国体を継ぐ

 この動画は紹介したい。



 https://www.youtube.com/shorts/NrnXn6aqLng



 明治大帝は薩摩武士に男子としてしつけられたと耳にするが、昭和大帝はもしかすると倭猛天皇(やまとたけのすめらみこと)以来の日本男児だったのかも知れない。

 日本武尊といえば、神話時代の一代ヒーローである。

 最近風土記を買ったのだが、常陸国風土記にはやたらと倭猛天皇の足跡が印されている。

 さばかりか「茨城(うばらき)の国造(くにのみやつこ)の始祖の多祁許呂(たけころの)命は、息長帯比売(おきながたらしひめの)天皇( 神功皇后) の朝廷に仕えて品太(ほむだの)天皇( 応神天皇)ご生誕の時までお仕えした。」(中村 啓信 風土記(p.83) 角川学芸出版)と神功皇后を天皇として記述している。

 戦後の学会と宮内庁は倭猛天皇(やまとたけのすめらみこと)と息長帯比売天皇(おきながたらしひめのすめらみこと)を無き者にしているが持統による官制「行政文書」こと大本営発表である日本書紀に何が何でも正義が書き込まれているわけではない。

 己が次代の血筋の正統性を謳うべく天照国照彦の尊号を大日霊女貴尊(おおひみこむちのみこと)に移し替えてまで偽造した女の浅はかな歴史偽造書にいかばかりの正解有りや。

 景行天皇こと大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと) の子で有り、その次々代である仲哀天皇こと足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)の父であり、やまとの言葉を諡(おくりな)された倭猛天皇(やまとたけのすめらみこと)が天皇であってなんの不思議もなく、開化天皇五世孫である神功皇后こと息長帯比売天皇(おきながたらしひめのすめらみこと)が摂政を六九年務めたということの方が怪しく、女帝であった可能性が極めて高いと考えられる。

 よく、物知り気に「継体朝」などといって、「継体天皇の時代に一度神武天皇の血筋は途絶えている」と得意に成って語るものがいるが、己が蒙昧をさらけ出す様甚だしい。継体持統とは四文字熟語で持統の最大の功績が血統を保持する役割を担ったのなら、継体の最大の功績が国体を継いだという一事につきる。

 耶蘇教歴に直した事績が分からぬからといって「昔の人は歴史を改ざんした」というなら、今の人間だって改ざんしていることになる。

 そもそも誰が誰の男子かというのは財産相続、家名相続の問題上、極めて重い事柄であった。

 そして自らが天皇(すめらみこと)の男系の男子であるということは、地方に行けば行くほど重みを増した。

 もっとも、当時の越前を「地方」のひとことで片付けてしまうのは、いささか乱暴に過ぎるかとは思う。

 どちらかといえば「応神は真に仲哀の子か」という疑問の方を持って欲しいものだと思う。

 孝元天皇三世孫の武内宿禰が怪しいと思うがこれ以上話しをそらすのは控える。



 いずれにしても近衛のように、昭和大帝からも軽んじられるほど「ただの人」でしかなかった人物なら、こうはいえまい。
 
 当時の通訳はこういう英語にして昭和大帝のお言葉を「天皇の死刑執行人」を自称したマクアーサーに伝えた。



 Kill me, bat not those who acted in my name.



 この一言で国体が正しく継承されることが決まり、そして昭和大帝の忠臣中の忠臣、東條英機元内閣総理大臣閣下が大帝の身代わりを務める大任を背負った瞬間であった。



 その東條英機元内閣総理大臣閣下の命そのもので国体を継いだ昭和大帝の慈愛が、当代を持って皇統の継続を難くならしめんとするは、歴史の皮肉に他ならぬ。

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