もう、このノートの常連さんには、口を開かなくてもご存じいただいていることと思うが、改めていう。
私にとって最も尊崇すべき「すめらみこと」は開戦を批判し、終戦を決定せしめ、自ら敵の総大将の前で「私は死刑で構わぬから国民を飢えから救い給え」と言い切ったからこそ尊崇に値するもので、その方は何を隠そう昭和のすめらみことこと、昭和大帝である。
そしてその昭和大帝をして「最も忠実なる臣下」として評価されているその一点で東條英機元内閣総理大臣閣下こそ、国難の政治を切り盛りし、戦後のウォートライアルという形を変えた戦争で、見事時の天皇陛下と国民の地位を守り抜いた英雄であると信じて疑わない。
https://www.youtube.com/shorts/wYDPCy7Yy_s 斯くのごとき動画があるが、この自己批判の一文を持ってして「国民に責任を転嫁せしむる思想の持ち主」となぜいえるのか。
後の史観、神の視点からは確かに正確な情報判断力に欠ける、と見ることもできる。
しかし一九四一年十二月六日から七日にかけて、戦争を回避できなかった己の無能を口惜しみ、昭和大帝の座する宮城に向かって嗚咽を漏らすほど責任感の高かった戦争指導者が他に居ようか。
その視点から見れば、一九四五年八月十三日づけてしるされた、
「もろくも敵の脅威に脅へ簡単に手を挙ぐるに至るが如き国政指導者及国民の無気魂なりとは夢想だもせざりし処之に基礎を置きて戦争指導に当たりたる不明は開戦当時の責任者として深く其の責を感ずる(以下略)」
この言葉は、国民への敗戦責任の押しつけではない。
どう読んでも「開戦時の総責任者として、開戦の判断を惜しむ」という意味であり、「こんなに弱い国民に無理を強いていたか」という後悔の念であり、しかも、東條英機元内閣総理大臣閣下には正しい情報は伝わっていなかった。
国民への配給は足りている、という報告しかないが、国民の怨嗟の声も聞こえてくる。
斯くなるは公共のゴミ箱を見やり、魚の骨や野菜の芯などが大量に投棄されていればいいが、との思いでゴミ箱の中を視察したのである。
朝日新聞などは馬鹿にした記事を報道したようだが、陸軍参謀総長にして陸軍大臣の重責を負いながら内閣総理大臣をつとめることで、陸軍の開戦派を収めようとして、
それでもなお
戦争回避の道は無く、己が意志と異なるながらも、開戦を決めざるを得なかった総責任者に対して、「まだ国民は戦える」という嘘の報告をしたのは誰か。
そして「報告によれば戦えるはずなのに、戦わぬというなれば、そのような国民の弱さを理解せずに開戦に踏み切った己が判断こそ間違いであった」という言葉である。
ドイツの様に国家社会ドイツ労働者党に全ての罪を背負わせて、「人民は悪く無い、ただ政治に踊らされていただけ」などと小手先のいいわけに終始するのとは違い、大日本帝国は最後には、新政府を立てたイタリアはおろか、遥か地球の果ての南米諸国からも宣戦布告され、戦後には賠償金を求められ、大日本帝国の看板を下ろした日本国はその全てを完済した。
しかも東條英機元内閣総理大臣閣下は、敗戦時には首相ではない。敗戦の前年一九四四年七月十八日に、マリアナ諸島陥落の責を問われて退陣している。
その経緯の中で、昭和大帝からも「もはや東條では無理か」と判断され、その上で辞任した悔しさがある。
されど、その二日後の一九四四年七月二十日にこのような言葉が下された。
卿参謀総長トシテ至難ナル
戦局ノ下朕カ帷幄ノ枢機ニ
参劃シ克ク其任ニ膺レリ今
其職ヲ解クニ臨ミ茲ニ卿ノ
勲績ト勤労トヲ惟ヒ朕深ク
之を嘉ス
時局ハ愈〻重大ナリ卿益〻
軍務に精励シ以テ朕ガ信倚ニ
副ワムコトヲ期セヨ
昭和十九年七月二十日 午前十時二十分 御下賜
キョウ、サンボウソウチョウとして、シナンなる
センキョクのモト、チンがイアクのスウキに
サンカクし、ヨくソノニンにアタれり、イマ
ソノショクをトくにノゾみ、ココにキョウの
クンセキとキンロウとをオモひ、チン、フカく
コレをヨミす
ジキョクはイヨイヨジュウダイなり、キョウマスマス
グンムにセイレイしモッてチンがシンイに
ソわむことをキせよ
サラリーマンでいえば、その地位から引きずり下ろされた直後に社長から直々に「よく働いてくれて嬉しかった。でも、まだまだやってもらうことはあるよ」といわれたようなものである。
信倚の二文字が重い。
事ここにいたって「頼りにしてるよ」といわれて奮い立たない日本男児がいようか!
戦争回避を切に願い、「この戦争は敗戦で終わろう」と言い切った昭和大帝。
閣僚の会議でも敗戦を決めきれなかったのは、敗戦の場合、天皇陛下はおろか皇太子殿下、そのた皇室の宮家もろとも断絶させられるのではないか、という疑念にアメリカ側が誠実な回答をしなかったからだ。
日本人が「無宗教」でいられるのは神道があればこそ、そして仏教や救世主教、回教などが有りはしても、日本人が日本人であるのは「日本の教え」があればこそ。
その大祭司も大祭司、総祭司長として神々への祈りを絶やさぬ祭司王が、天皇の真の姿である。
その昭和大帝をして、辞任してまで「これからも期待しているよ」との言葉を賜れた東條英機元内閣総理大臣閣下の言をねじ曲げて何をほざくか。
日本国に「凄い」はあっても「悪い」はない。
所詮肌の黄色いイエローモンキー達、程度の認識で、一度は英語を日本の公用語として、日本語の使用を廃止しようとした程度の頭しかないヤンキー達の終戦直後の認識がこれだ。
https://www.youtube.com/shorts/5kklYuQrhOE 記紀の時代に寄せられた公文書「風土記」を読んだが、当代の日本人でも、なんとか読める。
一五〇〇年前の古文書が、現代人でもそれなりに読める。
この恐ろしさ、凄まじさかたかだか建国二〇〇年余りのヤンクに分かろうはずが無い。
とはいえ、同じ石原慎太郎氏のこんな言葉もある。
この言葉ばかりは、東條英機元内閣総理大臣閣下にも捧げたいし、私自身、思い詰めすぎぬための戒めとしたい。
最も、僕なんてただの貧乏平社員なんだけど。
https://www.youtube.com/shorts/CEdwBKyH9LQ