分の日だった年があると記憶していたが、「一九二四年から二〇九一年は三月二十日か三月二十一日」とのことで、それは僕の思い違いだったということになる。

 だから以下に書くことも僕の思い違いが混じっているかも知れない。

 三月二十日が月曜日の平日で、三月二十一日が春分の日の飛び石連休のカレンダーは、僕の意識の限りでは、確か一九九五年以来、二十八年ぶりだと思う。

 僕がどうしてこの暦の巡り合わせを気にするのかといえば、この月曜日はまさに、首都東京において「地下鉄サリン事件」と呼称される世情騒乱事件の日だからである。



 学校を出てしまい、コミュ障故にやることもなかった僕は、三月の頭から中規模の法律事務所のパラリーガルとして働き始めていた。

 早く起きる性分の僕は、毎朝人より早く出勤して、全員分の机の拭き掃除をしてから、当時すでに時代遅れとなっていた、5inchフロッピーの「ワープロ」に向かい、弁護士が手書きで書いた口頭弁論の準備書面を打ち込んでいた。

 その日は、定刻になっても誰も出勤しては来ず、「飛び石連休だから休みを取ってる人が多かったっけ? そんなこともないはずだけど」と考えていたら、勢いよく扉を開けて入ってきた先輩秘書が、僕の顔を見て「良かった~」と息をはいた。

 僕は、先輩秘書の青ざめた顔色に驚き「どうしたんですか?」と聞いたら、「地下鉄で爆発事件があったみたいで、事務所の最寄り駅も封鎖されていて、私も乗っていた地下鉄を途中で降ろされちゃって、歩いてここまで来たの」と答えくれた。

 当時は、インターネットもiモードも、ワンセグもなく、オフィスにテレビもなかった僕の勤務先の人々は、夕方ぐらいまで「都内連続爆破事件らしい」という噂話を繰り返していた。

 マスコミ関係の配偶者を持つ人が「なんか毒ガス? って噂があるらしい」と話していたけれども、みんな口を揃えて「それは無いだろう」と笑っていた。

 帰宅してテレビをつけて、初めて地下鉄の三路線にサリンが撒かれたことを知って驚いた。

 サリンという言葉自体、そのしばらく前に地方都市での事件の凶器として利用された、程度の知識しか無く、一方でマスコミは、「コリンエステラーゼがどうこう」「アセチルコリンがどうのこうの」と相変わらず核心に迫らない、どうでもいい周辺情報をまき散らしていた。

 そこから色んな不穏な事件が立て続けに起こった。

 その事件の実行者はとあるカルトの某だといわれ、マスコミは視聴率ほしさにそのカルトのスポークスマンを連日スタジオに呼び、彼らの主張を自由に実施させた。

 しかし結局はそのカルトの仕業で、おびただしい数の逮捕者を出すとともに、北朝鮮、ロシアとの関係も報道された。



 今から振り返ってみればなんのことはない、武力革命で現体制を壊し、新たな体制の中で独裁政権を敷こう、という企みを内包していた、共産主義者の亜種に過ぎなかった。

 末端の実行員に、その集団内でのみ通じる論理を持って正義を与え、世の中に反する行為を平然と実行させるところも、全く持って共産主義者と一致していた。



 もう一つ面白かったのは、そのカルトの問題点を長年追求している二人のジャーナリストなる人物が、さも、「自分はこのカルトの正体を正しく突き止めている」といわんばかりに、カルトの主張に反対するコメントを残しつつ、一人は「北朝鮮は関係しないのではないか」という主張を繰り返していたことだ。

 後年、そのジャーナリストは議員になり、北朝鮮よりの発言を繰り返していた。

 そしてもう一人の方のジャーナリストは社会問題のご意見番的立ち位置でニュース番組のコメンテーターに立つことが増え、韓国を擁護する発言をしていた。

 僕はその時ようやく、「ああ、あの時テレビにみせられていたあのカルト関連の報道は、北と南の代理戦争だったのだな」と理解するに至った。

 そしてあのカルトは、北朝鮮の出先機関でもあったのだと理解した。



 この国には「報道媒体」というものが潜在的かつ実践効率的に「洗脳機能」を有していることを理解していないものが多すぎる。

 僕は親に「テレビばかり見ていると馬鹿になる」といわれて育ってきたが、僕もある程度いい年になり、ネットから情報を拾うようになって、「拉致問題は北朝鮮の破壊工作だ」と親にいうと「そんなことは無い、テレビでもそんなことは言っていない」と返事してくるので、(あ~、なるほど。テレビばかり見ているとこんな風に馬鹿になるんだ)としみじみ思ったことがある。



 それなりに生きてきて、子供の時の考え方、感性と、親とのぶつかり合いと、ある程度成長した上での考え方、感性、そしてそれを裏付けるネットの情報の合致、そして「うちの親を代表とする世間こそ、テレビによって洗脳されている」と理解する切っ掛けとなったのが、この、無差別テロ事件だった。

 そして、たまたまその日、僕は何時もより一本速い電車に乗っていたが、何時もの電車に乗っていたら、僕もまさにサリンの毒を浴びていたことを知り、それが故に僕が直接罹災していなくても、忘れることのできない思い出としてのこり続けた事件、それが、「火曜日の春分の日に挟まれた、三月二十日月曜日の事件」だ。

 3.11の振り返りも大事なことだけれども、「カルト教団の狭い範囲の正義の恐ろしさ」や「テレビ・新聞といったマスメディアこそ、敵対海外勢力が便利に利用する洗脳装置であること」、「洗脳に一度はまった人間は、『自分の中の当たり前』に囚われ、なかなか新しい事実を受け入れられないこと」、「それら洗脳済みのいい年した大人がこの国の選挙権を持つ恐怖」について、改めて考えるべき、そんな日取りだと思っている。

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