人々の共感を得られる言葉ほど、短く核心を突く

 「LGBT問題、これに尽きる…」

 が、比較的短めの動画で要領良く、明るく(渦巻く憎悪に飲み込まれず)解説されていたので紹介したい。



 https://www.youtube.com/watch?v=qzuBHtZgNAU



 そもそも諸外国とこの国とじゃ、この国唯一といえる違いがある。

 それは、国教に法典がないこと。



 多くの日本人は「あなたはどのような宗教を信仰していますか」と聞かれ、誠実な人は「私は無宗教です」、少し外人におもねる人は「仏教です」と答える。

 しかしそもそも、葬式を仏式で上げるから「私に一番なじみのある宗教といえば仏教になるのかな」程度の考えで答えているだけで、仏道にて身を正しているわけでもなければ、成仏するために生きているわけでもなく、そもそも、戒名をもらったら仏様扱いだ、くらいの認識しかない。

 よもや観音の名で知られる「菩薩」ですら未だ修行の身であるとか、その菩薩にも五十二段階の階層があるなどと知りもしない。

 さばかりか「おじいちゃんは仏様になったけど、その後生まれてきた○○君はおじいちゃんの生まれ変わりかも知れないね」などと祖父や曾祖父とよく似た子が生まれた時に、慈しみの言葉としてこんな矛盾した言葉が選ばれることもなくはない。

 日本人の仏教意識なんてその程度だ。

 ちなみに海外では「あなたはどのような道徳律によって己をただしていますか?」という意味を改めて確認したい時、つまり不道徳な振る舞いが目立つ場合や、逆に高い道徳意識を持っていると認められた時に「あなたの宗教は?」と尋ねられるのであって、「無宗教です」というのは「私は無法者で無政府主義者です。なのでどんな非常識なことでも平気でやります」の意味なので、日本人の精神世界的特徴を知らない外国人は困惑することになる。

 神道には、斯く有れかし、との聖典、法典はない。



 ただ、

 外出、帰宅の際に「逝ってきます」「お蘇りなさい」と挨拶すること。

 食事前に(目の前の食物がかつて生き物であり、その命をもらうという行為を重んじて)「いただきます」と食材への感謝を表し、食後に「ごちそうさま」とその食物を直接用意してくれた調理者への感謝で締めくくること。

 言霊、事霊を心の中のどこかで信じてしまっている、アニミズム的な要素から離れきれないこと。

 そして汚れと清めを信じており、日常的な汚れとして、大小便に間接的にでも触れることを苦痛に想い、年に一回だけでも神社を詣でることで、なにかすっきりとした気分になれる、そんな観念から離れきれないこと。



 これくらいの感覚を持っていれば、人として当たり前にみてもらえる。

 ただしそれは「日本『人』として」の当たり前で、海外の人がそれをしないからといって、法律などで強制したりはしない。

 そして「誰にも迷惑をかけず、当事者達の完全な自由意志での選択なのであれば」「奇抜な行為や、危険な行為、人倫を乱す行為、不潔な行為」でも、

 勝手にすれば、

 という態度で臨む。

 日本人は自然と、「人は上記の四つの感覚の中で過ごす」と考えているから、やってもせいぜいがせいぜいだろう、と思うし、周囲の人々から隔離された村落で行われる分には、ことさら、村を暴いてその奇習を白日の下にさらすような行為もしない。

 だから、広々とした宿泊施設で、百二十人規模で乱交パーティが実際に実施されており且つ、首謀者四人が逮捕されても、「全員を逮捕し実刑判決を与えろ」などと言う人はいない。

 全員逮捕して刑罰を与える、というのでないなら、首謀者はなんの罪で逮捕され、裁かれるんだろうと不思議でならない。

 もちろん、乱交パーティという催しが、極めて低俗かつ野蛮で、不衛生でもありおぞましい行為だと僕は思う。

 どんなに仲の良い知人からであろうと、誘われたら断るし、ていうか、うえっ、こいつの正体、うえっ、とその感覚を疑うと思う。

 さりながら、どういうシステムや雰囲気なのか、小説執筆の参考になりそうなことは聞きたくなるし、その知人が参加する、参加してきた、としても、多分仲の良い知人として振る舞うと思う。



 まあ、僕には友人がただの一人しかいないんだけれども。



 いずれにしてもだ、

 そもそも日本においてLGBTQ、加えてロリコン、ショタコン、スカト○、SM、男の娘、フタ十リなどは、如何にそれが性的常識や衛生観念、倫理的観念から歪んで見えようとも、ひっそりと同好の志の間で営まれている分には、日本人は無関心で居続けた。

 被差別は現代日本では金の成る木になるとは以前訴えた。

 平成年間を通じてそれを知った多くの日本人達が、LGBTQ法案に異論を抱くもそのためだ。

 何となく心の内で、「新たな天下り先を作ろうとしているんだろ」と感じているから反対しているのであって、もともと許容してきた。

 じゃなきゃ、コミケであんな多種多様な変態的な創作品が貴重なものとして売れていかないよ!

 すぽーん、という発音のヒーロー名にアメリカ人が違和感を覚えないのと同じように、LGBTQだからという理由で迫害などしてきていないんだこの国では。



 君がLGBTQだからって構わない、君が周囲に押しつけてこなければ。



 というか、僕のGL趣味だって相当に歪んでいると思うのだが、LGBTQの人達が僕をLには組み入れてくれない。

 それを差別だなんて思わない。

 なんとしてでもLに組み入れてくれとも思わない。

 ただ、GL好きの人の中から、ほんの何人かだけでも、僕の作品を気に入る人が出てきてくれれば、それだけでよい。



 まあその、本音を言えば生粋のLの知人に恵まれて、その人の熱い想いを語ってもらえたらめちゃくちゃ幸せ感を感じるだろうとは思うけど。

2件のコメント

  • LGBTQ+を告白するのは勇気が要ります。カクヨムでは書いてますが、リアルではなるべく言いたくないです。押し付けなんてもっての他と考えています。
  • ブリュヴェールさん

     「カクヨムでは書いてますが、リアルではなるべく言いたくないです。」

     これこそまさに「当事者の言葉」ですよね。

     LGBT法案なんて、「カミングアウトしてこそ受け取れる恩恵」ということになりますが、いかな法律で差別禁止をうたおうとも、差別心を持った人は悪意で持ったつもりではなく、善意と思って持った差別心なので、それを理屈で「悪だ」と定義しても、ご本人も止めようがないんですよね。

     だったら、独り抱え込んで、そっと生きていた方が楽、という考えが成り立つものだと考えています。

     馬鹿につける薬はないそうですが、そっと静かに佇んでいたはずのLGBTの方々が、上級国民の老後のために『自らの本意に不ずして』表舞台に立たされなければいけないのだとしたら、それこそ悪しき風習の始まりだとしか思えません。
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