国難の英雄「東條英機」

 なかなかいいタイトルなんだけれども、そんなタイトルの作品、この世にはないらしい。

 ほんとにこの世は人の世か。



 東條英機元内閣総理大臣閣下の私的な側面を知るのに欠かせない情報として「御身内からのお言葉」がある。

 「東条の身内がこうはいっているが、とても信ずるに値しない」という向きすらあるが、「お前の感想など、まさに耳傾けるに値しない」と言い返してやりたい。

 まあ確かに、歴史学の常道においては「その人物に味方する勢力と、敵対する勢力の両方に同じ記述があれば、それは事実である」というものがある。

 たとえば、戦国時代に耶蘇教を禁教とした豊臣秀吉に対する宣教師ルイス・フロイスと、秀吉の若い時よりともにくつわを並べ、戦国時代をともに生き延びた前田利家の両人が「秀吉は右手の親指が一本多く、六本指だ」と書かれている。

 多指症を扱えば「差別」との非難を呼ぶとして、マスコミは絶対に触れない。

 でも、ただ野良の人だった人物が、国家全体に安定な平和をもたらした事実は変わらない。

 六本指の男が、国家全体に安定な平和をもたらした事実も変わらない。

 そして僕は、秀吉の手相を持って生まれた。

 残念なことに僕はただの野良の人のままくたばりそうではあるが、太閤殿下と同じ手相というのはちょっとした自慢だ。

 件の諸国歴訪において、僕はわざとこの話題を出した。

 その部分の画像と音声は使われなかった。



 マスコミと歴史学者というのはそのていどのもので、自分の思想に役に立ちそうであれば「新事実」といって発表し、自分の思想を阻害する要因と警戒する情報はどんなに客観的な事実であっても公開しない。

 話しを戻すと、幾ら自分が敬愛する人物のお身内といえど、その証言を全部事実としてしまうのは、情報の取り扱いの上でいささか軽々な態度といわざるを得ない。

 とはいえ、「東条は絶対悪」「東条は失敗者」と断じる向きの書籍を読んでも、嘘っくさい、悪意の見え隠れした文章がたらたらつづくだけで面白いはずがない。

 そういえば東條英機元内閣総理大臣閣下のお孫さんに当たる、東條由布子さんの著書「祖父東條英機『一切語るなかれ』がしまってあるよなー」と思いだし本棚から見つけた。

 21世紀に入った頃の僕は、メモ用のシャープペンシル片手に、気になつた記述に傍線を引いたり、再度振り返りたいページにはページの角を45度に折るようにして呼んでいた。

 その当時の本だから、罫線は当たり前、角折れも当たり前で「なつかしーなー」と中身を少し眺め何となく表紙に戻って開いて見た。



 「おいおいおいおい、おいおいおいおい。

 なんでこれ、東條由布子さんの直筆のサインが入ってるの?

 いや、確かに東條家の墓前でお目通りした縁はあるけど」



 と吃驚した。

 僕は本当に「僕の興味のあること」しか覚えない。

 人の顔とか、エピソードとか、片っ端から忘れていく。



 The International Military Tribunal for the Far East は本当に狂気の魔女裁判で、起訴状の提出日が時の陛下昭和大帝のご生誕日の四月二九日で、有罪とされた死刑囚の執行日が一二月二三日と時の皇太子、現上皇殿下のご生誕日だった。

 下衆の極みにも程がある。



 平成年間において、一二月二三日は、世間的にはクリスマスデートを楽しむ都合のいい休日だった。

 僕にとっては往事の今上、現在の上皇殿下を敬う日でもあり、極東魔女狩り軍事裁判で、A分類の死刑囚の執行が行われた日、平和を希求して止まない昭和大帝をして「忠臣」の評価を受けた実務家、東條英機元内閣総理大臣閣下の命日でもあった。

 だから、よそ様のお墓ではあるがその日に東條家のお墓にお参りに行くのは自然なことだった。

 でも、東條由布子さんこと岩浪淑枝さんに巡り会えたのは偶然だったと思う。

 墓石の大きなお墓の、少し垣根がちな外構えの中に立ち、ゆっくりと手を合わせた僕が、お墓の垣根を出たところで、すでに西にやや傾いた午後の太陽が作る木漏れ日の中から現れた、小柄な淑女が東條由布子さんだった。



