僕が尊敬する歴史の偉人

 僕は常々、尊敬する歴史の偉人として、

東條英機元内閣総理大臣閣下

 のお名前を上げている。



 流石に僕も半世紀近く生きているので、万能な人間はいないこと、この国では民主主義の流行とともに、時の政治指導者が過ちを犯している、と主張することに「言論の意義あり」という勘違いも流行してきたこと、そして時代なりのよりよい判断を選べなかったことがいくつかあることも知っている。

 実際、東條英機元内閣総理大臣閣下は基本的に悪人としてしか評価されていないことも重々承知の上で「この国の指導者は、彼の如くあれかし」と思っている。

 対米開戦をなんとしても回避したいとお考えの昭和大帝が、開戦論という世論荒れ狂う世間に放った忠実な狼こそが東條英機元内閣総理大臣閣下の正体であり、そのご判断に報いるべく、なんとか開戦回避を目指していたのが歴史上の閣下のお姿であり、開戦に至っては独り自室で号泣し、戦時中に「国民の本当の困窮の姿が私に報告されていないようだ」と官僚共への疑念から公共のゴミ箱の中を確かめた人情深い一面が閣下のもう一つの側面であり、そして戦時中に総辞職に追い込まれ、敗戦後には「天皇と国民」という国体を護持するために連合国より猛烈に襲いかかる悪意に敢然と立ち向かい、そして忠勇な臣民の一人として開戦の全責任を背負い背負わされて、絞首刑に処され、遺灰は太平洋に散布された、そんなダークヒーローも顔負けの活躍、波乱の人生を凄し、後世にがっつりとした爪痕を残していったのが、

 そんな寂しいヒーローだったのが、

東條英機元内閣総理大臣閣下の実像である。

 だからこの動画をみつけた時はすこし嬉しく思った。

 どんな政治指導者にも非情に優秀な部分と、そして時代に有益な判断ができなかった闇の部分がある。

 ただ、戦争回避の強い意志をお持ちで、且つ敗戦が即ち世襲の国家元首という自らの処刑を意味することを重々理解しながら「敗戦」してでも国民を困窮から救いたいと願う昭和大帝をして「彼程朕の意見を直ちに実行にうつしたものはない。」といわせしむほど、お上の意見を尊重しながら国家を牽引した実力者なんて、日本の数千年に及ぶ歴史上においても、他に値する人が見当たらない。

 これは人事の話しのことで、お上の意志と下から上がってくる意見が相違したことを受け、一度お上に下から上がってきた意見を裁可させ、その上で総理大臣自らが取り下げる形で、総理大臣の判断によって「結果的にお上の人選にそぐう配置」を実行したもので、誰もがやりたがらない汚れ役を、総理大臣という立場を使って実現したことである。

 こうした強権的な言行が、戦中戦後をして彼を悪役に収めた一因であろう。

 しかし、昭和の昔に新入り社員が先輩や上司に頭をはたかれることが珍しく無かったように、大戦前後の戒厳の時代には、いや、令和の当代においても、与えられた一定の権限を元に、素早く、的確に決断して実行してこそ、組織のリーダーといえる。

 良い点だけを見て、人物を判断するのも間違った行為である。

 しかし、当代においても頭ごなしに「悪人」としてのイメージを背負わされる

東條英機元内閣総理大臣閣下に対しては、これぐらい良所を上げても、通俗的な悪役とのイメージと相殺されるくらいだろう。

 https://www.youtube.com/shorts/Y-KaikhlJ-M

 ショート動画なので、気軽にご覧いただきたい。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する