 色んな話しを伺った。

 僕は緊張して余り質問ができなかった。

 まさか東條閣下のお身内と邂逅する機会があるとは夢にも思わなかった。

 東條由布子さんは、ご結婚され、すでに岩浪家の方だったため、東條英機元内閣総理大臣閣下の名誉回復を期した言行は、東條家からも岩浪家からも好意的には受け止められなかったという。

 それは、武家の家系としては潔い生き様だと思う。

 しかし例え一億三〇〇〇万の国民が「一番悪いのは東條英機だ!」と声を張り上げようとも、一億三〇〇〇万飛んで一人目の国民が「平和を希求する昭和大帝をして『忠臣』と評価せしめた東條英機元内閣総理大臣閣下に何があったのかを知りたい」「悪人として狂人として語られるばかりの東條英機元内閣総理大臣閣下の、一人の人間としての人くささを知りたい」と願うこともある。

そして、その一億三〇〇〇万分の一人の声が、やがて大きなムーブメントとなって、閣下に歴史の法廷として、魔女裁判「極東軍事裁判」とは異なる判決が下されることだってあり得る。

 縁者の方々の証言がなければ、悪魔だったのか英雄だったのか、いずれにしても神格化するしかないじゃないか。

 閣下が「東條家のものは百年言葉を伏せよ」との趣旨を言い遺したことは知っている。

 閣下のその御判断は何とも小気味よいほど潔い。



 けれどもたとえば歴史の中では、ナザレのィエホシュアが左右の二人とともに処刑された時、救世主教という教えはなく、それが盛んになつたのはその死後三百年前後の後世になってからだと聞く。

 日本人は自国の英雄に対する正当な評価を下すのに、そこまでの時間は必用としないはずだ。

 東條由布子さんはすでにお亡くなりになってしまったけれども、東條英機元内閣総理大臣閣下の曾孫である東條英利さんが、派手にはならない程度に、しかし知られざる閣下の人物像を語ってくださっているのは賞賛に値する。

 そして陸軍内の開戦派の牽引役であったにもかかわらず、昭和大帝をして「開戦を回避せよ」との密命を帯びて内閣総理大臣を押しつけられ、それに必至で応えようと力を尽くすも開戦にいたり、戦争資源の乏しい国家の存亡に関わる戦争の指導をまたも押しつけられ、与えられた責務は最大限果たそうと力を尽くし、停戦後は異常な魔女裁判に掛けられ、堂々と日本国の主義主張を唱え、且つ、開戦責任は自分にありお上にはなんの権限もない、というひとことで昭和大帝のお命を救い、時の皇太子殿下の御生誕日に人知れず処刑され、その遺灰は太平洋に投棄された。

 こんな格好いいダークヒーローいるか?



 しかも開戦の目的だった、

 欧米の植民地としてあえいでいる東亜諸国の独立、

 人種差別の撤廃、

 について、その死後も各地でムーブメントを発生させ、結果として勝ち取ったその礎を固めたのが東條英機元内閣総理大臣閣下が最後に遺した「東亜諸国の開放の意志」だったわけだ。

 死後に渡って国際社会を突き動かす切っ掛けとなるなんて、常人でなしえる技ではない。

 それを為したのは誰か。

 それは他の誰でもない、当時の日本陸海軍の将校兵士軍属に当たる人々であり、その総まとめをしたのが孤高の英雄東條英機その人であった。



 東條由布子さんのサインの中央には、金字で「大義」とある。

 これが東條家の言葉なのか由布子さんの言葉なのかまでは、僕も知り得ぬ。

 でも「大義」はここにあり、そして東條英機元内閣総理大臣閣下にもあったのだ。

 なんて重たい言葉を遺されたのか、東條家の人は奥深い。



 英利さん頑張れの気持を込めて、下記を紹介する。

 お手すきの際に、お目通しいただければ幸いなるかな。

 https://www.youtube.com/watch?v=Fr6mgcZQfSo

 https://www.youtube.com/watch?v=q25_GypoS_o

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